「雨宿りの邂逅、心に差し込む一筋の光」
その頃、雨の中を沖田玉妃が足早に歩いていた。表情には焦りと苛立ちが混じり、独り言を呟いていた。
「なんで分かってくれないの……?私、こんなに頑張ってるのに……」
日々のストレスや家庭の問題が彼女の胸を重く締めつけ、息苦しさを感じさせていた。雨が降り出した空を見上げ、玉妃は自嘲気味に小さく笑った。
「結局、誰も私のことなんて分かってくれないよね。」
雨脚が強まる中、彼女は古びたカフェの軒下に駆け込み、制服や髪から水滴を振り払った。薄暗い街灯が雨に揺れながら軒下を照らし、彼女の影を淡く地面に映し出していた。
その時、もう一人の人影が雨を避けるために駆け込んできた。彼女が顔を上げると、目の前には今日隣の席になった鈴木太白が立っていた。
彼も玉妃に気づき、一瞬驚いたような表情を浮かべた。雨に濡れた制服や髪から滴る水滴が静かな空気の中で響く。二人の間には短い沈黙が漂い、少し気まずい雰囲気が広がった。
太白は、彼女の赤くなった目元を見て、泣いていたことに気づいた。何かを言おうとしたが、言葉を選びかねてしばらく迷った。
やがて、彼は優しい声で話しかけた。
「濡れちゃったね。」
玉妃は小さく頷き、その声にわずかな安心を覚えたようだった。
太白は鞄からティッシュを取り出し、差し出した。
「これ、使って。濡れたままだと風邪引いちゃうよ。」
玉妃は少し戸惑いながらもそれを受け取り、小さな声で「ありがとう」と言って顔を拭った。その短い一言には、彼女の心の奥底にある感情が詰まっているようだった。
太白は微笑みながら返事をした。
「どういたしまして。」
しばらくして、彼は話題を変えるように尋ねた。
「沖田さん、どうして桜丘高校に転校してきたの?」
玉妃は一瞬躊躇した後、静かな声で答えた。
「前の学校で色々あって……それでここに来ることになったの。」
太白はそれ以上何も聞かず、ただ優しく頷いて言った。
「そっか。でも、ここでは新しい生活を楽しめるといいね。あ、僕は鈴木太白。これからよろしくね。」
玉妃は一瞬彼を見つめ、少し表情を緩めた。その瞬間、彼の笑顔から不思議な温かさを感じ取ったようだった。彼女は小さく微笑みながら、静かに言った。
「沖田玉妃……よろしくお願いします。」
鈴木太白の穏やかな口調に、沖田玉妃は次第に警戒心を解いていった。
最初は少し慎重さを残した返事をしていた彼女だったが、雨音に包まれる中で、二人の会話は徐々に軽やかで自然なものになっていった。
彼らは、どうして傘を持っていなかったのかという話題から始まり、学校生活の些細な出来事について、取り留めもなく話し合った。地面に雨が当たる音はまるで心地よいBGMのように響き、この偶然の出会いを特別で穏やかなものに感じさせた。
太白は無意識のうちに玉妃をじっと観察していた。彼女の話し方や表情には、彼女の表面的な内向的な印象とは異なる何かが隠されているように思えた。沈黙の背後には、言葉にできない多くの物語が潜んでいるような気がしてならなかった。
一方で、玉妃もまた、そっと太白を観察していた。この静かで優しげな少年は、自分とは正反対の性格の持ち主なのに、なぜか親近感を感じさせた。彼の何気ない言葉の中から伝わってくる、どこか懐かしい孤独感。それが彼女の心の奥底にある外界への壁を、ゆっくりと崩していくように思えた。
雨脚が次第に弱まり、街灯の黄色い光が水たまりに反射し、小さな輝きを放っていた。その光景はぼんやりとしていながらも、どこか温かさを帯びていた。二人は同時に言葉を止め、小雨の降る夜空を見上げた。その短い沈黙の瞬間には、微妙な感情が漂っていた。
太白は、降り止む雨を見つめながら、名残惜しさを感じつつも、先に口を開いた。
「雨、そろそろ止みそうだね。」
彼の声は低く落ち着いていたが、どこか別れの余韻を残していた。玉妃は軽くうなずいただけで、何も言わなかった。その短くも貴重な静けさを壊したくなかったのかもしれない。
太白は一瞬だけ躊躇したが、柔らかい笑顔を浮かべて静かに言った。
「気を付けて帰ってね。」
その言葉を残し、彼は家の方向へ歩き出した。彼の足取りはゆっくりとしていながらも、確かなものだった。
玉妃はその場に立ち尽くし、彼の背中が街灯の先に消えていくのをじっと見送った。胸の中には、複雑な感情が渦巻いていた。その感情を自分でも完全には理解できなかった。ただ一つだけ確信していたのは、この短い出会いが、自分の閉ざされた心に小さな窓を開けたということだった。
雨上がりの空気は、清々しくもわずかに湿り気を帯びていた。鈴木太白は一人、家へと続く道を歩いていた。その足取りは時に軽やかで、時に立ち止まる。頭の中には先ほどの会話が繰り返され、玉妃の瞳に浮かんだ涙の痕が蘇る。「彼女はなぜ泣いていたのか?」その問いが心の奥でくすぶり続けている。しかし、それ以上に強く湧き上がるのは、再び会えることへの期待だった。
同じ頃、玉妃も帰り道を歩いていた。街路灯の明かりが霧を透かして微かに差し込む中、彼女の心はふわふわと漂っていた。普段は他人との距離をはっきりと線引きしていた自分が、あの雨の夜には何の躊躇もなく見知らぬ相手と語り合った。その久しぶりに感じた自然な感覚と安らぎは、彼女自身を驚かせた。同時に、こうも思う――「もしかしたら、この瞬間から自分の生活が少しずつ変わるかもしれない」と。
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