EP14 おとな
祖母が死んだ。
祖母が死んでも、僕達は特に動じることがなかった。泣くことも悲しむこともなかった。僕達は知っていた。そして、信じていた。祖母が満足してこの世を去ったことを。
僕達はただ淡々とことを進めた。
「げっ、この蜂蜜、賞味期限切れてるじゃん。何で残しているのかなぁ……」
そう言いつつ、透子さんは様々なものをゴミ袋に捨てた。ゴミ袋は三枚目で、既にいっぱいになったゴミ袋が二つ、リビングに広がっていた。大体はゴミ、賞味期限切れの食べ物が多数、あと用途不明の代物。
「全く、宅配の設定を変えないからこうなる…………あれから十年経つのに…………」
「あれから、って、十年前に何かあったんですか?」
「あぁ、君は知らなかったっけ? 今から十年と少し前、君の祖父、まぁおじいちゃんが死んだんだ。酒の飲みすぎでね。当然と言えば当然だった。おばあちゃんはおじいちゃんが死んでよく言ってたよ。『これで酒代が浮く』ってね。実際、凄いお金を酒に費やしていたらしい。おばあちゃんの怒りはもっともなものだろう。おばあちゃんはおじいちゃんが死んで喜んだんだ。…………かつての君のように、ね」
そう言うと透子さんは戸棚の奥から酒を出した。まだ賞味期限が切れていない日本酒だった。
「でも、本当はそうじゃなかった。おばあちゃんはおじいちゃんを愛していた。そもそも、夫婦になって、そこから離婚をしていないあたり、一定の愛はあったんだろう」
紙パックに入った日本酒のキャップを外し、そのまま一気に飲む。透子さんは小声で「不味っ」と呟き、口元を拭いた。
「昔のおじいちゃんは酒を飲む人じゃなかった。でも、変わってしまった。長女の死、自分達の不手際だった。その現実から逃げる為に酒を使った。それを見ていられなかったんだろう。そして、おじいちゃんが死んで、酒を飲む姿をもう二度と見ることがなくなった。それが良かったんだろう。しかし、だ。前提として、おじいちゃんは死んでしまった。勿論、昔の、おばあちゃんが愛したおじいちゃんが帰ってくるわけでもない。きっと気付いたのだろう。知っていたのだろう。だから、未だにこうして酒を持っている。嫌なら捨てればいいのに、ね」
そう言うと、透子さんは僕に出かける準備をしろと言った。僕達は車に乗り込んだ。
「……さっき、お酒を飲んでいませんでしたか?」
「少年、細かいことを気にしすぎると頭がオカシクなるぞ。些事の異変は無視してこそ『良く生きる』というものだ」
「は、はぁ」
「すぐ着く。何、心配することはないさ」
そうして少し車を走らせた所、まだ向日葵畑が広がる黄色の海の一角に目的地はあった。
「墓地ですか」
「そうだ、墓地だ。……すぐに目的の墓は見つかるさ」
入って、周りを見渡す。線香は死に絶え、花は一切の色彩を失い、墓石は緑に染まろうとしていた。その中で一際存在感を放つ墓があった。
「気付いたね。目的地はそこだ」
近付いて見て見ると、「夏木家」とだけ書かれてあった。
「ここにはおじいちゃんと伯母さん、そしておばあちゃんが入っている。…………どうしてこんなに綺麗なのか。他は古めかしいのに。そう思ったはずだ。簡単なことだ。おばあちゃんは毎日ここに来ていた。病院のついでにね。そして、こうだ」
そう言って透子さんは持ってきた酒を全部墓石に掛けてしまった。
「まぁ、これがおばあちゃんなりの贖罪だったんだろうね」
「…………伯母さんも入っているんじゃ……」
「少年、細かいことは気にするな。人間のすることは、少しズレている方が人間らしい。人のすれ違いとかが最たる例だね。例えば、君ときつねさん、みたいな」
「……知っているんですか? きつねさんのこと」
「まぁね。きつねさんは、この村の守り神だ。今から四百年以上前に始まった信仰らしい。当時の社会情勢は芳しくないようでね。何か拠り所が必要だったそうだ。————そこで生まれたのがきつねさんだった。当時は名前も無かったけどね。きつねさんは信仰されると力を得る神だ。例えば、信仰する人が『食べ物が欲しい』と願えば豊穣の神になるし、『子供が欲しい』と願えば安産の神にもなる。信仰さえあれば全知全能の神さ。……でも、まぁ、今はね…………」
そう言って透子さんは遠くの山を見つめた。
「この村も、もうじき終わる————全ての存在は滅びるようにデザインされている————そんな言葉の通りだ。人も村も、その他諸々みんな有限だ。だから限られた時間で何かをしようとする。後悔しない為に、ね。…………君も、何かあるんじゃないかな」
「僕は……そうだ、きつねさん……きつねさんにまだ話していない…………謝っていないんだ」
「そうか。なら行くといい。後悔しない内に、ね。————私は家で待っているよ。それじゃぁ、ね」
透子さんを背にして、僕は走り出した。目指すのは遠くに見える山、その山頂の御社殿、そして、そこに居るきつねさんだった。
「きつねさん、きつねさん」と、名前を連呼し、頭に強く刻みながら走る。御社殿は山の上。————山の上と言ったら……落雷、そうだ、落雷があったんだ。あの時落ちたのは、山の一番高い木、確かそれは…………
