ようやく得た幸せな日常
王は恩賞として幾ばくかの領地をビルに与えた。それはこの大きな功績には少なすぎると人々は噂するが、ビルにはどうでもいいことだ。
ビルは王都にも遠くなく、豊かな土地を選んで自らの直営の荘園とする。
その農地を戦死者の遺族や負傷者達に与え、暮らしていけるようにした。
そこはビルにとっても憩いの地であり、負傷して引退した戦友やその家族と過ごす時、彼の顔に久しぶりの笑顔が戻る。
「ビル様、お茶が入りました」
荘園の自邸で寛ぐビルに美しい少女が呼びかける。
「エリス。そこはビールが良かったな」
古い戦友と戦談義に興じるビルは軽口を叩く。
「ビル様、明るいうちからお酒はダメです。
神様が見てますよ」
明るい声で答える少女はビルを庇って戦死したクラフトの娘である。
戦争が終わった後、クラフトの遺族を探していたビルは、残された妻と姉弟が暮らしに窮していたのを知る。
ビルはすぐに手元に引き取り、とりあえず自分の家の離れで暮らすように言った。
しばらくしたら家を与えて、独立させようと思っていたが、広い家に一人で暮らすビルを見兼ねたのか、家に入ってビルの身の回りの世話をするようになった。
荘園での暮らしをしばらく愉しむと、王から反乱貴族の残党狩りの命令が来た。
反乱の勝利後、王は降伏してきた貴族と家臣に対して苛酷な処罰を行ったことから、貴族の領地では家臣が収まらずにあちこちで蜂起が起こっている。
王は早期の和平よりも貴族を徹底的に潰し王権を強化する考えだった。
「激しい内戦のためか、今年は飢饉のようだな。
食うに困れば山賊も増えて、ますます治安が悪化するだろう。
王陛下も少しは民衆のことを考えて欲しい。
これではオレの仕事が増えるばかりだ」
「農民も戦に駆り出されて農地を耕す者がおりません。まして今年は日照りの年。こうなることは明らかだったと思います」
ビルと副官が馬に乗りながら話す。
「それをわかりながらまだ和平をしないとは権力欲とは度し難いな。
見ろ、あんな輩が出てきているぞ。
人間、困れば神に救いを求めるものだが、あんな奴らを頼っても食い物にされるだけだ。
哀れなものだ」
ビルが指差す方向には、最近あちこちで見る新興宗教の伝道師が貧しい民衆に布教している。
家を焼かれ、畑の作物も強奪された農民は信仰に救いを見出しているようだ。
「今の困窮は神への信仰が足りないからです。
もっと神を敬い、全てを神に託しましょう!
そうすれば現世でも死後の世界でも救いがあります」
見窄らしい農民達は伝道師の説く言葉に感動し、持っているわずかな金をその前の箱に入れる。
「愚民には祈りが救ってくれると思えるのでしょう。
教祖達の食い物にされるだけだと言うのに」
名門貴族出身の副官は軽蔑するように言い放つ。
庶民同様の貧乏男爵だったビルは彼らを憐れみの目で見るが、それ以上は何も言わずに道を急がせた。
王宮では王が待ちかねていた。
「遅いぞ、リッジス。
懲りないネズミどもを退治して来い。
こういう時には迅速に動いて義父を安心させるものだぞ。
余は親孝行の義息子ができて良かった」
居並ぶ宮廷貴族が声をあげて同意する。
最近の王は義父だとか義息子だのやたらと口に出す。
そして親孝行だとかいう言葉で恩賞を値切るのだ。家臣であれば恩賞が必要だが、王族が働くのは当たり前と言う理屈らしい。
(なるほどこの為の結婚か。吝嗇な王らしい考えだ)とビルは思っている。
王への面会を終えたビルを、王女の使いとして侍女ソフィアが待っていた。
「リッジス将軍、マリー様がお待ちです。
