第4話 やってしまった

 やってしまっただろうか。


 なるべく高校生活は慎ましやかに送ろうと思っていたのに。


 周囲の視線が俺に突き刺さる。

 あれ誰だっけ? 田辺? みたいな声もする。


 黒瀬蓮と星野明莉に至っては驚いた様子でこちらを見ていた。


 俺は今、一体彼らからどんな目で見られているのだろうか。


 そして俺は一番肝心な事が抜けていた事に気づく。


 そもそも夏目那月が俺の誘いを受けるかどうか。


 今回の行動は全部俺の主観と憶測によるもので、最悪勘違いした挙句、断られて痛い目にあう可能性だってあるのだ。


 俺が緊張する最中、こちらをじっと見つめる夏目那月が口を開いた。


「うん。やろっか田所君」


 それは拍子抜けするほどいつもの彼女だった。


◇◇◇


 状況を整理する暇もなく、それぞれが二人一組のペアを作り、マットの上で準備運動が始まる。


 最初は一人で首回し。

 毎回授業の最初にやるから全体の流れは分かってる。問題は次からだ。


 二人で横並びになり、互いの片足をくっつけて、両手で引っ張り合う運動。


 つまり、


「はい、田所君」


 夏目那月が無造作に手を差し出してきた。


 白くて透明感のあるとても綺麗な手だった。

 細くて長い指は繊細さを感じさせ、爪先には自然なツヤが宿っている。


 俺が掴むのを躊躇っていると、彼女の方からゆるく掴んできた。


 女子の手が意外と小さい事に驚きながら、互いに引っ張り合う。


 こんな感じで、ペアの運動だから必然的に体の接触回数が多くなる訳で。


 正直気まずいし緊張する。


 周囲の生徒(特に男子)達の視線を浴びる中、次に座って行う足を伸ばした前屈運動で、 俺は彼女の背中を軽く押した。


「……んっ」


 そんな声を漏らす夏目那月。


 俺は生唾を飲み込む音が彼女に聞こえてないか不安になる。


「もうちょっと強くしても大丈夫だよ」


 彼女に促され、今度は徐々に力を入れてみる。


 すると、彼女の上半身はスムーズに折りたたまれて行き、スラっと長い足の裏側にまで手のひらが当たってしまった。


 俺が夏目那月の体の柔らかさに驚いていると、


「次は田所君だね」


 俺の番になったので、彼女に背中を押してもらう。


「身体硬いね」


 普段運動不足な俺は彼女の半分も上半身を曲げられないのだった。


◇◇◇


 今回の体育は卓球を行うらしい。


 皆で体育倉庫から自分達が使う卓球台やラケット、ピンポン玉を用意して、仲の良い人達同士で、ワイワイと卓球を楽しんでいた。


「夏目さん、一緒にやりませんか? 卓球」


 俺は今度も夏目さんを誘ってみた。


 周囲の生徒が各々の卓球台に散らばり切る前に察した。


 きっと彼女はまた孤立する。


 彼女を誘って周囲からどう見られるかは分からないし怖いけど、もう一回も二回も変わらないだろう。


 というよりそんなに俺の事が気になるなら、彼女に声を掛けてあげればいいのに。


「うん」


 夏目那月はコクリと頷いた。


 二人でラケットと玉を持って卓球台を挟んで向かい合って立つ。


「ありがとう、田所君」

「え、何がですか?」

「さっきの準備運動の時もそうだけど、誘ってくれたから」

「……あれは僕がやる人が見つからなかっただけで。寧ろ一緒にやってくれてありがとうございます」


 俺は咄嗟に誤魔化した。


 彼女のお礼を素直に受け止める事は、彼女が孤立してた事を認めることになる気がした。


 その後、返答のない彼女の顔を見ると、琥珀色に輝く瞳がじっと俺の事を捉えていた。

 慌てて視線を逸らす。


「そ、それより行きますよ?」

「うん」


 俺からのサーブ。


 女子だから手加減しないと。


 俺はぎこちない動きでピンポン玉を空中に放り投げ、タイミングを見計らってラケットを軽く振り抜いた。


 そして打たれたピンポン玉は卓球台の中央ではなく角に当たり、跳ね方の法則を無視したように勢いよく体育館の隅へ向かって転がっていった。


 恥ずかしい気持ちになりながら玉を追いかける俺は、咄嗟に夏目那月を横目で見た。


「……」


 一瞬、ほんの少しだけ口角が上がった気がした。

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