1.前世の記憶



 ―――前世の記憶を持つ人間は、この世にどれくらい存在するのだろう。




 エマ・ウェラーには二回分の前世の記憶がある。



 一回目の人生は、小さな町の花屋の娘として産まれた。

 ごく普通の家庭で、ごく普通に一生を過ごし、寿命を全うした。



 そして二回目の人生は、あろうことか一国の王女だった。


 エマの言動は、前世の記憶にだいぶ引っ張られてしまうということが分かっている。

 なので、二回目の人生では王女にも関わらず、その前の花屋の人生の庶民くささがなかなか捨てられなかった。


 使用人がするような家事は大抵一人でこなせたので、兄弟からはバカにされ、雑用を押し付けられることが多かった。



 ともかく、庶民くさい王女、と陰でこそこそ笑われていたときの人生は、決して楽しいものではなかった。

 その命が散る瞬間も、とても無惨なものだった。


 王家に恨みを持つ者たちが集まって謀反を起こし、王城に攻め入られた挙げ句、呆気なく斬り伏せられてしまったのだ。

 僅か十六歳で、エマは王女であったときの人生を終えた。





 ―――そして、現在の人生は。



「おいエマ、邪魔なんだけど」


「もー、大の字で寝っ転がらないでっていつも言ってるでしょ?」



 上から二人同時に顔を覗き込まれ、エマはぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 兄のセインと姉のミリアが、狭い部屋で寝転がっていたエマに文句をぶつけてきた。



「さっさと退かないと踏むぞ?…ったく、ガキの頃は生まれる家間違えたんじゃないかってくらい淑やかだったのにな」


「本当にね。お姉さまごきげんよう、とか言っちゃったりしてね〜。今じゃそんな面影は全くないわね」


「……うるさいなぁ、もう」



 エマは口を尖らせながら起き上がる。


 小さい頃、エマは前世の記憶に引っ張られ、叩き込まれた王族の仕草や言葉遣いがなかなか抜けなかったのだ。


 小さな村で平民の娘として産まれた今回の人生では、その前世で身につけたものは全く不要なものだった。



 おかげで、「ごきげんよう」と言ってしまう度に兄と姉に吹き出され、ただの布切れ同然のワンピースの裾を持ち上げて礼をすれば、両親に頭を打ったのかと心配された。


 十六歳を迎えた今、ようやく王族としての振る舞いを頭の片隅に追いやることができて、エマはとても安心している。



「二人とも、お祭りの準備は終わったの?」



 エマの問い掛けに、セインが「あー、」と曖昧な返事をする。



「祭りなぁ…準備は進んでるんだけど…」



 そこでちらりとミリアに視線を向け、ミリアは私に振るな、とでも言いたげにセインを睨み返す。

 その全く隠せていない無言のやり取りを見て、エマはなんとなく察してしまった。



「……もしかして、最近村に来た貴族の男のせい?」


「………!エマ、しーっ!!」



 ミリアがエマの口元を押さえ、慌てて窓の外を覗く。

 誰もいなかったのかホッと息を吐くと、眉を下げてエマを見た。



「エマ、気を付けて。陰口言ってるのがあの人の耳に入ったら、私たちは何されるか分からないんだから」


「……いくら私たちが、黒に近い髪だからって…」


「あのなぁ、エマ。何度も言ってるけど、髪色の差別は王都に行けば良くあることなんだって。貴族なら特にだろ」



 セインは自分の髪を掴んで眺めながら、諦めたような顔で肩を竦めていた。


 エマも、そんなことは花屋の娘だった人生のときから知っている。

 不思議なことに、生まれ変わっても住む世界は全て同じだった。


 永遠に続くと思われる、髪色の差別。

 人はなにかと優劣をつけたがるものだということを、王女の人生のときに嫌と言うほど学んでいた。


 けれど、“理解する”ことと“納得する”ことはまた、別の話だ。



 エマたち兄弟は、みんな黒に近い髪色を持っている。瞳の色はローズクォーツのようなピンク色だ。


 そして髪色が暗いほど、平民のさらに下の存在として扱われる。逆に、明るいほど敬われる。

 貴族のほとんどが茶髪か金髪で、王族ともなると白や銀が混ざったような、さらに明るい金髪が多い。



「……髪色が明るくたって、何の役にも立たなかったけどね」


「え?」


「ううん、なんでもない」



 エマは思わずボソリと呟いてから、誤魔化すように話を戻す。



「それで、お祭りの準備の最中に何か言われたの?」


「……この村に来たときと、同じこと言ってたな。“何でこんなに暗い髪色が多いんだ?気分が悪くなる”とか“おい君、私の視界に入るのはやめたまえ”とか」



 セインが似ていないモノマネをする。

 それを白けた目で見ながら、ミリアがため息を吐いた。



「おかげで、準備してるみんなが萎縮しちゃってね…。あーあ、助けてあげた私たちがバカみたいよね」



 この小さな村に貴族の男がやって来たのは、つい数日前のことだった。


 森の中で怪我をして倒れているのを誰かが発見し、数人がかりで村に連れてきて手当てをした。

 幸い浅い切り傷のみで治りが早く、男はすぐに元気になったのだが、なぜかこの村から出て行こうとしない。


 ……けれど、その理由がエマには想像がついた。

 自分より目下の人間しかいないこの村が、愉快でたまらないのだ。



 実際にエマは、貴族の男が高らかに笑いながら「この村の人間は私の思い通りになっていいなぁ!」と言っているのを聞いていた。



「………」



 もうすぐ、この村では毎年恒例の祭りが行われる。

 日々の恵みに感謝をして、男性たちが歌い、女性たちが踊る。その踊りの中心になるのがエマだった。


 年に一度、みんなが笑顔で楽しむ祭りを、ポッと出てきた男なんかに邪魔されたくない、とエマは思った。



「兄さん、姉さん。私、あの男が思わず拍手を送りたくなるような踊りを、見せてやるわ」



 拳をぐっと握って立ち上がったエマに、二人が顔を見合わせてフッと笑った。



「エマの踊りは本当に綺麗だからね…どうする?あの貴族に見初められたら」


「それだけは嫌」


「まぁ確かに顔もアレだし、年も結構……。でも、女は金持ちと結婚した方が幸せになれるだろ?」


「お金なんかなくたって、私は好きな人と結ばれればそれで…」


「えっ?エマ、好きな人いるの?」



 ミリアに目を丸くしてそう言われ、エマはしまった、と口元を押さえる。

 すかさずセインがニヤニヤしながら口を開くのが見え、エマは脱兎のごとく玄関へ向かった。



「じゃあ私、ちょっと踊りの練習してくるからー!」


「はぁ!?おいエマ、今何時だとっ…」



 ちょっとだけだからー!と言いながら、エマは森へ向かって走り出す。

 心臓はドキドキと早鐘を打っていた。



(姉さんごめん、言えないけど…好きな人は、いるの。……正確に言えば、いた、だけど)



 どうしようもなく好きだったその人は、前世で王女だったエマを庇って命を落とした。

 そしてそのあとすぐに、エマも命を落としている。



「……結局、伝えられなかったな…」



 エマはポツリと呟いて、自嘲気味の笑みを零す。

 こうして次の人生でも引きずってしまっているのは、心残りがあるからだ。



 村からすぐ近くにある森に入り、いつも踊りの練習している、大きな切り株のある少し開けた場所に辿り着く。


 そこでエマは、信じられないものを見た。



「―――人…?」



 誰かが、切り株にもたれかかるようにして倒れている。

 月の光に照らされ、プラチナブロンドの髪がきらきらと輝いていた。


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