今日は館においでいただけませんか」
「婚礼の夜は全く歓迎されていないようだったが、どうした風の吹き回しか。
どうせこの前の腹いせに刺客が待ち伏せているのだろう。
王女との結婚の目的は、オレが王の義息子としてタダで働かせることのようだ。
ならば形だけの夫婦として今後もやっていくのがお互いのため。
それがわからずに先日はカッとなって失礼なことをしたと王女に詫びておいてくれ」
王女になんの期待もしていないビルは淡々として言うが、ソフィアは、王女は心を改めているので会って欲しいと粘った。
面倒になったビルはすぐに出征する必要のあると断り、次回、王都に来た時に館に寄ろうと約束した。
残党狩りは問題なく進む。
貴族の残党は名将リッジスが来たと言うだけで、続々と降伏した。
ビルは彼らを軍に組み入れ、兵を増やしながら次々と鎮圧を進める。
大きな戦いもなく、鎮圧は成功裡に終わる。しかし、ビルが見るところ、各地に派遣されている代官は重税を課していて、民衆の不満は高まる一方のようであった。
(食うに困れば蜂起せざるを得ない。
またすぐに反乱は起こるだろう)
ビルとその軍隊を見る民衆の目は冷たい。
奴らは王の手先、リッジスは王の婿だという囁きが聞こえる。
嫌気がさしたビルはまだ賊への鎮圧が残っていると称して王への報告を遅らせ、荘園で休むことにした。
荘園の自宅は大将軍となったリッジスには似つかわしくない質素なものであったが、生まれ育った家屋に似て造らせたその家を彼はこよなく愛していた。
「おかえりなさい、ビル様」
家ではエリスとその母ローザ、弟のディビットが待っていた。
彼らは今や家族同然である。
戦死したクラフトはビルより一回り以上年長であったため、ビルは同様に年長のローザを母のように、エリスとディビットを少し歳の離れた弟妹のように思っていた。
「今度の遠征は少し疲れた。しばらくはここに滞在したいと思っている」
「それは良かった。嬉しいわ。
さぁ、暖かいご飯ができてるわよ」
ビルが座るのを待ち、4人で食卓を囲む。
(このまま静かに彼らと暮らせればいいのだが)
荘園に戻ってもビルの仕事は多い。
王に与えられた広大な所領の経営をビルは行わなければならない。
もちろんビルは大きな方針を示し、その範囲で雇った執事などの文官達が必要な施策を講じ、適切な課税を行っている。
しかし、以前にすべてを任せて裏切られたビルはもう部下を無条件で信頼していない。
(信頼しても人は裏切ることがある)
そう教訓を得たビルは必ず自らで目を通し、確認していた。
「あーあ、疲れたな」
根っからの軍人のビルはデスクワークに疲れて、荘園内を見回りに行く。
「ビル兄さん、僕も一緒に行く。剣の練習に付き合って」
ディビットがついてきた。
まだ少年だが、頭脳明晰で剣の筋もいい。
コイツはいい軍人になるかもしれないと、彼をビルは買っている。
「いいだろう。少しは腕を上げたか」
二人で歩いていくと、人だかりがしている。
「あれは何だ?」
「少し前から変な宗教の伝道師が来ているんだ。たくさんの人達が熱心に聞いている。母さんや姉さんも時々行ってるみたい」
各地で広がっている新興宗教が、自分の愛する土地にも来ているのかとビルは嫌な気持ちになる。
それでもこの荘園でのエリス達との生活、夜には引退した戦友たちと酒を飲むという平穏な日々にビルは満足していた。
ある夜、ベッドで眠りにつくビルに何者かが近づいてきた。
「誰だ!」
跳ね起きようとするビルに柔らかい身体が飛び込んできた。
この身体、匂いはエリスだ!
