ショコラート・パラドックス

@laviiia0603

第1話 

2024年6月

「店長、警察への連絡完了しました」

「ありがとう中西さん。さて」

長机とパイプ椅子が2つあるだけの簡素な事務所にはいつもより重たい空気が流れていた。そこには店長と書かれた名札を付けた白衣姿の男と黒縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男の二人がいた。事務所の壁には社訓や店舗マニュアルの他に特売のチラシなどが壁一面に張り出されている。中西が部屋を出てから少しして白衣の男が重い口を開いた。

「万引きをしましたよね?」

「はい。チョコレートを盗りました」

埃一つない綺麗に片付けられた長机の上にはチョコレートが一個だけポツリと置かれているだけだ。しばらくの沈黙の後、白衣の男がどこか悲しげな声で言った。

「なんで、なんであなたが万引きなんてしたんですか?」


2007年4月

 午前8時00分。グラウンドの奥から野球部の野太い声が聞こえてくる。朝練の最中なのか声出しをしているようだ。普段のこの時間ならまだ登校している生徒は少ない時間だが今日はいつもより人影が多い気がする。下駄箱の奥にある掲示板の方からも数人の声が聞こえてくる。そこには既に小さな人だかりが出来ていて高木悟も人混みの中から掲示板を眺めていた。


 ずれかけた眼鏡をグイっとかけ直した悟が掲示板に張り出されているクラス分けの表を見ていると後ろから右肩をポンっと叩かれ声をかけられた。悟が掲示板に夢中になっている間にも人の数は倍以上に増えていた。

「悟、俺たち2組だな」

声をかけてきたのは清本慎吾だった。彼とは小学生の頃、いわゆる親友のような間柄だった。しかし中学に進学してからはクラスが離れ疎遠になっていた。知り合いが同じクラスと知って安心したこともあったが、清本から声をかけられたのが素直に嬉しかった。中学進学以降、彼の方から距離を取るようにしていると感じていたからだ。

 清本の方は一年の時につるんでいた仲間とは1人クラスが離れてしまい知り合いがいないと嘆いていた。そんな彼を横目に悟はどうしても確認しておきたいことがあり掲示板の方に向き直った。

「棚田さん、棚田さん、あ、あった」

棚田さくら。天真爛漫で明るい彼女は一年の時からクラスの中心人物だった。誰にでも気さくに話しかける彼女に好意を寄せる男子は多くいた。御多分に洩れず悟もその1人だった。顔がにやけそうになるのに気付いた悟は慌てて口元に手を当て、人混みからすこし離れた踊り場のほうに出る。深呼吸をして人混みで酸欠気味になっている体に新鮮な空気を取り入れ一度落ち着いてみる。新しい学校生活に舞いあがっている自分が少し他人のように感じた。


 2年2組の担任は吉見という現代文の女教師だった。少しふくよかな体型でなぜか常に眉間にシワを寄せている。第一印象はめんどくさそうなおばちゃんと言ったところだろうか。初日から小言のような説教が長々と続き、昼休憩の段階でクラスにはどこか疲弊した空気が流れていた。その時だ。

「悟君ってさくらのこと好きでしょ?」

お昼の弁当も食べ終わりウトウトと眠りに着きそうになっていた悟の眠気は一気に吹き飛んだ。棚田と同じテニス部で親友だという隣の席の藤田沙耶香がこちらを見ている。

「私さくらと一緒にいることが多いからなんとなく見ててわかるんだよね。さくらのこと好きだって思ってる人。私、悟君のこと応援してあげる」

藤田は悟と目が合うとニコッと笑って肩を2度ポンポンと叩いた。ドキッとした悟は慌てて尋ねた。

「あの、棚田さんはそのこと」

「どうだろう。私は何も言ってないしたぶん気付いてないんじゃないかな」

それを聞いて安堵したのも束の間、藤田はまたしても突拍子もないことを言い放った。

「悟君以外にもこのクラスにさくらのこと好きな人いるでしょ。ほらあの天パの、えーと、そう清本君」

藤田いわく2人はどうやら部活で面識があるらしかった。テニス部の棚田さんを陸上部の清本が遠くから眺めていたと彼女は教えてくれた。

「遠くからって。それじゃあ別に棚田さんを見てたとは限らないだろ。他に気になる子がテニス部にいたかもしれないし」

「確かにそういう考え方もできるけど」

「そうだよ!絶対にそうだ!」

「でもさ」

「なんだよ?」

「悟君がさくらのこと好きなのは当たってるんだよね?」

悟がそれ以上藤田に反論することはなかった。


 放課後、悟と清本は職員室の片隅にいた。明日授業で使うプリントの仕分けを吉見から命じられていたのだ。事あるごとに雑務を与えてくる。

「なんで初日から目をつけられてるんだよ俺たちは」

「それは悟が先生のこといきなりおばさんとか言ってバカにするからだろ。まあ俺がくそばばあとか言って追い討ちかけたのも悪いけどさ」

「いや完全にお前のせいだろそれ」

「でも悟はいいじゃん。別に今は部活もしてないんだし。俺早く部活に行きてーよ」

悟は藤田の話を思い出していた。元々清本も悟と同じでそんなに部活動を一生懸命やるタイプではない。そんな奴がなぜ早く部活に行きたいのか。

「清本さ、2組の第一印象はどうよ?」

「面白いクラスになりそうじゃね。悟もいるし。笑えるんだよお前さ」

「うるせぇよ」

「あ、あとさ、棚田さんっているだろ。あの子ってどんな子なの?一年のとき悟たしか同じクラスだったよな?」

清本の口から棚田の名前が出たことで藤田の言葉を思い出す。それと同時に悟の中で昔の記憶が蘇っていた。小学生の頃、隣街から転校してきた清本とは最初全く口を聞いていなかった。清本と仲良くなったきっかけは好きな子が一緒だったからだ。共通の恋をしていると知って次第に親友と思えるほど仲良くなっていった。ある時クラスの誰かが悪ノリで言った。

「みほちゃんが好きなの転校生の清本君だって!」

初めての失恋だった。それと同時に悟は清本には敵わないのではないかという劣等感をそのとき密かに抱いていた。

「棚田さんのことはよく知らないな。同じクラスだったけど特別仲良かったわけでもないし」

「そうか。でもさっき藤田と3人で話してたよな。てっきり仲良いのかと思ったよ」

「それは藤田が棚田さんと仲良いからたまたまだよ」

「ふーん。そうか。なあ知ってるか?棚田さんクラス委員立候補するって。俺も立候補しようかな」

「お前、クラス委員するタイプじゃないだろ」

「そうだよな。よし。仕分け終わり!俺部活行ってくるわ」

「おう、行ってらっしゃい。って清本ちょっと待て!これまだ半分も終わってねーじゃねぇか」

悟は胸の奥がキリッと痛むのを感じていた。

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