第4話
2018年12月
体育館からボールが床を打つ音とバッシュが床にすれる音が聞こえてくる。12月の市民体育館の業務は忙しい。一般のお客様への施設の貸出しの他にクリスマスにちなんだ行事が増えるからだ。今月の体育館のイベント情報が載ったスケジュール表を事務所のパソコンで確認していると先輩が声をかけてきた。
「三島さん、今週の忘年会の段取りはちゃんと進んでいるのかしら」
11月22日。先月のいい夫婦の日に入籍をしたばかりでまだ三島と呼ばれることに慣れていない。先輩の問いかけが自分へのものと気づくのにもワンテンポ遅れてしまい慌てて返事をした。
「は、はい。大丈夫です。全員に出席の確認はしましたしお店の方も予約は取っておきました」
お世辞にも痩せているとは言えない先輩は用もないのに事務所に来ては誰かが買ってきた大袋に入ったチョコを1個取り出し食べている。もう何年も彼氏募集中で、いろんなマッチングアプリに登録していてるらしく、今年のクリスマスも地元の遊園地で行われる街コンに参加すると他の先輩が話してくれた。私が入社した当時はすごく優しい先輩だったのだが私に彼氏がいると知った時から態度は変わり、結婚すると知った時も露骨に嫌な顔をされた。
「あなたと旦那さんって中学時代からのお知り合いなんでしょう。旦那さんが1個上の先輩なのよね?しかもその頃からお付き合いしていたらしいじゃない?だとしたら大恋愛よね?羨ましいわ。私もあんな素敵な人と運命の出会いをしてみたいわ」
先輩は私が質問に答える前に矢継ぎ早に喋りまくった。
「いえ。確かに中学は同じだったんですけど、私その時は他に好きな人がいて。彼のことは全然知りませんでした」
「へえ。じゃあなんで付き合うことになったの?」
「大学が同じで。県外の大学だったんですけど同郷ってことで仲良くなって。大学2年の時に私がサークルのみんなに手作りのチョコ持って行ったことがあったんです。そのチョコを彼が凄く気に入ってくれて。それからすぐお付き合いさせていただくことになりました」
「男はやっぱり胃袋からってことでいいかしら?」
先輩は私の話を何やらノートに必死にメモしていた。私は先輩の前で横たわっている大袋のチョコに手を伸ばした。
2007年9月
私にとって長い長い夏休みがようやく終わった。私は人生で初めて片思いをしている。今まで相手から告白をされて付き合うことはあったけれど、自分から誰かを好きになったのはこれが初めてのことだった。彼とは夏休みの間一度も連絡をしていない。会わない間に恋が冷めるということはなく、むしろ会えない時間がより彼を思う気持ちを加速させた。
気付けば私はいつもより早く教室についていた。教室にいる数人のクラスメイトと挨拶をすましてから自分の席に着いた。彼の姿はまだない。窓の外を眺めながら彼が登校してくるのを待つことにした。グラウンドで朝練のランニングをする陸上部の姿を目で追う。清本君の姿が目に入る。清本君が校舎の方を向いたので手を振ろうかと思ったが彼はまたすぐグラウンドの方を向き走って行ってしまった。彼はこの夏に短距離走で県大会を優勝し全国の出場を決めていた。体育祭の彼の姿を見ていたからその知らせを聞いた時はさほど驚きはなかった。ただ学校に着いて自転車置場から下駄箱に向かう途中、校舎の屋上から『清本慎吾、陸上競技100メートル全国大会出場おめでとう!』と書かれた垂れ幕を目にした時には全身に鳥肌が立つのを感じた。普段はお茶らけている彼がたまに見せる勇姿をかっこいいと素直に思った。予鈴のチャイムが鳴りグラウンドで朝練をしていた生徒たちが一堂に片付けを始め教室に向かってくる。
「おはよう。藤田」
夏休み前と何も変わらないその声にドキッとして振り向く。私は自然と口角が上がり笑顔になった。
「悟君。おはよう」
私が初めて会った時の彼はさくらのことを目で追っていた。その分かりやすく純粋な彼のことを私は応援したくなった。毎日のようにさくらの好きな物や興味のあることを教えてあげたし、恋愛相談をたくさん受けた。さくらの話をするときの彼の顔は本当に真剣で一途でどこか優しさを感じた。毎日会話を交わしていくうちに私の中で彼への思いが徐々に変化していった。彼が好きな相手がさくらじゃなかったらどうだろうか、もし彼の好きな人が私だったらどうだろうか、なぜか自然とそんなことを考える日が増えていったのだ。そんな時だった。私が白木君と別れたと聞いた彼が今まで見たことがないくらいに本気で怒ってくれたのだ。私のために。友達として怒ってくれたと分かってる、分かっていたけど私は彼のことを好きになった。
夏休み明け、久しぶりに会った彼は何も変わっていない。顔も声も仕草も私が好きな彼のままだ。そして心も。今この時もさくらの事を目で追っている。悟君が好き。私は彼の横顔を眺めた。
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