【あそこにね、御神木があるの。この山で一番大きい木。そこに宿る神様って訳!】
「…………ご神木、ってことは。まさか」
もし倒れた木がご神木だったら。きつねさんはどうなってしまうのだろう。きっと問題ない。きつねさんは神様なんだ。それに、まだご神木が倒れたと決まったわけじゃない。階段を登り、山頂に、御社殿に辿り着く。そこには…………
「木が…………無い………………」
無かった。木が、ご神木が無かった。かつてのきつねさんが指を指した方向に歩く。その先には、根本から避けるように折れた木と、千切れたしめ縄が落ちていた。
「あ………………あ……………………」
あのご神木にはきつねさんが宿っていた。それが折れて、倒れたなら、もしかしたら………………と、最悪な想像ばかり広がる。
「そうだよ……そんなの現実じゃない」
「ん? これは現実だけど…………」
「そんなのが現実である筈が無い! だって、だって……………………え?」
「ん? どうしたの?」
目の前に、きつねさんが居た。本物だった。きつねさんは、死んでなどいなかった。
「ぁあ………………あぁあ……………………あああっ」
喉の奥から音が漏れて、どうしようもない衝動のままきつねさんに飛びつく。するときつねさんは少しよろめき、そして僕のことを両手と尻尾で包み込んでくれた。
「よーしよし。大丈夫ですよ————私は何処にも行きませんよ————」
「うん…………うん………………」
「今日、何かいいことでもあった?」
食事中、透子さんが僕に聞いてきた。
「…………別に」
「うっそだぁ、お姉さんに隠し事は出来ないよ」
「…………」
黙り込んでしまう。沈黙を埋めるようにご飯を口に詰める。透子さんのご飯は、祖母の同じくらい美味しかった。メニューは生姜焼きだった。チューブの生姜を使い切る為に、沢山生姜を使ったのだ。そのせいか、凄く辛い。
「どう? 私のご飯は、お口に合ったかな?」
「は、はい。美味しいです」
「うん、良かった。————でも、少し辛すぎるでしょ」
「…………バレてましたか」
「それはもう、ね」
「は、はぁ。なるほど……」
話しながらであったが、食べる速度はいつもより早かったように感じられた。
「ご馳走様でした」
「はぁい、お粗末さまでした。明日にはここを出る予定だから、早く寝るんだよ」
「うん、分かった」
後ろから水の流れる音が聞こえる。それを聞きながら自分の部屋に向かい、寝る準備をした。
夜の九時。寝るには少し早い時間に思われるが、明日の長旅のことを考えると妥当な時間だった。
布団に入り、天井を見上げる。そこにある数々の木目は屋内の星空のようで、嫌なことを考えない為にも、よく星々を繋いで星座を作ったものだった。
布団から出た指が天井を指す。あれは向日葵、あれは卵、あれはホールケーキ、あれは雷、あれは魚、あれはき…
「何やってるの?」
「……ぁ、透子さん」
「ふーん、何やらお楽しみだったようだけど、今日は早く寝る日だよ。寝れないなら————」
そう言って透子さんは僕の隣に寝転んだ。
「……と、透子さん?」
「どうしたんだい? 少年、君に子守唄の一つや二つを歌おうと思ったのだが——」
「ぃ、いいです。静かにして下さい」
「そう? ならギューッて抱きしめてあげようか?」
「暑いので止めてください。…………それに、僕はそこまで子供じゃありません」
「はぁ〜っ、少年、君はね、私からすれば子供なのだよ。いつだって、何年経とうと、ね」
「そ、そんなことはない……はず…….です、し、それに、僕のこと、少年って呼ぶのも止めてください」
「……そうか、なら、何と呼ぼうか…………将暉————いや、『将暉くん』だ。それがいい。そうしよう」
「……じゃあ、それでお願いします」
そう言って、僕は透子さんに背を向けた。透子さんと目と目を合わせて会話をすると、なんだかおかしくなってしまいそうな、そんな気がした。
それから部屋の音はしんとなって、時計の秒針が早く寝ろと催促するのが強く感じられるようになった。————あぁ、寝たくても寝られない。別に明日が楽しみでもないのに、だ。
すると、僕が動いた訳でもないのに布の擦れる音がして、僕の背中に何かがくっついたのが感じられた。そして腕を僕の前に回して、僕のことを抱きしめてきた。
「透子さん————さっき言いましたよね」
「将暉くん、君は大人に甘えるべきだ。————なぁに、心配はいらない。私は君に危害を加えるつもりは無いからね。さぁ、肩の力を抜いて、身も心も私に委ねてごらん」
————もしかしたら、透子さんの言う通りかもしれない。一般的な子供は、親に愛され、親に甘えて育つものであるらしい————達也がかつてそうされていたような、そんな関係性だ。でも僕はそれを知らない。言うなれば「異常」だった。そんな僕が、「普通」の生活を享受していいのか、と。
「いいんだよ。ほら、ね」
そう言って、透子さんは僕のことを更に強く抱きしめた。でも痛くは無かったし、それどころかどこか心地よい感じがした。そしたらなんだか————
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