金狼皇帝記~異世界近現代譚~

広瀬妟子

プロローグ 建国記

 遥か昔、世界は魔王に支配されていました。魔王は強大な軍隊を率いてヒトの国を攻め滅ぼし、各地に将軍を置いて多くの人々を苦しめました。


 魔王軍の横暴に悩んだ人々は神に祈り、彼らを憐れんだ神は一人の賢者を遣わしました。賢者は勇敢な戦士に力を与え、彼らは魔王軍に対する戦いを始めました。勇者と賢者は至るところで仲間を迎え、様々な場所で魔王軍の将軍を倒していきました。


 戦いは10年続き、ついに勇者は魔王を倒しました。人々は全世界でこれを祝い、そして勇者を称えました。勇者はかつて魔王が支配していた地に国を打ち立て、平和な生活を送りました。


 魔王軍から平和と、そして文明を取り戻した人々は、これをずっと語り継ぐために暦を作りました。勇者が魔王を倒したその年を最初とする勇暦(Heroic Era)は、こうして生まれたという訳です。


(ある学校における授業より)


・・・


 アジリピア大陸の西半分を占めるイルピア地域。その北東部に面するプロジア地方は、人類社会の歴史を勇暦で刻み始めた頃から、幾度も争いが繰り広げられた場所の一つである。


 古来より魔王とそれに従う魔族が部族単位で暮らしていた、アジリピアの広大な東部地域。勇者の打ち立てた国を前身とするゴーティア帝国は、東よりたびたび攻めてくる遊牧民族と、かつての輝かしき時代を奪還しようとする魔王軍残党を撃退しては、その支配領域を東へと伸ばしていた。プロジア地方もその一つであり、この地には多くの開拓者が移り住み、森林を切り開いて田畑を設け、町を築き上げていった。


 それに対して東の遊牧民や騎馬民族、そして魔王軍の生き残りを開祖とする国々の侵略が襲い掛かったが、異なる世界より引き入れた召喚者によって得た技術は人類の軍隊に強大な力をもたらしていた。弓矢よりも確実に遠距離の敵を倒せる銃に、火炎魔法よりも強力な威力を発する大砲は、魔王の時代を二度と現出させぬという人類の意志が生み出した暴力だった。


 しかし、その東進は長くは続かなかった。勇暦620年頃から東イルピアにて30年間続いた、人類同士の戦争がきっかけだった。人類における共通の宗教だった創世教ジェネシスリックの教義解釈を発端とする諍いが、諸侯郡クライス同士での領土争いと絡み合って激化した戦争にて、多くの難民が生じたのである。


 それら難民を吸収する形で、勢力を増した者達がいた。魔王やその一族の妾となった狗身猿族コボルトを祖先とする狼人族ヴォルファッフェは、召喚者の助力で急速に発展した人類社会を見て、自分達のみならず魔族や亜人族全体の昏い将来を予測していた。


 かつて魔王は、強大な魔術と比類なき暴力からなる権力で人類を飼い慣らしていた。しかし今の人類は、個人で伝説の勇者や賢者と比肩する能力と知恵を持っている。今は戦争で混乱しているが、近いうちに彼らは自分達を飼い慣らすだろう。それを危惧した部族の一人は、プロジア地方を起点に、人類社会の政治・経済システムを導入した近代的国家を建設することを決めたのである。


 フリドリフ・ヴォールキィ3世は手始めに1万の軍勢で都市フレスベルグを制圧し、そこを起点に西進。北海に面した広大な土地を手に入れた。その際占領地の住民は手厚く保護し、戦争捕虜も希望する者は十分な手当を与えて祖国へ帰らせた。彼はゴーティアの影響力が濃い土地に馴染むべく、様々な努力を行った。まずゴーティア帝国でもっぱら用いられる言葉を公用語とし、自身もアジリピア東部地域の色が強い名前をゴーティア語へ改名。後に『被融和政策』と揶揄されることになる近代化政策を推し進めた。


 無論、これに反発する者は多かった。しかしフリドリフは反対意見を封じ、強引に推し進めていった。自分達の選択が数世代先の輝かしき未来をもたらすと信じて。実際、アジリピア大陸東部の広大な地域では、魔族や遊牧民族が主体の国家群が近代化に着手しようとしていたものの、旧来の慣習や文化に拘泥する者達の抵抗と、どの部族が主導権を握るかの戦乱の連続で停滞しており、そういった醜態を避ける使命感が彼の原動力となっていた。


 そして勇暦701年1月18日。フリドリフは首都をヘチマングラードからフレスベルグへ遷都し、プロジア王国の建国を宣言。初代国王フリードリヒ・ケルギオス・フォン・ヴォルフェンハイムとして即位した。彼は即位式の際、郊外にある小さな礼拝堂にて宣言を発した。


「余は狼人族の長としてのみならず、ここイルピアに生を受けた全ての種族の未来と繁栄を守護せし者として、ここに我が王の名を遺すことを誓う」


 それは、かつての魔王の妾の子として生まれた魔族としての過去と決別し、新たな世界秩序の下であらゆる種族を導く者としての覚悟を示す言葉であった。


 建国宣言後、彼は15年にわたり王を務めた。続く2代目の王ヴィルヘルム・ボニファティウス・フォン・ヴォルフェンハイムは、ヘチマングラードから名を改めた都市ケーニヒスベルクに父王の霊廟を築くと、召喚者を主体とした技術・文化の啓蒙と、産業の発展、そして軍事力の増強に精力を出した。


 勇暦701年から勇暦800年までの間を指す勇暦8世紀という時代は、文明が急速に発達した時代でもあった。召喚者のもたらす知識と概念を、魔法と科学の双方で具現化することのできる技術水準に達したのが主な要因であり、蒸気機関や電気通信といった、地球では19世紀頃に開発・発展していったものが人類社会の中に現れてきていた。これに魔法技術を組み合わせることで人類は、明確に魔族を超え得る力を生み出し始めていた。


 ヴィルヘルム王は近代化著しいゴーティア帝国と、その西にあるサント・ガロア王国に対抗するために軍事力に心血を注いだ。例えば創世教の下では異端扱いされてきていた者達を難民として受け入れ、兵器生産や食料生産に従事させた。大柄なオーガやオークを中心に構成した『巨兵連隊ギガンテレジメント』を編成し、盛大な演習で示威行為を行うことも多かった。


 特に注目すべき点は、農業と工業の近代化だった。巨兵連隊を含む軍隊を維持・運用するためには良質な装備と食料を通年確保するのが第一であり、この当時2000万を裕に超える国民の庇護者を名乗る為政者としても最優先で取り組まなければいけない課題だった。


 自分達の望む理想の社会を叶えるために、王は北海に目を向けた。北西の大国ブリタニアとの交易は多くの富をもたらす可能性が高く、ブリタニアとしても大陸諸国の牽制役としてのプロジア王国の価値の高さに着目していた。


 そんな彼の治世は、不老長命ともいわれる魔族と頑健な亜人族の混血である狼人族らしく、80年近くに渡った。彼は勇暦771年にブリタニアより王女を迎え入れ、彼女のみを妻として多くの子供を設けた。


 その中の一人、最初の男子がフレスベルグの王宮にて産声を上げたのは勇暦774年5月10日の事。その日は遠くサント・ガロア王国にて一人の若き王が即位した日でもあった。そしてこの物語は、この若き王子が成長した15年後より始まる。

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