第4話 デモニヤ帝国

 遥か800年も前、人々が神の存在を深く崇敬していた時代。我らは全てを失った。


 王は倒され、将はことごとく打ち取られ、証は全て敵の旗に差し替えられた。勇者に復讐を誓った者は同じ魔族であるはずの者達との諍いで死んでいった。


 部族同士での仲違いに拘ることが、自分達の将来を閉ざしていく愚かな判断だと気づくまでに700年という歳月を無駄にしてきた。若さを長く保つエルフでさえも、70の歳を迎えたヒト族の様に老ける程の時間は、魔族とヒト族の力を逆転させるに足るものだった。


 我々は、何としてでも国を取り戻さなくてはならない。たとえそれが、これまで見下す相手だったヒト族と手を携えることだとしても。




 アレクサンドル・デモネスキー・グリムゾゥスクにとって、勇暦というものほど憎らしいものはない。


 魔王がイルピアに覇を轟かせていた900年前より、魔族は独自に暦を持つことはなかった。不老長命という生物としての特徴は時間を厳正に定め、その通りに生きる必要性を感じさせなかったからだ。記録における日時に当たるものも、『何十度めの満月を見上げた夜』だとか、分かりやすい気象の状況で表すことが多かった。


 それ故に、魔族の奴隷を祖先とする狼人族が複数の部族をまとめ上げ、ドワーフやオーク、オーガにゴブリン、獣人族といったヒト族に近しい種族と共に国を興した時、魔族は混乱に陥った。たかがヒト族の真似事で国を持てるものかと侮った部族は、戦争で情けない程に負けた。


 流れ者のヒト族やエルフ、そしてヒト族の社会に溶け込むことのできなかった召喚者も受け入れたプロジアは、優秀な武器を取り揃えていたのだ。攻撃魔法と同等の威力を持ち、弓矢よりも遠くの敵を狙える銃や大砲は、少数の魔術師や怪異による打撃を主軸にしていた魔族軍を蹴散らした。狼人族自身も優秀な魔法使いの一族であり、エルフに匹敵する魔術通信と魔力探知で夜襲を仕掛け、一方的に指揮官や魔術師のみを排除したうえで蹂躙する戦いを好んでいた。


 この巨大な亜人族勢力に対して脅威と見たヒト族の国家勢力は、魔族と深い交流のある遊牧民族を介して魔族に協力を行った。遊牧民はただっぴろい草原を移動して生活を営む生活様式の特性上、魔族と共通した存在を崇拝していた。そしてヒト族と何ら変わらぬ姿と生物としての在り方を持つが故に、イルピアのヒト族勢力とも交流を成していた。その中でも部族として頭角を現す条件が整っていたのが、墨海ぼっかい北岸部にて牧畜と漁業を営むグリムゾゥスク一族だった。


 貝殻色とも評される白い肌に、蛇の様な赤い目。そして頭部より生える黒い角。魔族の中でもヒト族に近しい特徴を持つ魔人族デモベジャーナのいち部族であるグリムゾゥスク族は、アウスタリア帝国で製造された銃と大砲、そしてガロアでゴーレム技術を用いて発明された歩行戦車マルシュシャールで北上し、瞬く間に複数の部族を平定。プロジアを牽制したい神聖ゴーティア帝国・イルフィランド王国、そしてガロア王国の技術・経済支援を元手に勇暦721年にデモニヤ帝国建国を宣言した。


 その際、富国強兵政策と経済成長戦略の計画的な遂行のために、綿密なスケジュールを組む必要性が浮上。これまで暦で時間を厳格に使うことのなかった魔族は大混乱に陥った。プロジアが計画的な政策の遂行で順調に発展していく中、行き当たりばったりな時間の使い方では700年もの遅れを取り戻すことなど不可能であり、初代皇帝イワン・デモネスキー・グリムゾゥスクは公用的には勇暦を基準として用い、国家的事業や記念すべき出来事などは勇暦721年を紀元とする『帝国暦』で記録していくと定めたのである。


