第1話 狼の国

 勇暦774年5月10日、ラインハルト・ケルギオス・フォン・ヴォルフェンハイムはフレスベルグ王宮にて生を受けた。父は『兵隊王』の名を持つヴィルヘルム・ボニファティウス・フォン・ヴォルフェンハイムで、母はブリタニア出身の王女ヴィクトリア・ルイーズ。二つ上の姉ヴィルヘルミナ・ケルギオス・フォン・ヴォルフェンハイムを持ち、そのあとには二人の弟と三人の妹を持つ。


 その中でも特徴的だったのは、母のヴィクトリアであろう。ブリタニアは勇暦以前より竜の血を引く一族が王の座に就いてきた。彼女もご多分に漏れず、ヒト族と何ら変わらぬ容貌をしていながら、目は爬虫類の様に細長い瞳孔と、ラピスラズリの様な青い虹彩をしていた。ラインハルトは七人の子供の中で最も母の身体的特徴を容貌に受け継いだ者だった。


 黄金色の髪と緑がかった青い瞳が印象的な若き後継者は、幼少期はとにかく大人しかったという。王宮の庭園で走り回るでもなく、図書館で一人静かに蔵書を黙読することが多かった彼であるが、運動と全くの無縁だったわけではない。狼人族は子供が10歳になると刀剣と弓矢を持たせ、狩猟を学ばせる風習があった。彼も父から剣術と弓術を直々に教え込まれ、最初の狩猟では彼は大猪を一人で狩った。


 母親ヴィクトリアもまた、ラインハルトにとって恩師とも呼べる存在だった。彼女はイルピア大陸では魔王軍の跳梁によって一度は死に絶えた精霊魔法の使い手であり、ブリタニア諸島と隣のケルトランド諸島に伝わる古代魔術の研究家でもあった。夫に頼み込んで東イルピア各地に残された魔術遺跡や書物、そして魔族と亜人族に伝えられていた魔術を収集し、研究していった彼女はありとあらゆる魔術を子供達に教えていった。


 戦技と魔術の双方において高度な教育を受けてきたラインハルトは、しかし知識や文化の類でいえば音楽や演劇の類を最も好んでいた。父は国家の物理的発展に対して悪しき影響を及ぼすとされた退廃的な文化を好んでいなかったが、即位60周年を祝して行われた狩猟の後に、狩場であるノルトラウジッツの森の中で開かれた祝宴にて、彼は父の偉業と狩猟の成果を称える歌を披露した。これには狩猟に参加した多くの軍人と貴族が称賛し、王は息子の趣向に対する干渉を取りやめなければならなかった。


 そして15歳を迎えた勇暦789年、彼はプロジア王国北西部シュヴェレン湖の湖畔に広がる森の中にあった。シュヴェレン湖は王国北西部を構成するホルスタイン州の東部に位置する湖であり、近くの町では湖で釣った鱒を使った料理を名物としている。彼は数人の者達と共に騎馬に跨り、獲物を探していた。


「いい場所だ。ゴーティアの森も歩いたことがあったが、この国の木々は生き生きとしている。公害対策の恩恵というものかな」


 ラインハルトの隣で、同様に騎馬に跨る男は呟く。彼、ルイ・ド・アンリ・カペー・ブルボンは西イルピア最大の国であるサント・ガロア王国の第5代国王で、新大陸の開拓事業や植民地拡大にて多大な成果を得た『最愛王』ルイ4世王の孫に当たる。彼は勇暦774年5月10日、祖父の崩御を契機に即位し、今年で15年目の治世を迎えている。


 サント・ガロア王国はヒト族が主体の国民からなる国であり、魔族と亜人族が主体のプロジア王国とは関係が悪い様に捉えられることが多い。しかし実際のところは良好な関係を築いていた。それにはサント・ガロア王国の建国までの歴史が関わっている。


 魔王が勇者に倒されてから100年という期間。勇暦1世紀という時代はヒト族が国家という社会システムを取り戻すためにかかった時間でもあった。イルピア中部が勇者を初代皇帝とした神聖ゴーティア帝国として成立したのに対し、西側地域は多数の小国家が乱立し、多くが強大な指導者を求めてやまなかった。その中で台頭したのはカペー家を主体としたガロア地方出身の王侯貴族と、彼らを支えるエルフ族の貴族や魔術師、そして創世教の総本山であるラタニア本宗教会ラタニウス・ジェネシリックだった。


 勇暦123年、『獅子王』ルイ3世を初代国王とするカペー朝ガロア王国が建国され、それから400年近くに渡ってガロア地方は白百合剣エペ・ド・リスの旗の下に統一されていった。勇暦489年にはブルボン王朝がこれを引き継ぎ、今ではイルピア地域でも有数の勢力圏を持つ国として君臨していた。


 歴代国王はエルフのみならず、亜人族を筆頭とした種族の有力者を厚遇し、経済と文化の発展を推し進めていた。ルイもその方針を引き継ぎ、国外に点在する植民地を支配するための軍事力の増強に勤しんでいる。そして今回は、友邦との交流の一環としてプロジアを訪れ、王太子と共に狩猟に勤しんでいた。


