第3話 進水式典
幼年学校の入学式から一日経った勇暦790年4月3日。プロジア王国北部の北海に面する港湾都市デモナハーフェンに、ラインハルト達の姿はあった。
「進水式へお越しいただき、誠にありがとうございます。我らデモナハーフェン海軍工廠一同は殿下の来訪をお待ちしておりました」
造船所のドック周りに仮設されたステージ上にて、紺色の背広をまとうドワーフ族の男はラインハルトを前にして語る。彼の名はアルフレッド・フォン・シュタイアー造船少将。ここデモナハーフェンにある海軍工廠を取り仕切る技術者で、アウスタリア継承戦争の後に着任したという経歴を持つ。
「此度の進水式、我ら海軍にとって非常に重大かつ記念すべき事象であります。故に殿下とそのご学友が来て下さった事は我らにとって非常に感激なことであるのです」
「しかし、本当に大きいですね…まるで小島みたい」
隣に立つアンネローゼの言葉に、ラインハルトは同感だと思う。広大な船台の中でまどろむかの様に居座る巨大な船体は、まさに壮観たるものだった。それを遠目に見つつ、シンエイは語る。
「プロジアは建国時より海の守りに力を入れていた国ですからね。この国の領海を守るに足る強大な海軍戦力は、ブリタニアとの海上貿易を重んじる国家戦略に合致するものです。ですよね、シュタイアー少将閣下」
「そうです。さすがは賢者アルブレヒトのご子息、よくご存じで」
シュタイアーはシンエイの言葉を称賛する。プロジアの北部に面する広大な北海は、この国に対して多くの富をもたらしてくれるが、同時に建国期より多くの災禍が訪れる場所でもあった。父王ヴィルヘルムが即位してすぐに起きた戦争では、東イルピアの海賊勢力やイルフィランドの海軍戦力が襲撃し、一時的に内陸国と化すこともあったことから、海洋に確固たる影響力を持つことこそ国家生存の要だとされたのだ。
時は下って、ガロア王国やイルフィランドの影響力を危ぶむブリタニアが軍事支援を開始した勇暦720年、ヴィルヘルム王は海軍法を成立。ここに近代プロジア海軍の歴史は始まった。ブリタニアより購入した旧式の戦列艦4隻と12隻のスループで構成された最初の艦隊は、召喚者の支援で本格的な産業革命が起こり、鋼鉄製の艦船を国内で建造できるまでの猶予を稼ぎ、同時に北の冷たい海洋に慣れた軍人を鍛え上げるのに貢献した。
それから70年の月日が経ち、海軍は10隻の戦艦と3隻の航空母艦、8隻の大型巡洋艦と15隻の巡洋艦、大型駆逐艦9隻と駆逐艦36隻、潜水艦24隻の計105隻を整備。プロジア海軍の主力たる北海艦隊の面々として四つの海軍基地に錨を降ろしていた。無論全ての艦船がいつも港にいるわけではなく、領海警備と訓練を目的として数隻が出航し、遊弋を行っている。
そしてこの日、プロジア最新鋭の巨大戦艦となるべき船体が、この造船所で産声を上げようとしていた。勇暦787年に規模の拡張と設備の近代化が終わったタイミングを見計らう形で起工して3年と少し。史上最大の軍艦を建造するために、プロジア海軍はデモナハーフェン海軍工廠の近郊にある土地を買収。全長300メートル、全幅45メートル、深さ15メートルの新しい船台が築かれ、内陸の工業地帯で製造された資材を工場へ搬入する設備も整えられた。
異なる世界から数十年先の未来で生まれるはずだった概念と技術を携えて現れる召喚者の存在もあるとはいえ、それを実際に形にするまでにプロジアの造船業は多大な苦難を余儀なくされた。現在存在するイルピア諸国の主力艦を凌駕する巨大な船体に、創立以来の海軍の戦術ドクトリンである沖合での迅速な要撃を担える機動力と、ありとあらゆる敵に打ち勝つ兵装、そして多数の艦船から集中砲火を浴びても尚耐えきる防御力を詰め込むのである。その上で同規模の艦船や民間の船舶も建造しなければならないのだから、費やされる費用と資材、そして人員に時間は莫大な規模であった。
