空を飛ぶ少女

第7話 僕はアンリエットじゃないのに

「やぁ、アンリエットくん」

「…………………………」

 誤解の起きないように言うが、僕の名前はアンリエットなどではない。

 もちろん実はフランス人ということもなく生粋の日本人だ。

 僕には日本人にふさわしい普通かつ平凡かつ凡庸な名前がある。決してアンリエットという名前ではない。

 しかし声の主、先生は僕のことを本気でアンリエットだと思っているらしい。

 生徒名簿をみろよ。そこに本名書いてるだろ。と常々思う。


「聞こえてるよね?アンリエット君」


「…………」


 今は放課後、オレンジ色に染まった教室には僕と先生しかいない。

 なので先生が僕以外の人に話かけている可能性は皆無である。だがあえて無視をする。


「なるほど、まだ先生たる私を無視しようという魂胆なのかね、アンリエット君」


 なんかめんどくさい先生だなぁ。


「いいだろう、それがどこまで持つのか見ものだ、アンリエット君」


 一体なにが楽しいんだろうか。


「まだ無視しようというのかね?いい覚悟だよアンリエット君」


 なんでさっきから語尾にアンリエット君ってつけてるんだろう。

 語尾でキャラ付けするタイプの奴を目指してるのかな。

 今でも十分に濃いからそれ以上のキャラの上乗せはやめてほしい。切実に。



「アンリエット君、あそこを見てごらん?UFOだよ?アンリエット君?」

 そんな分かりやすい嘘を信じるやつがいるのか……?