「かつて、この地はゴーティアの『三頭黒竜シュバルツ・ギドラ』の旗が翻る地だったというが、今ではその面影はほとんどないな…」


「ええ…創世教の三又十字トライデントクロスもです。30年前の醜態を耳にすれば、勇者もきっと嘆かれることでしょう」


 ラインハルトはそう応えつつ、木々の合間から覗く広大な平野を見つめる。今から30年程前の勇暦760年、プロジア王国はイルピア全土を巻き込んだ大戦争に身を投じていた。アウスタリア帝国の皇位継承権を巡る諍いと、それを周辺国が認めるための条件として領地の割譲を求めた結果として起きた戦争は、召喚者のもたらした技術によって激しい規模となった。


 アウスタリアで最も皇位に近しい者とされた皇女マリア・フォン・テレジア・アウスタリアを支持していたガロアと、ゴーティアという共通の宿敵を有するプロジアは、それぞれ自慢の軍勢を送って参戦。9年にも及ぶ大戦争の果てに両国は十数万もの死傷者を出すこととなった。


 父ヴィルヘルム王が築き上げた巨兵連隊は、銃弾を物理的に受け止めることのできる頑丈な肉体を持つオークとオーガを中心に構成された歩兵部隊であり、敵歩兵陣形を突撃で崩すだけのポテンシャルを有していた。しかし建国以来高度な魔導技術を保有していたゴーティア帝国軍は、伝統ある戦力であるゴーレム軍団と魔導歩兵部隊で対抗。20ミリ対魔物狙撃砲と魔族に対して高い殺傷力を持つ手榴弾はヒト族の技術力が魔族の身体能力をねじ伏せる程の効力を発明したことの証明であった。


 皮肉にも統計学の発展によって生命の喪失数を文字に表すことが容易となり、父王は3000人いた巨兵連隊の生存者がわずか200名程度だと聞いたときは思わず卒倒しかけたという。プロジア最強を誇った巨兵連隊を撃破したゴーティア帝国軍は進撃を続け、圧倒的勝利で勇名をイルピアに轟かせるまであと一歩のところまで迫っていた。


 皮肉にもそれを阻止し、プロジアに新たな領土をもたらすこととなったのは、ゴーティア帝国と同様に召喚者を介して得られた技術の産物であった。勇暦720年にゴーティアで発明され、産業革命の影響と共に伝播した自動車技術はプロジア国内で発展。勇暦766年に一つの画期的な兵器が開発される。


 ブリタニアが植民地の反乱鎮圧や、長大な塹壕陣地を攻略するために開発していた『陸上戦艦』を元にしたPz-66〈ナースホルン〉戦車は、快進撃を続けていたゴーティア軍を蹴散らすのに十分な能力を発揮した。第二次世界大戦前にポーランドが開発していた『7TP』軽戦車によく似たそれらは、20ミリ対魔物狙撃砲に耐えうる厚さ20ミリの魔導強化付与装甲と、ゴーレムの霊核を頑丈なボディごと撃ち抜く47ミリ砲を装備していた。


『我らが鉄の犀ナースホルンを阻める者はなし』


 とは、時の西部方面軍司令官の大言壮語ではあるが、調子に乗ったゴーティア軍の鼻っ柱をへし折り、北のイルフィランド半島と接するホルスタイン地方を奪い取る結果に繋がったのは間違いなく戦車と『機械飛竜』のコードネームで開発が続けられていた航空機の活躍があっての事だった。


 戦後、〈ナースホルン〉はガロアに輸出され、彼の国の軍事力近代化に大きく寄与した。


 そう過去の事実を内心で振り返りつつ、二人は森の中を巡る。道中で鹿を数頭見かけては、二人は猟犬を放って追い込み、手元にある小銃で狙撃。これを撃ち倒していくと、近くに控える部下に回収を命じる。そうして鹿を4頭ほど仕留めたところで、ルイが話しかけてくる。


「さて、そろそろ帰るとしよう。マリー達が待っている」


「そうですね。獲物も祝宴を開くに足る分は狩れましたし、近くの町にも鱒を提供する様に伝えています。今晩は皆様をもてなして差し上げましょう」


 二人はそう言葉を交わし、手綱を引く。数分後、二人は幾つもの天幕が張られているキャンプ地点に到着し、そこで下馬する。すると一人の女性がルイの下へ歩み寄ってきた。その女性、マリー・フォン・アントニア・アウスタリアはその名の通り、アウスタリアから嫁いできた女性で、ドレスからはみ出さんばかりの豊満な胸部が印象的であった。


「お帰りなさいませ、貴方。すでに昼食の準備は出来ています」


「そうか。ラインハルト、卿は酒は飲めるか?実はここに来る際にワインを持ち込んできているのだが…」


「酒は遠慮しておきます。ですが代わりに、ジュースは如何でしょうか?リンゴの果汁に炭酸を加えたサイダーは大変美味でしてね、私の好物なんです」


「成程…では、ありがたく頂こう」


 二人はそろって、数人の男女と共に野原の上に置かれたテーブルへと向かう。白いテーブルクロスの敷かれたそのテーブルの上には、丁寧に加工された特注のグラスが並べられ、そこに琥珀色の泡をまとう飲料が注がれている。さらにそこへ、丁寧に焼いた鹿肉と根菜類のソテーが皿に盛っておかれ、ナイフとフォークが並べられていく。


 席に着くや否や、三人はリンゴ果汁を使ったサイダーの注がれたグラスを手に取る。そして天高く上げると、一斉に口を開いた。


「我がプロジアとガロア王国の良き関係が続くことをここに祈る。乾杯!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る