1話-半透明- 新入社員とヘルプマークの女性

 四月。

Webデザイン系の会社の入社式を終え、帰りの電車を待つ月瀬ゆかり。

地方から右も左も分からない都会へ上京してきた新入社員。

彼女の地元には存在しない迷宮のような駅で迷子になりながらもたどり着いた駅のホームは人で溢れていた。

『今日から一人暮らしか…』

そんな事を考えていたその時だった。

列の隣で突然うずくまる一人の女性、鞄にはヘルプマークが付いていた。

「大丈夫ですか…?」

と、優しく声をかけようとした。

しかしその声は別の場所から聞こえた悲鳴にかき消された。

都会の駅は物騒だから気をつけなさい、と上京する前に母親に言われたがその通りだった。

いかにも怪しい男が走りながらこちらに近づいてくる。

そしてその男はうずくまっていたヘルプマークの女性に襲い掛かろうとした。

女性が恐怖を感じ見上げた視線の先には男の姿。

『危ない…!』

とっさにビジネスバッグを盾にして自身と彼女を守ろうとした。

男の手には刃物―下手したら殺されてしまう。

盾にしたバッグのおかげで大きな怪我をすることはなかったが、心に異性に対する恐怖を植え付けられてしまった。

その男は駅員によって取り押さえられお縄になったが、この一件で乗りたい時間の電車には乗ることができない―いや、前の駅で緊急停車中らしい。

一つの路線で電車が止まると他の路線もその影響を受けるというのはネットでよく見かける人身事故で熟知している。

―いや、今は彼女の無事を確認しなくてはならない。

「お怪我はなかったですか…?」

そう声をかけると彼女はビクッと震えながらもゆかりの方を見上げた。

「あ…ありがとうございます…」

そう言い残し急ぐようにホームから去っていった。

電車は大幅に遅延したが無事家路につくことができた。


 降車駅から数分の場所にあるアパート

その近くが明日から通勤する会社の社屋だ。

今日行ったのは本社であり、明日からは支店になる。

デザイン系企業で支店というのはほとんどないが、【事務課の事務員】として採用されたため事務専門の支店に通勤ということになっている。

ゆかりに何かしらのデザインをする能力は微塵もないが事務の仕事なら高校がその系統の学校だったため資格は一応取得している。

大学は女子大生活を謳歌したいという理由で女子大に通学した。

―あれからなんだかんだあって今ここにいる。

家の鍵を開けようとするが背後に男がいるような錯覚がする。

実際は誰もいないがあの事件に巻き込まれてから男という存在が怖くなってしまった。要はトラウマであろう。

ゆかりは急いで家の中に入った。


 部屋の電気を点けると新しい家具と衣類などが入った段ボールが置いてあった。

家具付きアパートなので自分の荷物は段ボールのみ。

今日はもう疲れたから寝ようと思ったが、親に初めての都会の感想くらいは伝えておこうとスマホを取り出し電話を掛けた。

『あら、こんな時間にどうしたの』

電話口の母親が心配そうに話す。

「初日からいろいろあって…買ったばっかりの鞄傷ついちゃった」

鞄が傷ついてしまった原因なんて言えない、むしろあの時の光景がフラッシュバックしてしまいそうだからだ。

『何かあったとき用にもう一つ鞄買っておいたの段ボールに入れてあるから見ておいてね』

母親の小さなやさしさに涙が出そうになる。

「時間も遅いし、そろそろ電話切るね」

と電話を切った。

寝る前の身支度をしてベッドに入ったのは零時五分前―のはずがない。

(あっ…時計の時刻直すの忘れてた)

慌てて起き上がり時計の時刻を直そうとしたが、辺りは何の変化もないのに急にあの光景がフラッシュバックして時計を落としそうになる。

怖い、とにかく怖い。

このフラッシュバックは少し見えた視線の先に傷ついた鞄が置きっぱなしだったのが原因なのだろう。

元の鞄に入っていた荷物をすべて新しい鞄に移し替え、傷ついた古いのは段ボールに入れた。

時計は電波時計だったらしく、ただ電池の入れ忘れで時刻が変な時間になっていただけで電池を入れると勝手に時計の針が正しい時刻に合わさる。

これでやっと寝れる、ゆかりは再びベッドに戻り部屋の電気を消した。

―あの時の彼女はいったい何者なのか、そして無事に帰宅できたのか。

いろいろ考えてしまいなかなか寝付けない。

寝るのをあきらめ、暇つぶし用に買った携帯ラジオで好きな俳優の担当番組を聞こうとする。

都会だからキー局の周波数で聞けるが、キー局の周波数など分からないしいつもネット局経由で聞いていたから地元での周波数しか知らない。

ラジオを聞くのは諦めほぼ強引に眠ろうとした。


 深夜二時

室内の蛍光灯は常夜灯機能などなく辺りは当然真っ暗。

調光機能はあるのに常夜灯がないなんて、と内心不満に思っているが他の設備はちゃんとしているし会社の近くだからという安直な理由でこの物件を選んだ。

真っ暗な部屋に目が慣れてきたのか眠くなり気づいたら寝ていた。


こうしてゆかりの新生活は始まった。








 









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好きな恋を好きなだけー色彩が繋ぐ縁ー 姫乃さやね @himesaya_38

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