 ……気になるので一応振り向く。



 やっぱり何も無いじゃねーか。

 顔を戻すと笑いを堪えきれていない先生の顔があった。うっとうしさ満載である。


「マジで振り向くとかありえるの?アリエット???アンリエット君じゃなくアリエット君なの????」


「…………」


 だがしかし、その手の挑発には乗らない。無視を続行する。


「………アンリエット君、そろそろ一人で話し続けるのも辛くなってきたんだが?」


「……………………」


 反応したら負けだ。何に負けるのかは全くわからないが。


「こうなった仕方がない、奥の手を使うことになるよ…………?」


「……………………」


「…………内申点さげるよ」


「チクショウ!!まーたそれですか!!!アンタは困ったらいっつもそれですよね!!」


「おお!!やっと反応してくれたね!!先生感謝感激雨霰だよ!!」


「脅しで得られた感動に価値がありますかね?!」


「大切なのは過程ではない!!結果だ!!結果が全てなのだー!!」


「結果よりも真実に向かおうとする意思が大切なんですよ!!」


「ふむ?なかなか深そうな話をするじゃないか!!」


「いいえ、すごく浅いですよ」


「うむ?」


「なんで僕が無視を決め込んでいたかわかりますか?」


「いいや全く」


 先生はわざとらしくとぼけた表情を決め込む。


 絶対にわかっている人の表情だ。


「僕、アンリエットじゃないんですよ!!」


「いいや、君はアンリエットだ」


「なに勝手に真実を捻じ曲げているんですか!!」


「この俺に曲げれない真実はない!!とういうことで、改名について君の親御さんと相談してくるよ」


 そう言うのが早いか、先生は教室の外へ向かって走り出した。


「ストおおおおおおおおおおップ!!」


 ****


「はい、それで用件はなんですか?」


「ああ、実はアンリエット君に頼みがあってだね……」


 直感した。これは面倒臭いやつだと。

 僕は座っていた学習机から教科書などの荷物をカバンに詰め、立ち上がる。

 先生はそれになんのリアクションも返さない。


 確信した、今がチャンスだと。


 僕は自分の学習机を踏みしめ、跳躍した。


 宙を舞う体で僕は言う。


「三十六計、逃げるが勝ちです!!!」


 ここで捕まったら面倒なことに巻き込まれるのは見えているんだ。


「ストおおおおおおおおおおップ!!」



 先生の声につられて後ろを見る。先生は慌てて僕を追いかけようとするが、それは机にぶつかることで失敗した。

 ガンッという鈍い音が響き渡り、内容物が地面にぶちまけられる。

 誰の席かわからないけどかわいそうに。だが僕には責任は一切ない。全て先生が悪い。

 そう自分を納得させて、教室の扉を開けた。


「まてコラああああああああ」


 後ろを振り向く、先生が必死の形相で叫んでいた。

 普通に怖いので全力で廊下を走る。もちろん先生もスグに追いかけてきた。


「何でそんなに必死なんですか!?」

「その前になんで話も聞かずに逃げる!?」

「十中八九めんどくさいことに巻き込まれるからですよ!!」

「話を聞くまではわからないだろ!?」

「わかりますよ!!先生と僕の仲じゃないですか!!」

「そういう恥ずかしいセリフはもっとタイミングを考えろ!!!」

「タイミングは僕が決めるんです!」



 廊下を走り抜ける。途中、「廊下を走るな」というポスターが見えたような気がするが無視。

 生徒の模範たる先生も走っているのだから問題はないだろう。

 それに生徒の皆様は帰宅や部活動で忙しいらしく、夕焼けに染まった廊下には誰もいない。


 走るのに最も適した廊下と言えるだろう。


「アンリエット君、メッチャ早ぇえええ!!」


「どうですか!?驚きましたか!?」


 ゴム底の上履きが廊下をキャッチしてくれる。踏み込めば踏み込むほど前へ前へと進む。

 まるで歯車が噛み合ったかのようだ。

 そして先生は革靴を履いている。廊下との摩擦が足りずスピードが出せていない。

 それに何故かカバンを背負っている。バシバシとバックが体に当たって走りにくそうだ。置いていけばいいのに。

 つまり状況は圧倒的に僕が有利。このまま逃げ切れるだろう。


「ああ、その速さには驚いたよ、アンリエット君!!しかし君は甘い!!」


「なんですって!?一体何が甘いというんですか!!」


「足の速さだけで逃げ切れるわけではないんだよ!」


「他に何が必要だというんですか!?」


「…………ごめん、なんか言おうと思ったけど何も思いつかないや!!」


「適当か!!!」


 廊下を走りながら大声で会話する先生と僕。

 いやぁ、ほんと誰もいなくて助かった。

 大声を出す教師から逃げる生徒とか、誰がどう見ても生徒の方が悪いことしたと思うだろう。

 偏見に満ち溢れたこの世界は不条理だ。


「あ、アンリエット君前!!前見て!!」


「見てますよ!!」


「じゃあ後ろ!!」


「後ろ?」


 後ろを振り向く。そこにはキス顔の先生がいた。


「キモい!!!」


「正直すぎる感想はやめて!!」


「なんで変顔かましているんですか!!」


「それは前をみたらわかるよ」


「さっきから前を見ろとか、後ろを見ろとかなんなんですか!!」


「あ、とにかく前!!前見て!!」

 言われるがままに前を向く。


 目の前には無常の壁。


「ぶつか__」

 ドンガラガッシャーン。いや、実際にはそんな効果音は出てないけど。


 ****


「鼻がへし曲がるかと思った」


 胡座をかきながら精一杯悪態をつく。

 涙目になってるし、かっこよさは全然ない。


「僕は注意したよ?」


「そもそもぶつかるように仕向けたのは先生ですよね」


「さぁ、なんのことやら」


「わかりやすくとぼけますね」


「ちなみに、もしアンリエット君が壁を避けていたらカバンを投げるところだったよ」


「だからワザワザカバン持って走っていたんですね。この暴力未遂教師め」


「言い間違えたよ、偶然にもカバンがすっぽ抜けてアンリエット君にぶつかる可能性が高くなるってだけだった」


「確率を操作できるとは先生は神にでもなったんですか?」


「先生は神様ってよく聞くだろ」


「よく聞かないです」


「じゃあ、見せてあげようか?百聞は一見に如かずっていうしね」


 そう言って先生は夕日が差し込む窓の前に座り込んだかと思うと、おもむろに両手を挙げ、天を仰ぐ。

「はぁ、なにしてるんですか」


「神のポーズ」

「全く意味のわからない行動をしないでください」

「これは手厳しい」


「それで今回はなんですか?逃げるのに失敗したので仕方がなーーーーーーーく、先生の頼みを聞いてあげますよ」

「ああ、そうそう、そういう話だったよね」


 ちょうどいいや、と先生が小さく言って窓の外を指差す。


「アンリエット君、ちょっとあれ見てみて」

「ん?どこですか?」

「あ、もうちょっと上、向かいの校舎の屋上の方」


「ん?」


 言われるがままに屋上を見る。そこには少女がいた。

 この一文だけの説明だと「屋上に少女が居たんだ、ふーんまぁ、そういう学校もあるよね」ってなるだろう。

 事実この学校は屋上は誰でも行けるフリースペースになっている。そこに少女がいるだけでは何の話題にもならない。ただの日常だ。何も珍しいことはない。

しかし、なぜ先生がそれをわざわざ話題に出したのか。それは少女の立っている場所が問題だからだ。少女がいる場所は崖っぷち。高いフェンスを乗り越え、屋上の縁に立っている。

 一歩前に踏み出せばアイキャンフライ、地面には赤色の花が咲くこと間違いなしだ。



「……飛び降り自殺?」


「あ、やっぱりそう見えるよね」

「あーーそいうことですか?」

「うん、そういうこと」


 今回の先生の頼み。

『飛び降り少女をどうにかして』

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