「消えない影と夜空の花火」
朝、学校はまるで新しい命を吹き込まれたように華やかに飾られていた。風に揺れるカラフルな旗と風船、甘いキャンディの香りが漂う空気。鈴木太白と沖田玉妃のクラスの喫茶店は早朝から活気に満ちていた。看板には「星空カフェ」と丁寧な字体で書かれており、入り口では制服姿の同級生たちが熱心にお客さんを呼び込んでいる。
「いらっしゃいませ!」
玉妃はメイド服を身にまとい、トレイを片手に厨房から出てきた。いつものように満面の笑みを浮かべている。
太白はカウンターの後ろに立ち、コーヒーマシンをいじりながらぼそっと文句を漏らした。
「この服、動きづらいな……」
「文句言わないの! その制服、結構似合ってるわよ。」
玉妃は手を振って彼を急かした。「さっさと注文を仕上げて!これからがピークよ!」
教室の中は人で賑わい、学生や保護者が次々にやって来る。コーヒーの香ばしい匂いと甘いスイーツの香りが混ざり合い、笑い声が空間を満たしていた。玉妃は忙しい中でも余裕のある動きで、全体の運営を完璧にこなしている。まるで経験豊富な店長のようだった。
一方、夕嬌(ゆうきょう)は裏方で物資の補充や整理を担当していた。飾りがしっかり固定されているか、ドリンクの在庫が足りているか、一瞬も気を抜かず確認している。彼女の存在感は玉妃ほど目立たないが、彼女のおかげで一つ一つの細部が整っていた。
昼ごろ、夕嬌はスイーツが乗ったトレイを手にカウンターを通りかかった。そのとき、太白の袖口にコーヒーの染みが付いているのを見つけた。彼女は少し躊躇しながら、そっと声をかけた。
「太白君、袖が汚れてるよ。私が拭いてあげようか?」
「あ? ああ、頼む。」
太白はミルクフォームを作る手を止めず、適当に腕を差し出した。
夕嬌はウェットティッシュを取り出し、丁寧に拭いてあげた。その動作は慎重で素早い。太白は彼女の赤らむ顔に気づかず、簡単に「ありがと」とだけ言ってまた作業に戻った。
少し離れた場所でその様子を見ていた玉妃は、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑み直し、新しいお客さんを迎えに行った。
学園祭が終わりに近づくころ、玉妃は突然手を叩いて提案した。
「みんな、お疲れ様!夜の花火大会、一緒に見に行こうよ!」
クラスメートたちは次々と賛同の声を上げたが、夕嬌だけは黙ったままだった。玉妃は夕嬌に目を向けて微笑むと、歩み寄りながら尋ねた。
「夕嬌、あなたも一緒にどう?」
夕嬌は少しだけ迷った後、小さく頷いた。
「うん、行く。」
夜、河辺の芝生にはレジャーシートとランタンの灯りが広がり、花火大会の始まりを待つ人々で賑わっていた。太白、玉妃、夕嬌の三人は良い場所を見つけて腰を下ろした。周りには楽しそうに話すクラスメートたちの声が響いている。
玉妃は夜空を見上げながら、突然太白に向かって尋ねた。
「ねえ、最初の花火ってどんな形だと思う?」
太白は肩をすくめて答えた。
「無難な丸い形じゃないか?まずはお試しみたいな感じで。」
「そんなわけないでしょ!」
玉妃は自信満々の笑顔を見せた。「絶対に豪華なオープニングだよ!みんなが『すごい!』って言うようなやつ!」
夕嬌は黙って夜空を見つめながら、遠い憧れが混じったような表情を浮かべていた。
「ドン!」
大きな音とともに、最初の花火が夜空に広がった。光の輪が次第に大きくなり、五彩の輝きが観客の顔を照らす。
「ほら、私の言った通り!」
玉妃は嬉しそうに手を振りながら、太白の方を向いて笑った。
太白もその壮大さに感心したように頷いた。
「確かに、思った以上に派手だな。」
そのとき、夕嬌の目がふと二人に向けられたが、すぐにまた夜空に戻った。彼女はそっと目を伏せると、草の上の手をぎゅっと握りしめた。何かを言いかけたようだったが、結局口を閉じ、小さな微笑みだけが浮かんでいた。
玉妃が振り向いて彼女に声をかけた。
「夕嬌、花火、きれいだよね?」
「うん、すごくきれい。」
