3.第二王子レオナール
「………えっ」
思わずそう声が出たのは、目が覚めた瞬間、エマの体はシーツの上に横たわっていたからだ。
そう、あの青年が寝ていたはずのシーツの上に。
エマはがばっと勢いよく体を起こし、辺りを見渡してみる。部屋の中に青年の姿はない。
(……え、いない?逃げた?あの傷で?)
そう思いながら、エマの目は窓の外に向いていた。
少しだけ開けていた窓の外に、プラチナブロンドの髪が見える。
エマは慌てて部屋を飛び出し外へ向かった。
「………あの!」
庭にポツンと佇んでいたその人は、エマの声にゆっくりと振り返る。
上質な服を身につけた、見目麗しい青年と、周囲の畑に実る作物が一緒に目に映るその光景は、とてもちぐはぐだった。
深い海のような碧い瞳が、じっとエマに向けられる。
そこで、ようやくエマは咄嗟に声を掛けてしまったことを後悔した。
相手は貴族、それも王族の可能性がある。
対してエマは、辺ぴな村の平民の娘。おまけに髪は黒に近い。
もう少し、相手がどんな人物なのかを観察してから声を掛けるんだったとエマは思ったが、もう遅い。
「と、突然お声がけして申し訳ございませんでした。私はエマ・ウェラーと申します」
エマは身を屈め、思わず貴族がとる礼をしてしまった。それもおそらく、王女として磨き抜かれた完璧な礼だ。
違う意味でまた後悔の波に襲われているエマの耳に、砂利を踏む音が届く。
近付いて来ている。間違いなく。
ミリアには「この人は大丈夫な気がする」と言ったエマだったが、いきなり斬り伏せられたりしないかと不安になった。
(まさかまた、前世と同じ享年十六歳だなんてことに―――…)
地面を見つめていたエマの視界に、靴のつま先が映る。見るからに高価な靴が、土で汚れてしまっていた。
「……顔を上げてほしい」
頭上から振ってきたのは、エマが思ったよりも優しい声だった。けれど、安心させておいてズバッと斬られる可能性も捨てきれない。
エマは細心の注意を払いながら、ゆっくりと顔を上げた。
整いすぎた綺麗な顔が、目の前にあった。
これはトップクラスで女性に人気があるだろうな…と呑気に考えながらも、エマは次の言葉を大人しく待つ。
すると、何故かその唇から発せられたのは、エマの名前だった。
「………エマ」
「……はい。エマと申します」
「エマ、エマ…?」
「はい…?」
どうして急に名前を連呼されるのかは分からないが、斬り伏せられる可能性はなさそうだと分かり、エマはホッと息を吐く。
「……あの…、おケガは大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない。君が手当てを?」
「いえ、母です。あの、家の中に戻りませんか?また傷が開いたら大変ですし…」
エマはそう言いながら、ちらちらと周囲に視線を走らせていた。
まだ早朝だからか、村人が出歩いている気配はない。けれど、この青年の存在を公にしていない今、誰かに見られたら間違いなく大騒ぎになる。
早く家の中に入りたいエマの気持ちとは裏腹に、麗しすぎるケガ人は、顎に手を添えてじっと何かを考え込んでいる。畑のど真ん中から動こうとしない。
そして、口を開いたかと思えば。
「自己紹介がまだだったな。俺はレオナール・シェバルツェだ」
「………え、」
レオナール・シェバルツェ。
それはこの村があるシェバルツェ国の、第二王子の名前だった。
「レオ、ナール…殿下……?」
エマは驚きのあまり呼び掛けるような言い方になってしまい、レオナールが口元で弧を描く。
「どうした?」
「………あ、いえ…あの…」
「突然身分を明かせば、そういう反応にはなるか。……ところで、エマ」
ずいっと顔を近付けて来るレオナールに、エマは肩を跳ねさせた。
(近い近い、この人距離感おかしいんじゃないの!?本当に王族!?)
