EP2 かいこう
二日目、朝六時、あまりの暑さに起こされた僕は、強い不快感を持っていた。喉はカラカラなのに、下着はぐっしょりしている……健康的な八時間睡眠は、別に万能薬でもなかったようだ。
扇風機の電源を消し、ゆっくりと立ち上がる。布団をしまい、着替える。それが終わる頃には味噌汁の香りが漂ってきていた。
ダイニングに行くと朝食が並んでいた。ご飯に味噌汁、魚の切り身にお新香。昨日の夕飯のような献立であったが、よく見ると魚やお新香の種類が変わっていた。僕はそれをちまちま食べ、完食する頃には時計は七時を指していた。
「おばあちゃんは病院に行きます。帰るのは夕方になるので、昼は自分で食べてください。あと、家を出て右手に見える山の頂上には神社があるので、お参りをすること。分かりましたね」
僕がそれに簡単な返事をすると、祖母は病院に行ってしまった。広い平屋の家に、僕は一人、取り残されてしまった。
テレビは退屈でしかなかった。朝のテレビといえば、情報番組か幼児向けの教育番組くらいしかやっていないもので、その両方に退屈を感じる僕は、どうしようもなく、ただ天井を見つめることしか出来なかった。
少し経って、ふと、参拝しようと思った。昼を過ぎれば暑くなって、外出は難しくなる。ならば朝の比較的涼しい時期に行ってしまおうというのが魂胆だ。
山の麓まで十分、そこから約三百の石段を登り、遂に神社に着いた。それはお世辞にも綺麗とは言えない代物だったが、どこか歴史を感じさせる佇まいだった。高く生い茂る木々は陽の光を通さず、ここ周辺を涼しくさせているようだった。
そこで僕はあることに気が付いた。御社殿の近く、縁側というか回廊というか、そこに人を見た。巫女姿の少女————と見えたが、狐の尻尾を見たような気もした。狐に化かされたか、なんて思っていると、どうやら僕のことは気付かれてしまったらしく、向こうから人とも狐とも言えるような珍妙不可思議な存在がやって来た。
それは獣人と言うか、狐と人が合体した存在だった。逃げるべきか留まるべきか、それが問題だったが、その決断をする前にそれは来てしまった。
「もしかしてヒトか!? 本物のヒトか!? 幻じゃないよね!?」
快活な声が、まだ少しの眠気を帯びた僕の頭を覚ます。幻かどうかを訊きたいのは僕の方だったが、それは心の奥にしまっておくことにした。
「えーっと、どなたですか?」
試しに訊いてみる。化け物は快く答えてくれた。
「私? 私はね、神様なんだよ!」
「神様?」
思わず訊き返す。すると、自称神は神社の奥の方を指さして言った。
「あそこにね、御神木があるの。この山で一番大きい木。そこに宿る神様ってわけ! 今年で四百五十三歳なんだ」
自称神は両手を腰に当て、誇らしげな表情で、自分の持つ威厳を示そうとしていた。これが漫画だったら「えっへん」とかいう効果音が出たり、凄そうなオーラが出たりするものであるのだが、残念ながら、現実ではそんなことはあり得ない。ただ、後ろから覗かせる尻尾を振っているのを見ると、本当に神様の類じゃないのかと思えてきた。
「むっ、信じていないようだな。ならば見せてやろう。神の権能とやらを!」
そう言うと、手のひらを僕の方に向け、力みだした。避けた方がいいのかな、油揚げとか射出されないかな、なんてことを考えていたら
「んにゃーっ! 出来ないーっ!」
と叫び出した。あまりに突然だったので、少し体がビクッと震えた。そして、続けてまた叫んだ。
「まったく、最近の若者は信心が足らん! お主、麓のヒトは一体何をしてるのだ!」
麓、つまり祖母の家がある辺りのこと、そこに住む人は、祖母の他に二、三人しかいない。しかも、最も近い家でも、片道二十分かかる。神様の権能とやらが信心からのものとするならば、たった二、三人の信心では力も出ないだろう。ましてや、存在していることですら凄いことだろう。
僕はありのままの麓の様子を伝えた。すると、神様は驚いた様子で
