「秘められた想いの行方」

月曜日の朝、鈴木太白が教室で教科書を整理していると、机の端に彼がよく飲む蜂蜜レモンティーのペットボトルが置かれているのを見つけた。


彼は顔を上げて周囲を見渡し、千葉夕嬢が本を読んでいる姿に気づいた。


「夕嬢、これ君が置いたの?」太白はそのペットボトルを手に取りながら彼女に尋ねた。


夕嬢は少し目をそらしたが、すぐに平静を装って答えた。「あ……そうだよ。先日、喉の調子が悪いって聞いたから、ついでに買っただけ。深く考えないでね。ただのついでだから。」


太白は一瞬驚いた後、笑みを浮かべた。「ありがとう、夕嬢。気が利くね。」


「別にたいしたことじゃないよ。」夕嬢は目線を落としながら、自分の顔の熱を隠すように言った。「早く飲んだほうがいいよ、冷えたら美味しくなくなるから。」


太白は席に戻り、ペットボトルを開けて一口飲んだ。その甘さが胸に染み渡り、思わず笑みをこぼした。しかし、彼は遠くから夕嬢が彼を見つめている視線に気づかないままだった。その目には、ほんの少しだけ切なさが宿っていた。


午後の体育の授業では、生徒たちがグループに分かれてリレー競走をしていた。太白がバトンを受け取る際、足元が滑りそうになり、転びそうになった。その拍子で膝を少し擦りむいてしまった。


「太白、大丈夫?」玉妃が駆け寄り、彼を支えた。


「平気だよ。ただちょっと皮が擦れただけで、大したことじゃない。」太白は立ち上がり、微笑んだ。


千葉夕嬢は少し離れた場所からその様子をじっと見つめていた。体育の授業が終わると、彼女は黙って救急箱から絆創膏を取り出し、それを彼の机の引き出しにそっと入れた。さらに、小さな紙片を添えた。


「次はもっと気をつけてね。心配させないで。 ――夕」


それを置き終えると、夕嬢は急いで自分の席に戻り、何事もなかったかのように装った。


放課後、太白は引き出しの中からそれを見つけた。彼はその紙片を手に取り、書かれた文字をじっと見つめたまま、思わず微笑んでしまった。そして、夕嬢のほうをちらりと見たが、彼女はただ静かに鞄を整理しているだけで、彼の視線には全く気づかないふりをしていた。


その日の夜、夕嬢は机に突っ伏しながら、手元に積み重ねられた絵本をぼんやりと眺めていた。彼女はそっと一冊を開き、中に挟まれていた下書きを取り出した。それは並んで立つ男女のスケッチだったが、男性の顔はぼやけており、輪郭だけがはっきりと描かれていた。


「私、こんなの馬鹿みたいだよね……」彼女は小さくつぶやきながら、窓の外の夜空に目を向けた。


彼女の脳裏には、昼間の太白の何気ない笑顔が浮かんでいた。それを思い出すたびに胸が締め付けられるような甘酸っぱい感情が込み上げてくる。


「どうせ無理だって分かってるのに、それでも少しでも良くしてあげたいと思っちゃうんだ。」彼女は本を閉じながら、静かに言った。「でも……私にはここまでしかできない。」


ここ最近、夕嬢は自分の感情がどんなに深いものであっても、それを表に出すことはできないと痛感していた。それはまるで、影のように静かに彼の傍らにいるだけの存在だった。


ある朝、太白が教室に入ると、クラスメイトから一通の手紙を渡された。


「ほら、誰かがこれを太白に渡してって言ってたよ。」クラスメイトは興味津々の表情で言った。


太白が封を開けると、中には短いメッセージが書かれていた。


「彼女は君が思う以上に君を必要としている。どうか彼女を失望させないで。」


今回も差出人の名前は書かれていなかったが、太白はなぜか夕嬢の顔を思い浮かべた。彼は彼女の方に目を向けたが、彼女はいつものように本を静かに読んでいて、表情にも特に変化はなかった。


「一体誰が……」太白は眉をひそめながら考え込んだ。この手紙の背後には、まだ彼が知らない何かが隠されているような気がしてならなかった。


数日後、鈴木太白は学校の裏庭で静かな休憩場所を見つけた。そこで一息つこうと思っていた矢先、微かにペンが紙を走る音が聞こえてきた。


低い茂みを回り込むと、千葉夕嬢の姿が目に入った。


夕嬢は何かを一心に描いていた。風が彼女の髪をそっと揺らし、木漏れ日がその横顔を柔らかく照らしている。その光景に、太白は思わず足を止めた。


「太白?」夕嬢が彼の存在に気づき、驚いた様子で顔を上げた。「どうしてここに?」


「ただぶらぶらしてただけさ。君がここにいるなんて知らなかった。」太白は笑顔で彼女に近づき、彼女が持つスケッチブックに目を向けた。「何を描いてるの?」


「別に……ただの落書きだよ。」夕嬢は急いでスケッチブックを閉じ、少し慌てたような表情を見せた。「ここ、静かで気に入ってるんだ。」


「そうなんだ。」太白はうなずき、隣のベンチに腰を下ろした。「君の絵、前から上手だと思ってたよ。見せてもらってもいい?」


「これ……は……」夕嬢は一瞬ためらったが、最終的にスケッチブックを彼に差し出した。


中には未完成の素描があった。それは校内祭りの夜、打ち上げ花火を背景に並ぶ三人の後ろ姿を描いたもので、特に太白の姿が丁寧に描かれていた。


「すごく素敵だね!」太白は感心しながら言った。「これ、僕たち?」


「うん。」夕嬢は手元のペンをいじりながら、小さな声で答えた。「あの夜……すごく楽しかったから、忘れたくなくて。」


太白はスケッチを見つめながら、不思議な気持ちが胸に込み上げてきた。彼は夕嬢の横顔をちらりと見た。彼女は目を伏せており、何か言いたげだったが、その言葉は決して口にされることはなかった。


「夕嬢。」太白は優しく呼びかけた。「最近、何かあった?」


夕嬢は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに首を横に振った。「何もないよ。どうして急にそんなこと聞くの?」


「ただ……なんとなく、君のことが分からなくなる時があって。」太白は少し言葉を選びながら続けた。「何か抱え込んでるんじゃないかって気がして。」


「考えすぎだよ。」夕嬢は軽く微笑みながら答えた。その笑顔はどこか寂しげで、「私なんて、特に変わったところなんてない。」


裏庭を離れた後も、太白の頭の中にはスケッチブックの絵が浮かんでいた。彼は夕嬢の微笑みの奥に隠された何かを感じ取っていたが、それが何であるのかは掴み切れなかった。


「彼女は一体何を考えてるんだろう……」彼はつぶやきながら、教室の方向に目を向けた。


一方その頃、夕嬢は窓辺の席に座り、遠くを見つめていた。彼女は先ほどの会話を思い返しながら、机の下で手を組み、指をぎゅっと握り締めていた。


「太白……やっぱり気づいてないんだね。」彼女は心の中でそっと呟いた。「でも、それでいい。少なくとも、友達として彼の傍にいられるから。」


その夜、太白のスマートフォンに再び匿名のメッセージが届いた。


「隠した感情ほど深く傷つくものだ。」


太白は画面を見つめ、眉をひそめた。彼はメッセージを送った相手に電話をかけようとしたが、今回も番号は無効だった。


「またこんな意味不明なメッセージか……」彼はスマートフォンをベッドに置き、天井を見つめたまま考え込んでいた。


彼は確かに何かが変わり始めていることを感じ取っていたが、その「何か」をまだ掴み取ることはできなかった。

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