夕嬌は静かに答えたが、目線は玉妃ではなく、ただ夜空に向けられたままだった。
花火が次々と夜空に咲き、歓声があちらこちらで沸き上がる中、玉妃は太白に小声でささやいた。
「ねえ、夕嬌、なんだか今日ちょっと様子が変じゃない?」
太白は驚いたように目を丸くし、眉をしかめた。
「変?特に変わった感じはしないけど。夕嬌って、いつもあんな感じじゃないか?あまり自分のこと話さないし。」
玉妃は唇をかみながら少し考え込み、首をかしげた。
「そうなのかな。でも、なんだか私たちが楽しんでる間、彼女だけ少し寂しそうに見えたの。」
太白は曖昧な表情を浮かべて答えた。
「多分、気のせいだよ。夕嬌はああ見えて気を使うタイプだし、大丈夫だと思う。」
玉妃はそれ以上深く追及せず、再び花火に目を向けた。だが、その瞳の奥には小さな疑念の光が宿っていた。
花火の最後の一発が夜空に消えると、人々は帰路につき始めた。河川敷の喧騒が徐々に静まる中、三人は学校への帰り道を歩いていた。夜風が少し冷たく、静かな街並みに微かな霓虹灯の明かりが瞬いている。
夕嬌は二人より少し後ろを歩き、玉妃と太白が笑いながら話す声を静かに聞いていた。彼女の視線が太白の横顔を掠めたが、すぐに目を逸らし、下を向いて歩き続けた。
交差点に差しかかったところで、玉妃が足を止めて振り返った。
「太白、家まで送ってくれる?」
太白は軽く頷いた。
「いいよ、どうせ同じ方向だし。」
夕嬌はその言葉を聞いて少しだけ足を止めたが、すぐに微笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、私はここで。お二人とも気をつけて帰ってね。」
「うん、また明日。」
太白は彼女に手を振った。
夕嬌は二人の背中が遠ざかるのを見届けた後、深く息を吸い込み、別の道を静かに歩き出した。
夜の街並みは静かで、所々に霓虹灯が淡い光を放っていた。玉妃は太白の隣を歩きながら、どこか満足げな笑みを浮かべていた。
「太白。」玉妃が不意に口を開く。声は少し低く、慎重な響きを含んでいた。「今日……夕嬌、ちょっと元気がなかった気がしない?」
太白は彼女の言葉に考え込みながら歩みを緩めた。
「そうかな?普段と変わらないように見えたけど。夕嬌って、あんまり自分の気持ちを出さないじゃないか。」
玉妃は小さくため息をつき、夜空を見上げた。
「もしかして、私のせいなのかな……。夕嬌、私がいると居心地が悪いって思ってるのかも。」
「そんなことないよ。」太白は首を振り、断言するように答えた。「夕嬌はただ慎重なだけだと思う。それに、みんなが仲良くしてるのを嬉しいって思ってるはずだ。」
玉妃はそれ以上話さず、ただ黙って太白の横顔を見つめた。その目には何か言いたそうな光が宿っていたが、結局、彼女はその言葉を飲み込んだ。
一方、夕嬌は自宅に帰ると、静かに窓を開け、夜風を部屋に迎え入れた。彼女は机に向かい、手元のスケッチブックを開いた。その中には、花火大会の夜、三人が並んで立つ姿が簡潔な線で描かれていた。
「みんな、楽しそうだった。」
彼女は微かに笑みを浮かべながら、その言葉を小さく繰り返した。しかし、その笑みはどこか苦しげだった。
夕嬌は鉛筆を取り、絵の片隅に小さく文字を書き加えた。
「君が振り向かなくても、
私はここにいる。
君が私を必要としなくなる日まで。」
彼女はその文章を見つめながら、そっとスケッチブックを閉じた。
「きっと、これでいいんだよね。」
その夜、太白の携帯に差出人不明の短いメッセージが届いた。
「彼女は特別な人です。どうか大切にしてあげてください。」
太白は眉をひそめ、返信しようと試みたが、その番号はすでに使われていなかった。
「一体、誰がこんなことを……。」
太白は小さくつぶやき、携帯を閉じた。しかし、あのメッセージの言葉が彼の心に引っかかり、なかなか眠りにつくことができなかった。
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