「エリス、何だこの夜に」
当惑して尋ねるビルにエリスは少し躊躇いながら話す。
「ビル、あなたが好きなの。
でも遠回しに言ってもわかってくれないし、夜這いに来ちゃった。
私を抱いて」
その声は少し震えていた。
それを聞いたビルは瞑目して何かを考えていた。
しばらくの沈黙の後、口を開く。
「ありがとう。とても嬉しいよ。
でもオレはいつ死ぬかわからない軍人だし、形の上だけとはいえ結婚もしている。
エリスにはもっといい相手がいるはずだ。
もし、ここで世話になっている恩返しなどと思っているなら、恩を受けているのは一人ぼっちだったオレの方だ。
気にする必要はない。
オレを兄だと思って、ここで気楽に暮らしてくれ」
「いやっ。
あなたが好きなの!
王女様と結婚しているのも知ってるわ。
だけどビルは一人ぼっちでしょう。
私があなたと一緒にいるわ」
ビルは溜息をついて言う。
「言いたくなかったが、仕方がない。
オレは不能だ。お前を抱けない。
前に婚約者に裏切られて、他の男と致している現場を見た。
更に結婚式後の初夜で新妻のはずの女が他の男とベッドに入っているのを見て、女に何のときめきもなくなった。
こんな惨めな男を好きになることはない」
「だったらわたしが治してあげる」
エリスはビルを押し倒して、そのまま一緒にベッドに横たわった。
ビルはやれやれと思いながら、隣にエリスを置き、腕枕をして頭を撫でてやっていると、緊張が解けたのか彼女は寝てしまった。
それから毎夜エリスはビルの部屋に通う。
しかし、ビルの不能は治らない。
ビルはそのうちに諦めるだらうと、好きにさせておく。
やがて、彼女が来るのを待ってお茶を飲み、四方山話をしながら一緒に床につくのが当たり前となった。
ある夜、ビルが抱きついてくるエリスを抱き抱えると、彼女が「えっ」と言う。
下を見ると、ビルの逸物が元気になっていた。
「ビル、これって治ったんじゃないの」
顔を赤らめながらエリスが聞く。
彼女と毎夜一緒にいることで女への嫌悪感がなくなってきたようだ。
ビルは驚いたが、おそらく相手がエリスだから勃ったのだろうと思う。
彼女に微笑みかけ、
「本当に後悔しないのか。オレは惚れた女を離さないぞ」
と言いかけるが、エリスに口づけされて最後まで言えなかった。
その晩、二人はやっと結ばれた。
翌日、エリスの母ローザに、ビルはエリスを妻としたいと申し出た。
「正式な妻とはできないが、エリスと一生添い遂げるつもりです」
ローザは微笑んでそれを認め、ディビットは大喜びした。
その夜は、豪勢な料理を作り、近隣の村人や戦友たちを呼んで祝の宴とする。
心のゆとりができたビルは、何度も来るケイトの手紙をようやく読んだ。
そこには、ビルを裏切ったことへの謝罪と近況が書かれていた。
ビルの執事はしっかりと借金を取り立てていたらしく、彼女とその家族は領地を売り払って借金を返済し、今は家族がバラバラとなってあちこちで働いているという。
ケイトはサムとは一緒にならず、商家の娘の家庭教師をして暮らしているらしい。
貴族の娘が平民に雇われるなど屈辱であったろう。
サムの一家は家産がないためにさらに酷く、借金を債権回収屋に売られて、猛烈な取り立てにあっているようだ。
サムは最後は鉱山労働に行かされ、消息不明とあった。
最後に、これまでの感謝と謝罪を繰り返し、少しでもお金が貯まれば修道院でビルの幸せを願い、祈り続けると締めくくっていた。
今までの手紙もおそらく同じような内容で、手紙を書くことが彼女の贖罪なのだろうと彼は考える。
(こんな手紙を貰い続けるのも鬱陶しいな。
一度は愛した女だ。
自分の知らないところでなら幸せに生きてもいいだろう)
自分が幸せとなり、許す気持ちが生まれたビルは執事に言いつけ、ケイトに多少の金を送らせた。
その金で本当に修道院に行くのか、どこかに嫁入りするのかは知ったことではないが、これからは自分と関係なく生きてくれとビルは思った。
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