第2話 幼年学校入学

 勇暦790年4月2日。道沿いに並べられた薔薇の木に白い薔薇が咲き乱れる頃、ラインハルトは首都フレスベルグ郊外にある王国軍幼年学校にいた。


 若い頃は早く育ち、20歳以降は100年以上かけてゆっくりと老いる亜人族の身体的特徴から、この国では15歳以上の者は成人と見なされる。そしてその中でも王族と貴族の出身者は軍に志願入隊する権利を有していた。魔術による戦闘能力に男女の差はないこの世界において、貴族の女性が軍に身を置くことは珍しくなく、むしろ戦争での働きは名のある将軍へ嫁ぐ際に役立った。


 その中でも若い頃から軍人の卵となる者を育て上げる教育機関として、幼年学校というものがある。今から75年前、父王ヴィルヘルムが即位したばかりの頃。プロジア王国はこれ幸いと言わんばかりに侵攻を開始。多くの貴族が戦いの中で戦死し、影響は戦後の官僚や高級軍人の不足が深刻な問題となって表れた。この問題を解決するべく、近代的な教育機関による育成を決定。狼人族における成人年齢である15歳を基準に、3年間かけて軍人となるべき者の育成を行うこととしたのだ。


 幼年学校は身分の関係なく国の中でも心身ともに優秀な志願者が入学し、3年の薫陶の日々を過ごした卒業者は王国軍大学校へ入学するか、王国軍へ直接入隊することとなる。そうして若き頃から鍛え上げられた軍人は21年前のアウスタリア継承戦争にて秀逸な高級士官として活躍し、幼年学校と軍大学のシステムの優秀さを内外に披露していた。


 ラインハルトも多くの親戚と同様に、王族としての務めを果たすべくしっかり受験をした上で幼年学校に入学したのだが、成績の結果は『次席』だった。理由は極めて単純明快だった。


「おはようございます、ラインハルト殿下」


「…おはよう。まさか成績で卿の後塵を拝することになろうとはな。俺も詰めが甘かったと悔いるべきかな」


 後ろから声をかけられ、ラインハルトは振り向く。そこには一人の黒髪の青年の姿。シンエイ・キリル・トウドウは召喚者を祖父に持つヒト族の男子で、髪の色と『トウドウ』という耳に残りやすい名字はその証拠であった。


 彼の祖父と父は高名な魔術師で、初代国王の代からプロジアの産業進展と魔術発展に寄与してきた傑物であった。かつてのアウスタリア継承戦争でも従軍魔導師として参戦し、劣勢に陥ったプロジア軍の防衛戦を支え続けていた。そんな偉大なる祖父と父から直接教えを乞う立場にある者が優秀でない訳もなく、実技と筆記はともに満点合格だったという。


「まさか、この俺…いや、自分が主席だなんて…それも殿下を差し置いてとは、それだけで周りから睨まれませんかね…?」


「この国では力ある者が全てだ、そう謙遜するな。それに、身分と権力を用いて不正で主席の座を奪おうとする方が悪目立ちするというもの。もっと胸を張れ」


 ラインハルトはニヤリと笑いつつ、彼の背を叩く。そうしてシンエイがむせたのと同時に、一人の少女が歩み寄ってくる。


「おはようございます、殿下。それにシン君。そろそろ入学式ですから、急ぎましょう」


 腰まで伸ばした銀色の髪と紫色の瞳、そして笹穂の様な耳を持つ少女。アンネローゼ・フォン・ディネローゼはイルフィランド王国より移住してきた純銀シルヴァエルフを親に持つ移民二世であり、シンエイとは幼馴染の関係にあった。さらに高位の貴族でもあるため、ラインハルトとも面識があった。


 イルフィランド半島とその周辺の島々を国土とするイルフィランド王国は、神聖ゴーティア帝国と並んで勇暦が始まってすぐに誕生した国の一つである。神聖な樹木より生まれ出ずる純銀エルフと、直接ヒト族や亜人族と血を通わせて生まれるハーフエルフからなるエルフ族が人口の大半を占めるイルフィランドは、アウスタリア継承戦争でプロジアがホルスタイン地方を得る以前より対立関係にあった。エルフ族はかつてはヒト族同様に魔王族の支配下にあった種族であり、その後継に当たるプロジアの狼人族王朝を敵視するのは仕方のない事だった。


 だが、アウスタリアの君主が戦争で女帝マリア・フォン・アウスタリアに決まってから後、勇暦770年以降になると状況は変わってくる。時の国王と政府上層部、そして貴族達の間で『純銀エルフこそがイルピアで最も優れた種族であり、ハーフエルフと闇エルフは不潔たる存在として排除すべきである』という思想が流行った。もちろん純銀エルフの中にもそれについていけない者は多く、種族の区別なく平等に扱うことを国是としたプロジアへと身を寄せていったのである。


「しかし、珍しいな。確か卿の父は官僚だった筈だ。わざわざ軍人の道を選ばずともよいのに」


「そうは言っていられませんよ、殿下。近年イルフィランドはゴーティアやガロアから軍事支援を受けて軍事力を増強しております。彼の国は親の知る美しきエルフの国ではありません。今ある祖国を守ることに身を尽くすことこそ、私のすべきことですから」


