「雨上がりの記憶、心に残る波紋」

雨に濡れた制服は、土の匂いが混じった雨水の気配を漂わせていた。太白は玄関の扉を押し開け、靴底から滴る水が床を叩き、広々とした室内にその音が響いた。彼は外套を脱ぎ、びしょ濡れになった靴を玄関のマットの上に置いた。外套を掛けると、冷え切った布地が手に触れ、指先が凍えるような感覚を覚えた。


周囲を見渡してみると、家の中はやはり暗い。窓の外の街灯の明かりが、半開きのカーテンを通して薄く部屋の床に差し込んでいる。テレビは誰も見ておらず、ニュースチャンネルが機械的に繰り返し流れる音が、この静寂の中にわずかな「人の気配」を偽装していた。


太白の両親は仕事の都合で頻繁に家を空けるため、家はいつも冷え冷えとしていた。そんな状況にも、彼はもう慣れきっていた。


食卓に近づくと、テーブルの上に置かれたメモに気づいた。メモの下には数枚の小銭が置かれている。

「冷蔵庫に晩御飯があるから、自分で温めて食べなさい。必要なものがあれば、このお金を使って買うといい。」

簡潔な一文には、お決まりの距離感が漂っていた。余計な気遣いや注意書きさえも省略された、いつもの内容だった。太白は軽くため息をつき、そのメモを片手で取り上げ脇に置くと、キッチンに向かった。


冷蔵庫を開けると、中にはお弁当箱がひとつ、冷蔵室の中でひっそりと横たわっていた。それは、不器用な温もりを込められた品のようで、家に彼を待つ人がいないことを無言で伝えていた。


電子レンジの音が「ブーン」と鳴り響き、機械的な音が静かな空気をかき乱していた。その音が、この家の孤独さをいくらか紛らわせるかのようだった。彼はキッチンの窓辺に立ち、外に降り続けていた雨の跡を見つめた。窓ガラスを伝う雨粒を眺めていると、ふいにあの涙を浮かべた瞳が脳裏に浮かび上がる。そして、耳元に響く声が鮮明に蘇る。「ありがとう」という小さく弱々しいながらも、確かな思いが込められた言葉が。


食事を終えると、彼は食器を片付け、自分の部屋に戻った。書斎机の上には小さなスタンドライトが置かれ、その淡い光が机の上に広がっている。太白は一冊の本を開き、勉強に集中しようとした。しかし、目はページを追っているものの、思考はすでに遠くへ漂っていた。

「彼女はどうしたんだろう?」

彼は顎に手を乗せ、独り言のように小声で問いかけた。思い返せば、彼女の微かに震える声と雨音が絡み合い、不思議な旋律を奏でるように脳裏に刻み込まれている。窓を叩く雨粒の音は、まるで心臓の鼓動のように彼を導き、答えの見つからない探求へと誘っているのだった。


家の扉を開けると、味噌汁の香りがふんわりと漂い、温かく柔らかな気配が迎えてくれた。母親がキッチンから湯気の立つお椀を持って出てきたところだった。玉妃(ぎょくひ)の濡れた姿を見た母親は、眉をひそめた。

「帰ってきたの?なんでそんなに濡れてるの?傘は?」


「忘れた。」玉妃は小さく答えながら、俯いて靴を脱いだ。言葉ははっきりせず、濡れた上着を椅子の背にかけた。母親の視線を避けようとしたものの、その視線が長く自分に留まっているのを感じていた。


父親は新聞を置き、ちらりと玉妃に視線を向けた。その目には複雑な感情が浮かび、平静な表情の奥に波立つものを隠しているようだった。

「着替えてきなさい。風邪を引くよ。」父親の声は穏やかではあったが、語尾が少し低く抑えられ、冷たい響きを含んでいた。


二人の視線が短く交差し、玉妃の心臓は一瞬止まりそうになった。足が自然と早くなる。部屋の扉を閉めた瞬間、母親の低い声が耳に届いた。

「彼女、転校したばかりなんだから、あんまりプレッシャーをかけないで。」


「転校したのは、自分が成績を落としたせいだろう?俺に何を言えって言うんだ?」

父親の声は抑えられていたが、その中に怒りと失望が感じ取れた。玉妃は扉にもたれかかり、目を閉じてその低くなりつつある言い争いを遮ろうとした。そして、握りしめた着替え用の服をさらに強く握り締めた。


着替えを終えた玉妃は机に向かい、濡れた鞄をそっと置いたが、手はなかなか離れなかった。視線は開いた教科書を一度掠め、その後、机の上の鏡で止まった。


鏡に映る自分の姿――顔色は青白く、濡れた髪が頬に張り付いていた。それはまるで雨に打たれた古びた写真のようで、活気が失われ、その姿が刺々しく見えた。彼女はそっと頬に手を当てた。その冷たい感触に眉をひそめる。これは雨水でも涙でもない。ただ、言葉にならない疲労だった。


教科書の文字が次第にぼやけていく。視界の中にふと現れたのは、優しげな瞳――見知らぬようでいて、どこか馴染みのある眼差しだった。雨の中で聞いたあの声が、脳裏に再びよみがえる。

「拭いてください。このままだと風邪を引きますよ。」


喉が少し詰まり、教科書の縁をなぞるように指先を滑らせる。その考えを振り払おうとするかのようだった。それでも、あの声と曖昧な姿は、雨上がりの空気のように消えてくれない。「ただの偶然の出会いだったのに……なんでこんなに気になるんだろう?」その呟きは静かな部屋の中でかすかに響き、玉妃自身もその声をはっきりとは聞き取れなかった。


外を見ると、雨がだんだん止み、夜空にはいくつかの星が姿を見せていた。雨に洗い流された街並みはひときわ清らかで、街灯の光が濡れたアスファルトに映り、静かな鏡のように輝いていた。


玉妃はカーテンを開け、その静寂な街の景色を眺めたが、胸の内にはまだざわめきが残っていた。手を窓枠に置き、冷たい感触を感じながら、離れたところにある温もりを探るような思いが胸をよぎった。雨の中での出会いは、彼女の平穏な心に石を投げ込んだようで、小さな波紋を広げていた。


「彼……私のこと、どう思ってるの?」

彼女は小さく自問した。窓ガラスに映った自分の頬には、ほんの少し微笑みが浮かんでいた。それは、雨上がりの晴れ間のようにほのかで、どこか恥じらいのある陽射しのようだった。「きっと……彼は特別なんかじゃない。」自分にそう言い聞かせようとしたが、気づけばまた思い出していた。

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