第2話「波打ち際にて」

「ですが、臣籍降下の件は本気ですか?王子」


 私は耳を疑った。扉を開かんとする手を必死で抑える。


「誰もが認める妹の剣技。女王に推す声も聞かれる様になりました。ジェイル様。2人きりの兄妹。私が身を引けば丸く収まります。国を割る芽は早目に摘みましょう」


「王にはご相談なされたのですか?性急に決断されては後悔なされますぞ!?」


「既に陛下にはご内諾頂きました。貴方に師事すると決めた時より、私はイスファに仕える身。どうして悔やむ事がありましょう。ジェイル様」


 薄暗がりの執務室。一瞬だけユハルの顔に日が差した。晴々としている。いつもの優しい眼差しだった。私はそのままへたり込む。その先の会話は聞こえなかった。どうやって自室に戻ったか覚えていない。


 998、999、1000。天井の木目を一から数える。私の心は宙を彷徨う。不甲斐ない兄を私が支える―それが自惚れだなんて、到底受け入れられない。柔らかなベッドが今日だけは、不快で堪らず寝室を出て、長い廊下を歩く。


 月の光が差し込む中庭に出ると、ひんやりとした空気が肌を刺す。深い溜息をつきながら、石畳の道をゆっくりと歩く。


 城の門を抜けると、そこは静寂に包まれていた。満月の光が海面を照らし、夜空と海が一体になっているように見えた。波の音だけが、私の心を打ちつける。


 砂浜に腰を下ろし、荒い息を整える。砂の感触が、現実に戻ってきたことを教えてくれる。そんな時だった。物憂げな弦楽器の音色が、遠くから聞こえてきた。ユハルではないか。私は思わず立ち上がり、音源の方へと駆け出した。


「兄さん!」


 弦か止む。


「アリシャ…どうして?」


「それは私の台詞です。何故、私に相談しないのです!臣下に下るなんて!」


「聞いていたのか?」


 痛い所を突かれ、一瞬怯むも構わず畳み掛ける。


「だからなんだと?私に勝てば済む話。御前試合で体裁など気にしなければ良い。どうしてそれができぬのです!」


 ユハルはくるりと背を向けて、声を押し殺して言った。


「その理由は一生お伝え出来ません。アリシャ姫殿下」


 明確な拒絶。私はその場で泣き崩れてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る