「今は、今は昭和何年なのだ!?」
と訊いてきたので、今は昭和でも、その次の平成でもなく、さらに次の令和という元号になってしまったと伝えたら
「ああ、もうそんな……」
と落ち込んだ様子を見せた。自分が知らない内に元号が変わることがそんなにも驚くことなのか、と思ったが、そもそも元号が変わったことに気づかないものなのか、とも思った。
僕が神妙な面持ちで見ている間、神様はブツブツと何かを呟き、何かをしているようだった。
そして少しの間を挟み、神様は口を開いた。
「いやぁ、久しぶりにこの体を使うから記憶の同期を忘れていたよ。教えてくれてありがとな。もう全部思い出したぞ! お主、名前は?」
「将暉、櫻井将暉と言います」
「そうか、将暉というのか。これから将暉と呼ばせてもらうぞ! あ、あと、そんなにへりくだらなくても、私は権能無しの自称神なんだから、ふつーに喋ってもらっていーよ」
そう言われると、何故か敬語で話さないといけないように感じるのが人である。————そういえば、名前知らないな、と突然思った。
「えーっと、名前、訊いても?」
「私の名前? 私はね、きつねさんって呼ばれてるの。将暉もきつねさんって呼んでね!」
彼女の名前「きつねさん」、それはおそらく、見た目の「きつね」と敬称の「さん」から名付けられたものだろう。まさか、「さん」が敬称であることに気付いていないのだろうか。もしそうなら、きつねさんは幼児である。四百五十三歳児である。そう思うと、どこかおかしくなってきて、笑いを堪えることが出来なくなってきた。四百五十三歳児って……
「あ! 将暉が笑った! いーけないんだ、いけないんだ。神様パワーで雷落としておへそ取っちゃうんだ!」
「でも権能無いんじゃないの?」
「あ、確かに」
するときつねさんも笑い始めた。イマイチ何がおかしいのかを覚えていないが、ただ何かがおかしくて、それが笑えることは確かだった。
「まぁ、将暉が笑えたならそれでいいよ。なんか辛気臭かったしね」
そうなの? と訊き返すと、そうだよ、ときつねさんは答えた。そう言われると、なんか憑き物が落ちたような気がした。
その後は談笑をして過ごした。気が付けば日も落ち、家に帰らなければならない時間となってしまった。
「じゃぁ、もうそろそろ行かないと。今日はありがとね」
「将暉、明日も来てくれる?」
「明日……ああ、勿論行くよ」
「ほんと!? やったぁ!」
そう言って喜ぶきつねさんの姿は、本物の少女のようであり、彼女が四百五十三歳であることを忘れてしまいそうになってしまう。
手を振り、別れの挨拶をする。帰り道は行きよりも短く感じた。
家に着くと、祖母が夕食の準備をしていた。献立は依然変わらず、魚とお新香がよく見ると変わっている程度だった。これをちまちま食べ、その後お風呂に入った。
お風呂の中での考え事の対象は、勿論きつねさんについてだった。結局きつねさんはどういう存在なのか。使おうとした権能は何だったのか。同期とは、何と同期するのか。そもそも麓には信心を持った人が何人いるのか。僕の祖母は知っているのか。辛気臭いとは一体何だったのか。疑問は浮かび続け、そして答えを得ずに溶解するばかりだった。
お風呂から上がると、祖母は既に寝てしまっていた。テレビを付けると、相変わらずワイドショーがやっていた。
「————不幸中の幸いと言えども、本当に痛ましい事件でしたね。二人が死亡、一人が意識不明の重体。真偽は不明ですが、一説によると、この事件を中学生が起こしたらしいですね。いや————」
内容は昨日と同じく例の事件についてだった。番組では相関図を用いて事件について説明をしていた。顔を隠された犯人は、括弧書きで年齢が表示されていた。十三歳だった。そしてその真横、被害者の欄には、見知った顔写真が貼られてあった。僕の家族だった。
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