第31話 このままだったら良いのに

 昼食を取ってひと心地ついた後、二人でグリーディングアトラクションへと足を運び、列に並ぶ。


 列の周囲には可愛らしい装飾やキャラクターグッズのディスプレイが設置されていて、待ち時間も飽きさせない仕様になっていた。


 それらを見ながら列が進む中、夏目さんの表情に若干緊張の色が見えた気がした。


「た、楽しみですね」

「……え?」

「まるぷりに会うの」

「……うん」


 彼女は両手を軽く胸に当てて、目を伏せている。


 このアトラクションでは、事前に電子パネルから会いたいキャラクターを選択して、整理券を発行しておく必要がある。


 特にまるぷりは人気が高くて、整理券の確保が難しい。


 実は開園直後に入場した一番の理由が、このまるぷりに会いたかったからだった。


 夏目さんの不安そうな様子を見て、それだけこの瞬間が、彼女にとって特別な出来事だと理解する。


 しばらく並んでついに列の先端まで来ると、目の前にはカーテンがあって、スタッフさん案内のもと、二人でその中へと入っていった。


 そして、カーテンをくぐると待っていたのは、


「……まるぷり」


 彼女が最も会いたいキャラクターだった。


 まるぷりは小さい腕を小刻みに上下に振った後、体を折って可愛く挨拶をしてくる。

 その様子に瞳を輝かせる夏目さんは、無垢な子供のようにも見えた。


 そして、


「……」


 下を向いて固まってしまう夏目さん。

 緊張しているのかも知れない。


 まるぷりが首を傾げながら心配そうに夏目さんを見つめている。


 列の解消具合から察するに、キャラクターと交流出来る時間は一分程度だと思った。

 彼女には後悔して欲しくない。


 俺は笑顔で彼女に話しかける。


「な、夏目さんがやりたい事は何ですか?」

「……え?」

「まるぷりはきっと何でも応えてくれますよ」


 俺のその言葉に、まるぷりが陽気な身振り手振りを交えつつ何度も頷く。


「私が、……やりたい事」


 そう呟いた夏目さんは、ゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「……アニメで観て、……好きになって。今日、会いたくて」


 彼女が発する一言一言にしっかりとまるぷりは頷いてくれる。


「だから」


 少し戸惑ったのち、残り時間の最後に彼女は勇気を振り絞るようにその言葉を口にした。


「抱きしめても……」


 夏目さんがそう言って視線を落とすと、まるぷりは元気に頷いて、すぐに夏目さんに抱き着いてきた。


「……」


 一瞬僅かに目を見開いて驚くも、次第に柔らかくなっていく彼女の表情を見て、胸に温かいものがこみあげてくる。


 最後に俺と夏目さんとまるぷりの三人で写真撮影をしながら、今日はここに遊びに来て良かったと、俺は心の底から思った。


◇◇◇


 本来の目的を無事に終えた俺達は、他の場所にも足を運んで、思う存分に楽しんだ。


 そうして気付けば時刻は夕方になっていて。


 隣を歩く夏目さんは、下を向きつつも、まるで今日の一瞬一瞬の思い出に浸るように、穏やかな表情で歩いていた。


 静かに二人で歩く中、何度も彼女と肩が触れ合う。


 居心地の良さを感じつつも、そろそろ帰ることを視野に入れ始めた頃、


「ねえ、最後に、……一緒にプリクラ撮ろ?」

「え?」


 夏目さんの提案に驚きながらも、最後に二人でプリクラを撮ることにした。


 戸惑いながらプリクラコーナーに立ち寄って、彼女と機械の中に入る。

 正直陰キャでぼっちの俺に、こういった類は無縁だった。


「……」

「えっと、……こ、これどうやって」


 俺が彼女に使い方を教わろうとした刹那、


「……えっ?」


 彼女の手が、ゆっくりと俺の体をなぞるように背中に回りこんでくる。


 そのまま瞳を潤ませ頬をほんのりと紅潮させた夏目さんが、少し躊躇いながらも俺に正面から近づいてきて、そして静かに抱き着いてきた。


 直後、柔らかな彼女の感触と温もりが、全身に広がってくる。


「……な、夏目さん?」

「……」


 甘い吐息の温もりを胸元に感じていると、彼女が耳元に顔を近づけて、か細く囁いてきた。


「今日、凄く……夢みたいだった」

「……」

「ずっと、このままだったら良いのにって、何度も思った」


 その言葉に思わず鼓動が速くなる。


 力なくぶら下げた自分の両手をどう使うべきか俺が迷っていると、彼女が言葉を続ける。


「田所君は、夢じゃないね」

「……え?」

「だって、凄く、……温かいから」


 そう言って彼女は、次第に体を重ねる力を強めていく。


 全身に、心地のいい感触が広がっていく。


「ねえ、……気持ち良い?」

「……え?」

「私は、凄く……気持ち良いよ」

「……」

「そこにいてくれるって、分かるから。凄く、……安心する」


 そう言って、俺に全てを委ねる様に、目を瞑って体を預けてくる夏目さん。


 もとから彼女を拒絶するつもりなんてないけど、それでも次第に自分の抵抗力が弱まっていくのを感じた。


 頭が働かない中、気持ちだけが口から零れ落ちる。


「お、俺も、凄く、……夢みたいでした」

「……うん」

「凄く、幸せで、このままだったら、良いのにって」

「……うん」


 発したことのない類の言葉に違和感や不安が押し寄せる中、夏目さんがその全てを受け止めてくれた。

 

 それが理由だったのかもしれない。

 今度も、受け止めてくれるかもしれないと。


 再度、俺達の間に静寂が訪れる中で、


 俺は、初めて彼女の体に、自分から触れた。


 自分の両手を彼女の肩にそっと置いて、ほんの少しだけ彼女と距離を取る。


 無抵抗と言っていいほど、驚くほどに夏目さんの体に力は入っていなかった。


 潤んだ瞳を俺に向ける夏目さんと、目が合った。


 お互いに何かを求めるように、視線と吐息が強く絡み合う。


 そして、


「ほら、ここがプリクラコーナーだよ!」

「プリクラ撮るの久しぶりだよねー!」

「ねー! やり方覚えてる!?」

「全然全然!」


 外から聞こえる女子達の声で、俺と夏目さんは我に返った。


「……と、撮りましょうか」

「……うん」


 機械にお金を入れて、二人で撮影を行うも、どこか気持ちはうわの空で、目の前の出来事に集中出来なかった。


 プリクラを撮り終えて、外のスペースに出る。


 すると、


「え、あれ!? 田所君!?」

「……ほ、星野さん?」


 そこには、他の友達を連れた星野明莉の姿があった。

 彼女と目と目が合った瞬間、さらに驚くべき声が響いた。


「……え、なっつん?」

「……明莉」


 予想もしなかった光景に、俺は立ち尽くすしかなかった。

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