第2話
クラス替えから1ヶ月が立とうとしていた。悟は相変わらず吉見のパシリを仰せつかっていて、今日も職員室に呼び出されていた。
「いつも悪いわね。プリント運んでもらっちゃって。あなたみたいに真面目な生徒がいて助かるわ」
真面目なのだろうか。嫌なことを嫌と言えない自分を悟は肯定する気にはなれないでいる。
「あなた、そろそろ何か部活に入ったら?ほら清本も陸上部で頑張ってるじゃない。しかもクラス委員まで立候補しちゃって。あなたも何か打ち込んでみないと。いつまでもプリント運びじゃねぇ」
「先生、俺そういうのはちょっと」
いつのまにか清本はパシリから解放されていた。部活に委員会と忙しいらしく吉見の相手をしている暇はないようだ。ただ突っ立っているだけの悟に吉見はそれ以上何も言わなかった。悟は独り言のようにぼそっと失礼しますと挨拶すると職員室を後にしようとした。悟が扉に手をかけるより先に、ガラガラっと職員室の扉がひとりでに開いた。扉の先にいたのは棚田だった。
「棚田さん?何してるのこんなとこで。まさか呼び出し?」
意表をを突かれ立ち尽くしている悟の後ろから吉見が近づいてきて新聞紙らしきものを丸めた筒状の棒で悟の頭を小突く。
「あんたじゃないんだから呼び出しな訳ないでしょう。棚田さんごめんなさいね。クラス委員としてこの子の面倒も見てあげてね」
「先生、さっきは真面目な生徒って褒めてくれてたじゃないですか」
何が気に入らなかったのか吉見の眉間にはまたシワが寄っていた。悟と吉見の会話を微笑ましく眺めていた棚田はクラス委員の業務で吉見の所を訪れていた。
「来週の職場体験のグループ分けをそろそろ考えたくて」
「それって確か好きなところにみんな行けるんじゃ」
何社かある企業の中から自分が働いてみたい職業を選んで業務の体験をするのだ。車好きの男子達がこぞってガソリンスタンドの職場体験を選んでいたので悟も便乗してみんなと同じものを選んでいた。
「誰が好きな所に自由に行けるって?希望が片寄ったら調整するって最初に言ったでしょう」
吉見の眉間のシワの深さとため息の深さが俺の無能さを表現してくれている。そんなことを心の中で自虐しながら悟は聞いた。
「じゃあどうするんですか?誰も希望を出してない職場もあるんですか?」
悟の質問に吉見ではなく棚田が答えた。
「ドラッグストアなの。みんなに企業リストを配った時にはまだ掲載ができてなくて、女子の方はなんとかなったんだけど男子の調整がまだで」
「へー。ねぇそれって俺でもいいのかな?俺は別にどこでもいいんだけど」
悟は棚田が話している時から吉見の鋭い眼差しがこちらに向けられているのはひしひし感じていた。その眼差しも悟のこの発言で柔らかくなったように感じた。
「高木。あんたならやってくれると思ってたわ。棚田さん、この子のことお願いね」
「お願いってまさか棚田さんもドラッグストアなの?」
「うん。高木君よろしくね」
真面目な自分への神様からのプレゼントだと悟は思った。
「失礼します!」
心の中でガッツポーズした悟は今度は自分の手で職員室の扉を開けるとその場を後にした。
ドラッグストアの職場体験には悟と棚田のほかに藤田、それと同じクラスでサッカー部の白木も一緒に参加することになっていた。悟はてっきり清本も一緒だと思っていたが違っていた。棚田が言うには清本本人は行く気でいたらしいのだが、2年2組が誇る問題児だらけの男連中を取りまとめる人物が必要とのことで吉見の許可が下りず、ガソリンスタンドでの職場体験を余儀なくされていた。清本に取りまとめなんてできるのかなと思ったが棚田さんは意外にも信頼を寄せているようで清本君なら大丈夫だと思うよと話した。
「悟君も一緒なんだ。良かったね」