海軍創立記念日である2月1日に起工式が執り行われ、3年と2か月少々の月日を経てようやく船体が完成。進水後は同敷地内にあるドライドックと埠頭にて艤装工事が行われ、翌年までに海軍へ引き渡されることとなる。そのためドックの各所には報道陣が詰めかけており、カメラのシャッターを切る音が聞こえていた。
招待された参席者は用意された席へ座り、その数は急激に増していく。やがてドックの周りを数千人の人々が詰めかけ、艦首方向に設けられたステージへ視線を注ぐ。ラインハルトはその視線を全身で受けながらステージに立ち、机の上に置かれた書類を持ちつつ、マイクに向けて声を発した。
「本艦を、「ブラウ・シュテルン」と命名する」
命名の後に、ラインハルトと王国海軍省長官のエーリッヒ・ミヒャエル・フォン・シュペアは銀製の斧を手に取り、目前に張られたロープを切り落とす。それを合図にロープで吊るされた葡萄酒の瓶が艦首の方へ投げられ、衝突して砕ける。ドックを囲む人々から万雷の拍手が響き渡る中、巨大な船体は数隻のタグボートによって引っ張られていく。
「いやはや、ついに進水ですな。二番艦も現在ダルツィークで建造中ですし、来月には進水する見通しです。これにて我が海軍は一層のこと強大になれますな」
「ええ…お疲れ様でした、シュペア長官」
ラインハルトはねぎらいの言葉をかけつつ、シンエイ達の下へ歩み寄る。その表情にはいささか暗いものがあった。
「お疲れ様です、殿下。体調は大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、シン。ただ、あの様な身に余る様な巨艦を持たねばならぬ程に我が国を取り巻く状況が悪化しているのが余りにも悲しくてな…」
「そればかりは致し方無いでしょう、殿下。イルフィランドのみならず東のデモニヤ帝国までもが海軍戦力を増強し、厳重な包囲網を敷いていく中で我が国だけが後れを取るわけには参りませんから」
ラインハルトの呟きに対し、シュペアは答える。アウスタリア継承戦争以前よりプロジアと国境を接する形になっている神聖ゴーティア帝国は、これ以上のプロジアの影響力拡大を警戒。東イルピア地域にて未だに群雄割拠の様相を呈していた勢力へ接触し、近代的国家の建設を促していた。
その中で魔族のいち部族がゴーティアの軍事支援とイルフィランドの経済支援を受けて大半の部族を平定。魔族を国家の頂点とするデモニヤ帝国を成立させた。勇暦721年に初代皇帝が宣言を発した後は殖産興業に務め、それから70年近くの歳月を要してプロジアに追いついた。
その成果の一つが、『
イルフィランドも負けていない。アウスタリア継承戦争の最中に起こした『フェマリア島の虐殺』の主犯格たる20隻の艦隊は、戦中に就役した最新鋭艦を含む北海艦隊の主戦力で殲滅されたが、戦後21年という歳月は喪失分を回復させたうえで新規艦船を増強するに足る時間だった。
ゴーティア帝国より巨額を投じて購入した最新鋭のクイーン・マルガレーテ級戦艦4隻、イルフィランドの歴史において輝かしい名を遺した令嬢を艦名とした
であれば、12隻の主力艦に囲まれながらも速力で対等に渡り合い、堅牢な防御力で砲火を耐え切り、脅威的な火力で逆襲する戦艦を造るしかない。その難問に対するプロジア海軍技術本部とデモナハーフェン海軍工廠の解答が、正教会において神の象徴として用いられる
「…どうか、かの巨艦に碧い星と伝道者キリルの導き、そして偉大なる先人達の加護があらん事を」
ラインハルトは小声でそう呟き、機関の搭載のためにドライドックへ曳航されている船体を見送った。この後、ラインハルトが進水式で名を賜った戦艦「ブラウ・シュテルン」は彼が政治と軍事双方の戦場に身を置き続けた期間中、様々な海を渡り歩く数奇な運命を辿る事となる。
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