死んだ彼女の骨を食べる話
チトセが死んだ。交通事故だった。年間平均三千人の一日八人、そのうちの一人でしかなかった。それでもわたしにとっては大きな一人だった。
チトセの母親に、お前なんかと一緒にいなければチトセは死ななかったのに、と言われた。一瞬は? と思ったが、チトセは夕食の買い出しをしている最中に轢かれてしまったので、まったくもってその通りだと思った。
わたしは通夜にしか出席できなかった。わたしがチトセの実家から嫌われているからだ。チトセがわたしと一緒にいることを選択したせいで、実家が思う生き方を否定してしまったからだ。
チトセはわたしと一緒にいる時、幸せそうだった。でもそれは『そう』でしかなくて、本気でそう思っていたかどうかは分からない。聞いておけばよかった。
思えばバカみたいな話ばかりしていた。もし雨が飴だったら、とか、夏が暑いんじゃなくて痛かったら、とか。もっと実のある話をしておけばよかったと思うけれど、こんなことになるなんて思わなかったから仕方ないな、と納得した。
わたしは喪服を新調した。三万円だった。チトセの死の価値が三万円のような気がしてなんとなく嫌だったけれど、喪服にお金をかけてもしょうがない、と諦めた。
高崎、倉賀野、新町、神保原、本庄、岡部、深谷、籠原、熊谷、行田、吹上、北鴻巣、鴻巣、北本、桶川、北上尾、上尾、宮原、大宮、さいたま新都心、浦和、赤羽、屋久、日暮里、上野、東京。
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チトセの実家に来て、チトセの遺体と面会した。四日ぶりに会って、息をしないチトセを見るのは初めてだった。事故に遭ったとは思えないくらい綺麗な顔だったけれど、安らかとは言えなかった。人形のような死に顔だった。
誰にも見えないような角度で、顔を覗きこんでいるフリをしながらキスをした。死に化粧の口紅が崩れてしまったから唇を拭ってやった。
わたしはチトセの親に三十万円が入った香典を渡した。私の全財産だった。
§
「私が死んだらさ、骨食べてよ」
カニバリズムの趣味は無いんだけど。
「カニバリズムは習俗のことであって趣味嗜好のことを言わないんだな」
マジレスやめてもろて。
「ところで知ってる? 勝新はお兄ちゃんとお父さんが亡くなった時骨を食べたんだよ。それだけ愛情深かったってことだよね。ねー」
…………いや、無理でしょ。そもそもそっちの遺族が許しちゃくれないよ。
「私たちの間には男も常識も挟まれないんだよ」
常識は守ろう、せめて。生きるうえで。
「じゃあ総理大臣になって法律変えてよ。私を配偶者にして?」
配偶者になったら骨食べていいわけじゃないからね?
「私はハナが死んだら骨どころか肉も食べるつもりだけど。いや、でも焼いた方が美味しいのかな」
美味しく頂こうとするな。犯罪者になるな。
「愛は法律を勝る」
愛は地球を救うみたいに言うな。
「愛は偉大ってことだよ、つまりは」
それ、わたしは嬉しいって言えばいいの?
「んふ、死んでも一緒だからね。私たちは」
ロマンチックに聞こえるのが、またなぁ……。
「ま、どうせうんちになって出ちゃうんだけどね」
やっぱ一緒のお墓に入るくらいで妥協しませんか。
「ね、ハナ。好きだよ」
今のを聞いてわたしもだよって言えると思う!?