ある日の昼休憩に藤田が言った。藤田とは隣の席ということと棚田への好意を知られていることもあり毎日のように話していた。そして何より藤田とはほかの女子とは違ってよく話が弾んだ。そんな藤田は最近白木と付き合い始めたらしい。二人が付き合い始めたのを知ったのは2週間ほど前のことだ。放課後の帰り、体育館裏の自転車置き場で一緒に帰る二人と鉢合わせたからだ。悟にとっては二人が付き合っていようとなんの関係もないことだったが何故か二人から目を逸らしてしまった。そのことをごまかすかのようにスクールバックのポケットから自転車の鍵を探すふりをしていたのだが何故か白木が話しかけてきた。
「俺たち付き合ってるから」
白木とは一年の時から同じクラスだったが話したことは数回しかなかった。サッカー部の彼とはあまり馬が合わないきがしていたからだ。彼がわざわざ自慢するかの如く声をかけてくる意味が分からないし純粋にムカついた。あぁと曖昧な返事をする悟を無視して二人は校門の方に向かっていった。丁度逆行になっていてその時の二人の表情を確認することはできなかったがきっと笑顔で会話をしているであろうことは悟にも容易に想像ができた。その出来事の後も別に藤田が白木の話をしてくることはなかったし、悟から二人について聞くこともしなかった。
職員室で訪問先が決まってから一週間が経った。悟たちは学校から歩いて15分くらいのところにあるドラッグストアに訪れていた。普段からよく買い物している見慣れた店舗だ。その日は開店前で駐車場は従業員の車と商品を納品している大型トラックが止まっているだけだ。静かな雰囲気がどこか緊張感を煽ってくる感じがする。
店舗裏の従業員入口と赤い字で書かれたドアの横についてあるインターホンを白木が押した。少ししてセンター分けで黒縁の眼鏡をかけた白衣姿の店長と書かれた名札を付けた少し背の高い男が扉の向こうから現れた。
「職場体験の子たち?よく来たね。よろしく」
疲れているのか少し暗く小さな声で店長は言った。休憩室に招き入れられた悟たちはエプロンと研修中の腕章を渡されつけるよう促された。その後の朝礼には店長のほかにパートスタッフが二人いた。二人とも自分たちの親より少し若いくらいの女性で優しく迎え入れてくれた。
「じゃあ女の子二人は吉田さんと一緒に品出しをお願いします。男の子二人はそうだな、店舗周りの草むしりお願いしていいかな。では今日も一日よろしくお願いします」
職場体験と言っても任される業務は基本雑用のようなものがほとんどだった。恐らく普段は人手がが足りず野放しになっていたのであろう。店舗裏の雑草は膝上より高いくらいまで伸びてしまっている。店長は助かるよと言って店舗に戻っていたがその顔は本当に困っていたのだろう。すごく嬉しそうに見えた。
建物が陰になっていて作業はそこまでつらいものではなかった。悟と白木は特に会話をすることもなく黙々と草をむしる。先に口を開いたのは白木のほうだった。
「棚田さん、小澤部長のことが好きって本当かな」
小澤はサッカー部の部長でキャプテンをつとめる人だ。高身長で男の悟から見てもイケメンと思える高スペックな人。運動部の人間ならだれもが憧れを抱いてる存在だ。運動部ではない悟も小澤とは関りがあった。一年の時だ。うちの学校にはサッカー部を中心に運動部を退部した人で不良グループが形成されていた。その中の一人と言い合いになり放課後の校舎裏に呼び出された。
「タイマンだよ、タイマン。誰とやるんだよ」
悟が不良グループのリーダー格の先輩に詰められているところにどこからか小澤が現れてその先輩と話を始めた。先輩同士の話し合いが終わると今度は悟とトラブルになったグループの一人が詰められる形となった。
「話が違うじゃねーか」
「違うんです。違うんです」
ドンっと一発ボディブローを受けた彼は引きずられながら校舎裏のさらに奥のゴミ庫へとグループもろとも消えていった。
「眼鏡くん大丈夫?違うことは違うって言わないと。あいつら話せば分かる奴らだから」
そういうと小澤はニッと笑って見せた。一年の揉め事をどこからか聞きつけ助けに来てくれたらしい。それ以来小澤とは校舎ですれ違えば挨拶をするくらいの間柄にはなっていた。棚田が小澤を好きだという噂はもちろん悟も聞いたことはあったが直接本人から聞いたことはなかったし、そもそもそんな噂は棚田以外の女子でもよくある話だった。
