執事は朝から大忙し

 ヘイリオは屋敷の中を全力で駆けていた。既に年齢は五十に差し掛かろうとしているこの男、ロンヴァル家が王都で居を構えていた時からの執事。つまり、ロンヴァルの罪を最も見てきた男。そんなヘイリオが朝の身支度をしている所に一人のメイドが血相を変えて飛び込んで来たのは半刻程前の事だった。


「デレイル様のお部屋から」


「血の跡が」と顔を青く報告するメイド。そのメイドを引き連れデレイルの部屋へ向かうと確かに、デレイル部屋から出ていく真っ赤な足跡がはっきりと残っていた。


「私が中を確認してくる、貴女ははここからでください」


 壊れた人形の様に何度も頷くメイドを横目に、ヘイリオはデレイルの部屋へと入っていく。


―― 嫌な匂いだ


 とり出したハンカチで鼻と口を押え部屋を見渡すと、地下へ続く隠し扉が開いたままの事に気が付く。陰鬱な気持ちのままに地下へ続く階段を下りていく。幸い壁に付けられた燭台の蝋燭は燃え尽きてはおらず真っ暗ではない。駆け下りたい気持ちはあるのだが、階段にこびりついた汚れに脚を取られそうになりゆっくり降りるしかなかった。地下室へ近づく度にきつくなる匂い。地下室の重い扉は半開きであった。


「デレイル様」


 声をかけ扉を開くヘイリオ。そこで目にしたのは仕入れたばかりの少年、少女であったモノ、少し前に孤児院から引き取りメイドとして教育していたモノ。そしてデレイル・ロンヴァルであったモノであった。ヘイリオは言葉を失った。しかしすぐに振り返り階段を駆け上がる。一度すべりかけたがなんとか踏ん張り駆け上がる。その時に腰を痛めたのか鈍痛があるが気にしてはいられなかった。ヘイリオはデレイルの部屋を飛び出し、言いつけ通りに部屋の外でおろおろと待機していたメイドに声をかける。


「けっして、部屋へ入ってはいけません。他の者が入ろうとした場合も同様です。私の名前を出して構いませんから、絶対にです」


「これは命令です」そういってヘイリオはデレイルの部屋を背に駆けだした。ヘイリオが向かうのはセルゲイの寝室。くしくも真っ赤な足跡が向かう先。途中、オリビアの肖像画が目に入る。その額縁の一部が汚れておりヘイリオは顔を顰めた。


―― オリビア様、どうか旦那様を


 かつてロンヴァルの太陽であった女性にヘイリオは祈りをささげる。太陽を失ってからロンヴァルは闇に包まれてしまった。幼い頃からセルゲイを見てきたヘイリオはどれだけセルゲイが闇に身を落としても、その身をセルゲイに、ロンヴァルに忠を捧げるつもりだ。


―― どうかご無事で


「旦那様!!!」


 ヘイリオはノックも忘れ扉を勢いよく開く。そこで見たのはベットに横になるセルゲイの姿と半裸の少年。また少年を寝屋へ連れ込んだのかとヘイリオは目を細めるが直ぐに違うと理解した。


「オ…… オリビ…… ア様?」


 突然部屋へ飛び込んで来たヘイリオに少年は顔を向け、微笑みを浮かべる。その微笑みにヘイリオはかつてロンヴァルを照らしていた太陽の面影を見てしまった。



 ロンヴァル家のメイドの多くは平民、身寄りのない者が多く採用されていた。本来ならば行儀見習いで貴族家の者を受け入れたり、身分のしっかりした者を多く雇うのが常だったがロンヴァル家では、ロンヴァル家ではそういう訳にはいかなかった。つまるところばかり。それらに最低限の教育をし働かせていた。特に気を付けるのは火とオリビアの肖像画の扱い。そしてを教えるのはヘイリオの仕事であった。


 少年はメイドの死体の記憶からセルゲイのトラウマ利用した。そして屋敷で働く上での注意としてメイドに教育をしていたヘイリオの事をしっていた。


「おはよう、ヘイリオ。どうしたんだい? そんなに慌てて」


 当たり前の様に話しかけてくる少年にヘイリオは思わず息を飲んだ。


「あっあなたは? 旦那様は?」


「僕? 見て分からないかな。セルゲイ・ロンヴァルとオリビア・ロンヴァルの子だよ」


 そんなはずがない。あの日、セルゲイが涙ながらにオリビアに火をかけるのをヘイリオは見ていた。腹の中の子と共に灰になるのをセルゲイとヘイリオはずっと見ていたのだ。


「お父様は…… どうだろう? もうダメかもね」


 手を口に当て小さく微笑む少年。その言葉にヘイリオはベットへ駆け寄りセルゲイの顔を覗き込む。


「旦那様」


 セルゲイはそれ以上の言葉を失った。昨日までの赤髪が嘘のような白髪となった髪。落ち窪んだ瞳には光が無い。乾いた唇から洩れる亡き妻の名。老人の様に見えてしまう程にその姿はやつれていた。


「今朝からこの調子でね」


 少年が手を伸ばすとセルゲイは「ひっ」と小さく声を上げ、怯えた様子を見せた。


「ね。どうしようか」


 首をかしげる少年。ヘイリオは少年にかける言葉を見失っていた。本来ならば少年に聞かなければいけない事が沢山ある筈なのに。


「そうだ! ヘイリオ。僕、名前がないんだ。なにかいい名前がないだろうか?」


「…… ルカ」


 思わずヘイリオの口から洩れた名前。それはセルゲイとオリビアが産まれてくる子が男の子だった時に付けようとしていた名前であった。


「ルカ! いい名前じゃないか。うん、今日から僕はルカ。ルカ・ロンヴァルだ」


 少年、ルカが勢いよくベットから立ち上がる。畳んであったベットスローをケープの様に肩にかけるとヘイリオに手を差し出す。


「ヘイリオ。大切な話をしよう」


 じっと自分を見つめる太陽の様なルビーの瞳。その瞳にヘイリオは思わずその手を握ってしまった。

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