「揺れる月夜の下で」
ある夜、鈴木太白は家の机に向かって勉強していた。突然、スマホが震えた。画面を確認すると、玉妃からの電話だった。
「もしもし、太白。今、少し話せる?」玉妃の声はどこか沈んでいた。
「どうした?」太白は手にしていたペンを置き、立ち上がって窓辺に歩み寄った。夜の街は明るいネオンに照らされていたが、不思議と静寂に包まれているように感じられた。
「……ちょっと不安になっちゃって。」彼女は一瞬言葉を詰まらせた後、少し戸惑いながら続けた。「多分私の思い過ごしだと思うけど、なんだか周りの全てが、いつ変わってしまうかわからない気がして……。」
太白は一瞬黙り込んだ後、静かに尋ねた。「今、どこにいる?」
「家だよ。」
「じゃあ、窓を開けてみて。」
玉妃は少し驚いた様子だったが、言われた通りに窓を開けた。夜風がそっと室内に流れ込み、遠くから都会の喧騒を運んできた。
「月が見える?」太白の声が電話越しに聞こえた。その声には穏やかさと確かさが込められていた。
「うん、見えるよ。」
「なら覚えておいて。どんな時でも、何があっても、月は空に変わらず輝いている。それは……」彼の声が少し途切れた。「それは僕が君のそばにいるのと同じだよ。」
電話の向こうで玉妃は数秒黙っていたが、やがて小さく笑った。「いつからそんなに上手に話せるようになったの?」
「多分最近、君に影響されたのかも。」太白は軽く冗談を交えた口調で答えた。「さあ、あまり気にしないで。早く休むんだ。」
「うん、ありがとう、太白。」彼女の声は少し安心したように聞こえた。
電話を切った後、太白は窓辺にもたれかかり、遠くの街明かりを眺めた。しかし、心の中には何か言葉にできない重みが忍び寄っていた。それは何かが静かに変化しつつある予感だった。
翌日、昼休みの時間。太白は学校の屋上の隅で、一人ペットボトルの水を手にして座っていた。彼はいつものように遠くを見つめていたが、背後から聞き慣れた足音が聞こえてきた。
「ここにいたんだ。」千葉夕嬌が教科書を抱えながら近づき、彼の隣に腰を下ろした。
「どうしたの?」太白は振り返り、彼女を見た。
「別に。ただ、最近あんたがぼんやりしてることが多いから、ちょっと心配になっただけ。」夕嬌は手にしていた教科書をぱらぱらとめくりながら、何気ない調子で言ったが、その声には少し探るような響きがあった。
太白はしばらく黙っていたが、やがて小さな声で答えた。「多分、最近いろいろなことが重なってるからかな。」
「玉妃のことだよね?」夕嬌は顔を上げ、彼の目をまっすぐに見つめた。「最近、彼女もちょっと様子が変だよ。」
「なんで分かるの?」
「友達だもん。それくらい気づくよ。」夕嬌の声は冷静だったが、彼女の調子には揺るぎない確信があった。「もし本当に彼女を安心させたいなら、ただ慰めるだけじゃなくて、彼女が何を心配しているのか、ちゃんと理解しなきゃだめだよ。」
太白は一瞬、驚いたように彼女を見つめた後、静かにうなずいた。「君の言う通りだね。気をつけてみるよ。」
夕嬌は微笑みながら、少し軽い調子で言った。「珍しいね、私の言うことを素直に聞くなんて。」
「だって、正しいことを言ってるから。」太白は立ち上がり、伸びをしながら夕嬌をちらりと見た。「ありがとう、夕嬌。」
「礼なんていいよ。」夕嬌は小さな声で答え、彼が屋上の扉に向かって去っていくのを見送った。彼女の目は次第に柔らかい表情を帯び、口元には薄い微笑みが浮かんだ。
放課後、玉妃と太白は自習室で一緒に勉強していた。周囲は静まり返り、ただペンが紙を走る音だけが響いていた。
突然、玉妃がペンを止め、太白の方を向いて話しかけた。
「太白、私って迷惑じゃない?」
「そんなことないよ。」太白は顔を上げ、自然な口調で答えた。
「でも……」玉妃は視線を落とし、教科書の上に指で円を描きながら言葉を続けた。「時々、自分が君に頼りすぎている気がしてならないの。」
「頼るのは悪いことじゃない。」太白はノートを閉じて、真剣な表情で言った。「誰かと分かち合えるなら、一人で抱え込む必要はない。君が僕を信じてくれるのは、嬉しいことだよ。」
玉妃は顔を上げ、太白の目をじっと見つめた。その目には、彼の言葉の真意を確かめようとするような表情が浮かんでいた。
「ありがとう、太白。」彼女の声は柔らかく、どこか安心した響きがあった。
週末、太白と玉妃は近くの公園へ散歩に出かけた。秋の気配が漂い始めた公園では、木の葉が黄色く色づき、足元に積もる葉が歩くたびにサラサラと音を立てた。
玉妃はしゃがみ込み、形の変わった一枚の紅葉を拾い上げて太白に見せた。
「見て、この葉っぱ、ハートみたいじゃない?」
太白はそれを見て、少し笑いながら答えた。「どちらかというと、割れたハートみたいだけど。」
「ちょっと!雰囲気壊さないでよ!」玉妃は頬を膨らませ、その紅葉を太白の手に押し付けた。「せっかく見つけたんだから、ちゃんと持っててよね。」
「分かったよ。大事にする。」太白は冗談めかしながらも、その葉を教科書の間に挟み、大切そうにしまい込んだ。
2人は公園の小道を並んで歩きながら、たわいのない話をして笑い合った。玉妃の笑い声は鈴の音のように澄んでいて、風に乗って心地よく響いていた。
だが、その一見平穏で甘やかな日常の中で、太白の胸には消えない不安が芽生えていた。玉妃の依存、夕嬌の気遣い、そして自分が2人との関係をどう考えるべきか――すべてが少しずつ、以前とは異なる方向へずれていくように感じられた。
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