聖女の戒律

 僕の隣にいる聖女は、僕の知りうる限りではこの世界で最も尊敬を集める存在だ。

 神の名のもとで人々を癒し、導く彼女は、誰もが憧れる完璧な聖女だった。

 少なくとも、大衆の前では。


「覚えていますか? 私たちが初めて出会った日のことを」


 彼女は僕の腕に自然と体を寄せながら、遠い日の記憶を語り始める。

 あの日、街の市場で暴れていた馬を僕が必死に抑え込んでいる間に、彼女は見習い聖女として治療魔法を使いに来ていた。

 巻き込まれた人々を癒やす彼女の姿に、誰もが魅了されていた。


「あなたが振り向いてくれた瞬間、私、運命を感じたんです」


 その言葉に首を傾げながらも、僕は黙って聞いている。

 あれから彼女は正式な聖女となり、僕は彼女の警護を任されることになった。

 その時から、彼女の様子が少しずつ変わっていった。


「ねぇ、もっと近くに来てください。私、あなたのことが大好きなんです」


 聖堂の薄暗い一室で、彼女は僕の胸に顔を埋めてくる。

 周りの目を気にせず、むしろ楽しむように。

 神に誓いを立てた聖女である彼女の行動に、僕は困惑しながらも、そっと身体を引こうとする。


 しかし彼女は更に強く僕にしがみつき、その華奢な指で僕の背中をなぞり始めた。


「逃げちゃダメですよ。これは神様が定めた私たちの運命ですから」


 その囁きは甘く、そして少し狂気じみていた。

 完璧な聖女のもう一つの顔を、僕はただ黙って受け入れるしかなかった。

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