「んふ、んふ、んふ……」
まったくもう、しょうがないんだから……。
§
駅前のホテルでわたしはタバコを吸っていた。駅に集う人々を見ながらわたしはぼうっと白煙をくゆらせていた。チトセと付き合ってからは辞めていたから、とても不味かったし頭も痛いしやめときゃよかった。
銘柄はホープだ。わたしはまだ漠然としていた。タバコに酔っていたからかもしれない。チトセがいない生活なんて考えられなかったし、わたしはいつも希望に満ち溢れていた。チトセと一緒なら無敵だった。弱くなったらチトセを捕まえ続けられないと思っていた。チトセのハナになりたかった。
────私が死んだらさ、骨食べてよ。
あの日の冗談を思い出した。タバコの煙が線香のように見えた。
明日、火葬される。
チトセが骨になる。
人から物になる。
リン酸カルシウムとタンパク質になる。
チトセと一緒ならわたしは無敵になれる。チトセと一緒にいた頃のわたしになれる。食べたら一つになれるのかな。そうしたら、わたしはまだ、チトセが好きと言ってくれたわたしになれるかな。
どうせうんちになって出ちゃうけど。
「んふっ」
吹き出した。
涙が出た。
わたしはタバコを握りつぶした。
§
火葬が終わって、仏壇にチトセの骨が安置されるのを確認し────わたしは忍び込んで骨壺を盗んだ。全速力で走って電車に乗った。
「はぁっ、はっ、はっ……はははは!」
骨壺をむき出しのまま膝に置いた。喪服の女が骨壺を抱きしめたまま笑っているからか、気まずそうな顔をした人たちが車両を変えた。
きっと犯罪だ。いや、ちゃんと住居侵入と窃盗……骨って物なのかな。確認したくて骨壺を開けた。中の匂いを嗅ぐと、少しだけ香ばしかった。美味しそうだと思った。摘まむとすぐに割れて粉々になった。
物か。だってこれに心は無い。確信を持てた。
ちゃんと天国に心を持って行ってくれたことを願う。大事なものは灰にはならない。きっと勝新も優作もジェームス・ディーンも天国にいるだろうから、サインでもねだっているかもしれない。
わたしがこれからやろうとしていることはただのエゴで、チトセの不在を受け入れるための通過儀礼だった。
花に嵐のたとえもあるぞ。さよならだけが人生だ。
それでもよかった。チトセのことを愛していたわたしがまだそこにあることだけでよかった。
§
二時間ちょっとをかけてわたしはわたしたちの家に帰った。どっと疲れた。犯罪を犯したことに身体が拒絶反応を示していた。
わたしたちの1LDKはとても広かった。二人だったら狭かったのに。狭かったからこそ、ここにはすべてがあったんだと思った。
せっかくだから美味しく頂こう。わたしはキッチンから取っておきたいとっておき、トリュフ塩の瓶をとりだし、骨壺の中にまぶして壺を振った。シャコン、シャコン、という音がする。中を見ると骨が粉々に砕けてしまっていた。
そこでピンとくる。そうだ、ふりかけにしよう。
塩だけでご飯を食べるには心もとない。常備していたサトウのご飯を温めている間、にんにく粉にカレー粉をとにかくぶちこんでひたすらミックスした。ふりかけにしては量が多いけど、まぁ、いいか。
さっそく温め終わったサトウのご飯にチトセふりかけをかけた。箸で摘まんで一口放り込む。
「まずっ!」
チトセは不味かった。なんだそりゃ。
「いっつも変なことこねくり回して考えるから味もひねくれてんだよ……」
悪口を言いながらひたすら食べ進める。お腹の中にどんどん溜まっていく。それでも食べ進める。食べ進める。食べ進める。
チトセは本当に不味くて、珍味というわけでもなくて、ただひたすら人間の食べるものの味をしていなかった。あんなに唇は甘かったのにおかしな話だ、と思った。
ようやくチトセとの長い戦いを終えたわたしは、床に寝っ転がった。天井を見上げて大の字になって、お腹が少し落ち着いてきて起き上がって、立ち上がった。
あくびが出た。
「ハナってあくびの時、本当にブサイクだよね」
どんな美人でもあくびとくしゃみの時はブサイクなの。
「私も?」
そりゃあんた……惚れた弱みよ。
「んふ、んふ。私も。ブサイクな時のハナも大好きだよ」
ブサイクブサイク言うな!
やけに目が灼けると思った。オレンジ色の光だった。
すっかり夜明けだった。
おれの性癖創作百合短編詰め合わせ みやじ @miya0830
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