「知らないな。ただの噂話じゃないのか。てかなんでそんなこと俺に聞くんだよ」
「だってお前藤田と仲良いだろ。何か聞いてるかと思って」
「なんだそれ。仲良いっていうけどお前ら付き合ってるんだろ」
そうだよなと白木が呟いてまた沈黙が続いた。変な奴だなと悟が思っていると従業員入口のドアが開く音が聞こえた。棚田さんだった。
「二人ともお疲れ様。店長が呼んでる。休憩だって」
頑張った甲斐もあり草むしりは午前中のうちに片付いた。午後からは悟たちも店内業務に移っていいと店長が言ってくれた。休憩室で休んでいると藤田が近づいてきて言った。
「お客様に失礼なこと言っちゃだめだからね。悟君、おばさんとかおじさんとか思いついたことすぐ言っちゃうんだから」
「言わねーよ。俺もこれでも一応考えて発言はしてんの」
「嘘。じゃあなんであんなに吉見先生に怒られるのよ」
「あれはみんなが言わせてるというか、そういう空気にしてるんだろ」
「なにそれ。意味わかんない。でもそれが悟君の良いとこかな」
意味わかんないのはこっちだと思ったがそれは言わずに代わりに言った。
「俺とばかり話してるけどいいの。白木とは話さないの?」
「いいの。いつも話してるから」
俺ともいつも話してるけどな。そんなこと思っていると店長が休憩室に入ってきた。
「みんなお疲れ様。チョコ好きだよね?冷蔵庫に入れておくから食べて食べて。午後からもよろしくね」
午後からの業務は品出しだった。午前中に業務を教わっていた棚田たちがやり方を教えてくれた。黙々と取り組むことが好きな悟は品出しのやり方をすぐ覚え納品を片付けていった。
「どう仕事。楽しい?」
「はい。楽しいっす」
「楽しいか。仕事を楽しいって思えるのは才能だと僕は思うんだ。君、この仕事向いてるかもね」
店長は小さな声でそう言うと俺が品出しした箇所をきれいに陳列し直していた。
「業務連絡です!店長、至急レジまでお願いします」
店内に従業員の吉田さんの声が響く。それを聞くや否や店長はレジの方に向かって走り出していた。悟たちも何事かとレジの方へ向かった。そこでは一人の女性が店長に連れられて休憩室のある倉庫の方へ向かっているところだった。慌てる悟たちに気付いた吉田さんが教えてくれた。
「彼女、万引き犯なの。以前もうちの店で万引きをしたことがあって出入り禁止になってたんだけど。ほら、右のポッケからチョコ見えてるでしょ。あれお金払ってないのよ」
しばらくして警察官が店に到着すると万引きをした女性と一緒に店を出ていった。
清潔感のある綺麗な顔立ちのその女性が万引き犯だと悟はまだ信じられない。たかが万引きで警察に連行される姿をみて可哀そうにも思った。そんな悟の気持ちを見透かすかのように店長は言った。
「万引きで潰れるお店もあるんだよ。彼女が盗ったチョコは100円くらいのものだったかもしれない。でもその100円を稼ぐために僕たちは何時間も働かないといけない。それに万引き犯は彼女だけじゃない。ちゃんと対策をしないと100万、200万と盗られてしまうものなんだよ。僕はね、この店とこの店で働く従業員を守る責任があるんだ」
怒りのこもった口調で店長は言ったがその表情は少し悲しげにも見えた。
「みんな今日は本当にありがとう。おかげで仕事が進んだよ。本当は何か教えなければいけないと思うんだけど僕は人の指導が向いてないらしいね。何も教えてあげられなかったけど、少しでも君たちがお店で働く従業員の気持ちを理解してくれたら嬉しいな」
午後からの業務はドタバタのせいであっという間に終わったように感じる。
従業員口で店長の見送りを受けると慣れない業務と緊張からか急に疲れがあふれ出る感じがした。学校までの帰り道はどことなくみんな口数が少なかった。
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