「変わりゆく季節の中で」

その週末、鈴木太白は窓辺に立ちながら教科書を開いた。ふとした拍子に本の間に挟んでいたあの紅葉が目に入った。それはすでに少しずつ丸まり始め、縁が黄色く色褪せていた。太白はその葉をじっと見つめながら、どんなに大切に保管しても、変化を避けられないものがあることに気づいた。


一方、通りを挟んだ向かい側では、千葉夕嬌が太白の窓を静かに見つめていた。彼女の手には、一束のカスミソウが握られており、その表情は穏やかでありながらどこか物悲しげだった。


「どうか、彼女の心の声に気づいて。」彼女は小さくつぶやき、通りを離れていった。


週末、鈴木太白は学校近くの書店で参考書を選んでいた。そのとき、聞き覚えのある声が彼の耳に飛び込んできた。


「太白?」


振り返ると、少し離れたところに千葉夕嬌が立っていた。彼女の手には一冊の絵本が握られており、その顔には驚いたような表情が浮かんでいた。


「夕嬢?こんなところで会うなんて。」太白は少し意外そうに、手に持っていた本を棚に戻しながら言った。


「気分転換に出かけたの。それに、ついでに本を見てたのよ。」夕嬢は手に持った絵本を少し掲げて笑った。「最近気分が沈みがちだったけど、こういう童話を見ると少し気が楽になるの。」


太白は頷き、彼女の手元の絵本を見た。「そういえば、夕嬢って昔から絵を描くのが好きだったよね。中学の美術の授業で、君の作品が教室に飾られてたのを覚えてるよ。」


「そうね……あの頃は時間もあったしね。でも今は、たまにこうして慰めを見つけるくらいかしら。」夕嬢は柔らかく笑ったが、その目には隠しきれない疲れが見えた。


太白は心の中で少し動かされ、思わず口を開いた。「せっかくだから、この後カフェでも行かない?ちょっと休憩しようよ。」


夕嬢は一瞬驚いたように見えたが、すぐに頷いた。「いいわね。」


二人は近くのカフェに入り、窓際の席に腰を下ろした。夕嬢はカップの中のコーヒーをゆっくりとかき混ぜ、太白は彼女の横顔を見つめながらふと尋ねた。


「最近忙しいの?なんだか疲れてるみたいだけど。」


夕嬢は小さくため息をついた。「忙しいってわけじゃないけど……ただ、たまにいろいろ考えすぎることがあるのよ。」


「いろいろって?」太白は眉を上げた。「たとえば?」


夕嬢はカップの中をじっと見つめながら、小さな声で言った。「たとえば、自分が期待しちゃいけないものを、期待しすぎてるんじゃないかって。」


太白はその言葉に少し驚いて、何か聞き返そうとしたが、夕嬢は顔を上げて微笑んだ。「気にしないで。ただの独り言よ。」


二人は黙ってコーヒーを飲み終えた。帰り際、夕嬢はふと口を開いた。「太白、今日はありがとう。一緒にいてくれて、なんだか楽しかった。」


「それくらいでお礼なんて。」太白は苦笑しながら肩をすくめた。「何か悩みがあるなら、いつでも言ってよ。友達なんだからさ。」


夕嬢は彼を見つめ、その目に一瞬複雑な感情がよぎった。太白の言葉は優しいが、それが純粋に友達としてのものだと彼女にはわかっていた。それでも、そんなひとときを大切に思わずにはいられなかった。


学校に戻ると、文化祭の準備は最終段階に入っていた。鈴木太白のクラスはカフェを開くことに決まり、その企画や装飾は玉妃が中心となって進めていた。


ある日の放課後、玉妃は大量の設計図を持ち込み、教室で皆を集めてミーティングを開いた。


「見て、これがメニューのデザイン案で、これが装飾のスケッチ。それと、これ!」玉妃は制服のイラストを掲げて得意げに言った。「私たちが着る衣装だよ!」


太白はその様子を横で見ながら、「本当に凝ってるな。でも、一人で全部やるのは大変じゃない?」と尋ねた。


「もちろん無理だよ!」玉妃は当然のように言って彼を指さした。「だから太白、あなたには道具の運搬と注文した物資の確認をお願いするね!」


「分かったよ。」太白は苦笑いを浮かべて手を上げた。「でも、あまり無理しないでよ。体を壊したら元も子もないから。」


「大丈夫!私、めちゃくちゃ元気だから!」玉妃は胸を張って答え、そのまま他のクラスメートに指示を出し続けた。


教室の一角でその光景を見ていた夕嬢は、静かに作業を進めながらも、忙しく動き回る太白の姿に目を向けていた。その口元には、ごくわずかな微笑みが浮かんでいた。


夕嬢は特に主要な役割を担っているわけではなかったが、与えられた作業を一つ一つ丁寧にこなしていた。装飾品の整理や物資の運搬など、地道な作業もすべてきっちりと仕上げていった。


ある日の午後、夕嬢は一人で装飾品の入った箱を教室に運ぼうとしていた。そこにたまたま通りかかった太白が現れ、彼女の手から箱を取り上げた。


「夕嬢、こんな重いものを一人で運ぶなんて無茶だろ。男を頼ってくれてもいいのに。」太白はそう言って軽々と箱を持ち上げた。


「大丈夫よ、これくらいなら。」夕嬢は穏やかに笑いながら彼の後をついて歩いた。「それにしても、最近あなたも忙しそうね。わざわざ手伝ってくれてありがとう。」


「ちょうど通りかかっただけさ。お礼を言われるほどのことじゃない。」太白はあっけらかんと答えながら、「それにしても、夕嬢も疲れてるみたいだな。昨日ちゃんと休めた?」と気遣うように尋ねた。


「まあ、少しね。だけど、あなたがこんなに頑張ってるのを見ると、私も怠けていられないと思うの。」夕嬢は一瞬言葉を止め、小さく付け加えた。


その言葉を聞いた太白は笑顔を見せて振り返り、「じゃあ一緒に頑張ろう。」と明るく言った。


夕嬢はその笑顔に応えるように頷いたが、胸の内にはどこかほろ苦い感情が渦巻いていた。


文化祭の前日、クラス全体が遅くまで準備に追われていた。教室内は忙しさと笑い声に満ちていた。太白は玉妃と一緒に装飾を仕上げながら、翌日の細かい段取りについて話していた。


「ねえ太白、この提灯、窓際のここに掛けたらいいと思う?」玉妃は窓の近くのフックを指さして尋ねた。


「いいんじゃない?でも玉妃、そろそろ休んだら?顔に『疲れてます』って書いてあるよ。」太白は冗談めかして言った。


玉妃は口を尖らせながら答えた。「でも、まだやることが山ほどあるのよ!」


「残りは俺たちで片付けるから、少し休めよ。」太白はそう言って彼女の手から装飾を受け取り、その口調には断る余地を与えない強さがあった。


玉妃は一瞬驚いたようだったが、すぐに笑顔を浮かべた。「分かった。それじゃあ、後は頼んだわね。」


彼女が教室を出て行った後、残ったクラスメートと太白で最後の仕上げを続けた。ふとした瞬間、太白は窓の外に目を向けた。


廊下の突き当たりに立つ夕嬢の姿が目に入った。彼女は静かにこちらを見つめていた。


太白は軽く手を振ると、夕嬢もわずかに頷き、そのまま夜の闇に姿を消した。

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