もしエマが刺客だとすれば、間違いなく一撃で仕留められる距離だ。
「……は、はい。なんでしょうか」
「君は、俺とどこかで会ったことがある?」
「……はい?」
エマはポカンと口を開ける。
これは前に、兄のセインに何度も言い聞かされた話なのだろうか、と思考が巡る。
男性は、気に入った女性に「どこかで会ったことがある?」と話し掛けることがあるから気をつけろ、と言われたことがあるのだ。
まさに今がその状況なのだろうか…と変な思考に陥り、そんなエマを見ていたレオナールが、突然吹き出すように笑った。
「ごめん、下手な口説き文句みたいに聞こえたか。そんなつもりは……なくもないが」
「えっ?」
「ただ、君を見ていると…懐かしい感じがする。……その髪色か…?」
最後にポツリと呟かれた言葉を拾ったエマは、首を傾げる。
(髪?私の、この黒に近い髪?レオナール殿下に、黒髪の友達でもいるの…?)
「ぎゃっ!」
何やら虫でも踏んづけてしまったような声が聞こえ、エマは振り返る。
すると、口元を両手で押さえたセインが、ぷるぷると震えていた。
そこでふと気付く。エマとレオナールの距離は、驚くほど近いということを。
何やら盛大に勘違いしたらしいセインは、頭を振りズカズカと大股で近付いて来ると、エマの腕を掴んだ。
「い、妹に言い寄らないでもらえますか!」
「ちょっと、兄さん…!」
「確かに顔はそこそこ良いし舞は綺麗だけど、頑固だし融通利かないし…!」
「ちょっと、兄さん?」
思わずエマがじろりと睨めば、レオナールの笑い声が響く。
「いいな、兄弟愛。俺には無縁なものだ」
「……殿下はご兄弟と、不仲なのですか…?」
碧眼に陰りが帯びていたことに気付いたエマは、思わずそう問い掛けてしまう。
「ああ、それはもう…」
「で、殿下ぁ!?」
レオナールの言葉は、セインの声によって掻き消された。あまりにうるさく耳元で響き、エマはその頭をペシッと叩く。
「いてっ」
「もう、兄さんうるさい!この方はレオナール殿下よ!私たちが気軽に話せるお相手じゃないんだから!」
「はは、そんなことはない。気軽に話し掛けてもらって構わないよ」
レオナールが笑いながらそう言い、エマとセインは顔を見合わせてしまった。
まさか、そんな言葉を掛けられるとは思わなかったのだ。
エマはちらりとレオナールを見る。
「あの…恐れながら殿下、私たちは貧しい平民ですし…その、髪色が…」
「髪色なんて、関係ないさ。少なくとも俺は、手当てをしてくれた君たち家族を、蔑ろにしようなんて考えはこれっぽっちも浮かばないな」
「………レオナール殿下…」
エマは感動で胸が震えた。
王族でも、そんな考えを持ってくれる人がいる。そう分かっただけで、レオナールを助けて良かったと思えた。
セインも同じように思ったのか、ぐっと唇を噛み締めているのが分かった。すぐにレオナールに向かって頭を下げる。
「……無礼な振る舞いを、どうかお許しください。俺…いえ私は、セイン・ウェラーと申します」
「はは、気にしないでくれ。……それにしても、君もなかなか綺麗な礼だ。エマも完璧だったけど、誰かに教わったとか?」
「はい、実はエマに…」
「レレレ、レオナール殿下!とりあえず一旦家に!入りましょう!!」
セインの口から事実を告げられる前に、エマは話を逸らすことに成功した。
ただの村娘が貴族の礼儀を教えたなんて知られたら、絶対に怪しまれてしまう。
エマは過去に、貴族ごっこと称してセインとミリアに散々振る舞いのダメ出しをしていた。
そのことを後悔しながら、エマはレオナールを家に招き入れるのだった。
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