 そう語るアンネローゼの視線は暗い。彼女は種族としては純銀エルフではあるが、両親が霊樹の木元より生まれた純銀エルフ同士というパターンであり、イルフィランドでは先程になってそういった純銀エルフとの間に生まれた子供もハーフエルフとして扱うという法律が国会で議決されたばかりである。


 21年前のアウスタリア継承戦争では反マリア派として参戦し、ゴーティアと肩を並べてプロジアを海から攻めたイルフィランドは、ホルスタイン地方を巡る戦争にて20万の軍勢と20隻の艦隊を投じていた。その戦争の中で最も語られる『フェマリア島の虐殺』は、5000名の海軍歩兵がフェマリア島に上陸し、現地住民2万を殺傷した事件であり、エルフ族の恐ろしさを知らしめた出来事でもあった。その犠牲者の中にはイルフィランドから移住してきたハーフエルフもいた。


 戦後、ホルスタイン地方の喪失で動揺する国民をまとめ上げるために、純銀エルフを至上とする優性思想に走るのも無理はない。銀色の髪と笹穂の耳を誇るエルフとして生まれながら、ただ霊樹の下で生まれなかっただけで『雑種』も当然に見下してくる様な国に憧れを抱くことは、アンネローゼには出来なかったのだ。


 講堂に入り、総勢400名余りの新入生は席に並ぶ。幼年学校の学長を務めるメルドース陸軍中将と3年生代表の入学を祝う演説が行われると、次は入学生代表として主席合格者のシンエイが呼ばれる。


「新入生代表、シンエイ・キリル・トウドウ」


「はい」


 名前を呼ばれて席から立ち、シンエイは講壇に上がる。そして多くの視線が注がれる中、マイクを前に口を開いた。


「皆さん、初めまして。シンエイ・キリル・トウドウです。ご存じの方も多いとは思われますが、私の父アルブレヒト・キリル・トウドウはかのアウスタリア継承戦争にて多大な活躍を見せた英雄です。ですが父はその様な他者の成果で威張り散らすことなく、己の手で成した成果のみで皆から親しまれる者になれと教えを受けてきました」


「同時に、私は父や祖父から、自身の大切なものは自身の力で守れとも言われました。私にとって大切なものは、生まれ故郷であるこの国と、私の周りにある家族や知人です。そしてその大切なものを守ることこそがプロジア軍人の果たすべき責務であると私は考えます。どうか我らに碧星ブラウ・シュテルンと伝道者キリルの加護があらんことを」


 スピーチが終わり、一同は拍手を送る。そして入学式を終え、ラインハルトとシンエイ達は校舎内にある部屋の一つへと移動する。そこにはメルドース校長と二人の男の姿があった。一人は狼らしい顔立ちに銀色の毛色が印象的な狼人族の男で、もう一人は白髪交じりの黒髪と右頬の切り傷の痕が印象的なヒト族の男だった。


「こうして会うのは久々だね、シンエイ君。ラインハルトを上回る成績で入学とは、流石は賢者アルブレヒトの息子だ」


 ヴィルヘルム・フォン・ヴォルフェンハイムはそう言いながら、シンエイに顔を向ける。対するシンエイは緊張した面持ちで向かい合う。何せこの国の王であり、


「先ずは、入学おめでとう。成績の点から見ても、卿はラインハルトと同じ組に入ることとなるだろう。これから余の息子をよろしく頼むよ」


「は、はい…!」


 シンエイが激励を受ける中、その隣に立っていたアルブレヒト・キリル・トウドウはラインハルトに向き合う。対人戦闘において無敵と称されたゴーティアの戦闘ゴーレム軍団を単身で食い止めた伝説を持つ勇敢な戦士としての名が知られているアルブレヒトは、その経歴からくる先入観からは想像もできぬ様な柔和な表情でラインハルトを見つめる。


「ラインハルト殿下、貴方の事は陛下からよく聞いております。これより殿下には軍人としてのみならず、為政者となるための勉強も行われることとなります。その中で我が息子ともども、この学び舎においてよき日々を過ごされる事を願っております」


「ありがとうございます、トウドウ殿。もし時間があれば、私もトウドウ殿から直々に魔法の教えを乞いたいと思っております」


「殿下は随分と向上心がお強い様ですな。その辺りに関しましては、シンから教えてもらうのが手っ取り早いでしょう。シンは独創性の高い子ですので、きっと殿下も初めて目にする魔法を見せてくれることでしょう」


 朗らかな様子で言い、アルブレヒトは笑う。21年前にゴーティア軍から『人の姿をした魔王』などと恐れられていたなど思えぬ様な様子を見つつ、ラインハルトは父に顔を向ける。


「そういえば、明日は進水式がありましたね。そちらにシンエイとアンネローゼを招待してもよろしいでしょうか?」


「む、そういえば明日か…いいだろう、お前が珍しくわがままを言ったのだ、入学祝いのせんとしたいのならば、その様に調整しておこう」


 ヴィルヘルム王はそう言い、珍しく笑みを浮かべた。

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