 アレクサンドル帝はイワン皇帝より帝位を引き継いだ2代目である。アウスタリア帝国の皇位継承者を巡る戦争の前半、デモニヤ帝国はアウスタリア先代皇帝の親戚を支持する側として参戦したが、その際プロジア王国軍の近衛師団に対して攻撃を実施。ヴィルヘルム・フォン・ヴォルフェンハイム率いる砲兵連隊と〈ナースホルン〉中戦車の機動戦に翻弄され、イワン帝は負傷。その怪我が元となってこの世を去ることとなった。


 戦後に皇帝の座を継いだアレクサンドルは、敗戦を糧に国家の成長に勤しんだ。勇暦は自分達魔族の祖にして今も尚偉大な傑物として親しまれる魔王を倒した勇者にちなむものであり、これを忌避する者は少なくない。彼自身もその出自を踏まえれば、個人的に思うところはあったが、この勇暦と同様の働きを持つシステムを800年前に生み出せていれば、魔王軍は勇者相手に惨敗することもなかったのではないかとも思っていた。


 勇暦790年、帝国暦69年の4月12日、東イルピアの西部地域にあたる北海西沿岸部に面する帝都サンクトキリルブルグは、この国の顔とも呼べる都市である。デモニヤ帝国で最大の都市であり、最大の軍港であり、最大の工業地帯を抱える最新の場所。多くの『最大』と『最新』の記録がこの都市の勲章であり、西の国々に対する誇りであった。その中央を流れるニルバ川に挟まれた中州に、彼ら皇族の住まう王宮サンクトキリルブルグ城はある。


 ガロア王国を発祥とするロココ建築様式で整えられた宮殿の執務室、皇帝アレクサンドルは傍に宰相セルゲイ・ケルギィ・ウィルテを控えさせ、現在の西イルピアを取り巻く状況の精査に務めていた。イルピアの情勢が如何様に転ぶかでこの国の命運は大きく左右されるからだ。


「ガロア方面で情勢が悪化していると聞いているが、仔細はどうなんだ?」


 皇帝の問いに対し、ウィルテは手元に持つノートをめくりながら答える。


「正確に申し上げるとすれば、ガロア国内の民衆の生活が悪化しております。何せ広大な植民地を占領し、支配するのに莫大な戦費を用いるのです。加えて貴族と高位の聖職者からの徴税が多大な負担となっており、地方の小作人と都市部の労働者を中心に不満が高まっております」


 ガロア王国は凡そ100年前から、ブリタニアと競い合う様にして海外領土を拡張し、時には西の新大陸にてブリタニアと反発する独立勢力へ支援。膨大な額の軍事費と海外領土開発費を消費していた。


 しかし海外領土での資源開発と生産、自国製品の対外輸出によって得られる利益は大貴族と創世教の聖職者によって寡占されている状態であり、国民の大半を占める大衆へ還元されているとは言い難かった。プロジア王国とガロア王国が比較される点はこれにあり、『全ての民が豊かになる事でより栄える』という考えのプロジアと、『富は栄えある貴族の下で管理されるべき』というガロアの経済成長のレベルは明確に変わっていた。


「国王ルイは、政治の中心たる貴族と文化の中心たる聖職者に対して、大衆のための自発的な資産放出と節度のある生活を求めていますが、これが成されるのはまだ先の事でしょう」


「うむ…我が国も部族や種族での経済的格差の是正という問題を抱えている以上、この動きには特段警戒せよ」


 アレクサンドルはそう指示を出しつつ、窓の外に目を向ける。サンクトキリルブルグの街並みは大衆の労働とここに住まう貴族からの税金によって整備されたものであり、抱える課題は似通っていたからだ。


 そうして外の様子に気を配りつつ、アレクサンドルはこう呟いた。


「…我々はプロジアに負けぬ様に膨大な費用を軍事費に充てている。故に同じ轍を踏む訳にもいかぬ」

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