第5話 対決


「ようこそおいでくださいました」


 馬車の扉を開けると、温厚そうな老紳士が出迎えるのが見えた。

 白髪でモノクルに白手袋を着けた、執事服姿だ。

 

「ありがとう」


 ルシアが降りるよりも先にジョスランが降り、エスコートに手を差し出す物々しい姿を見て、執事が眉根を寄せた。

  

「あの、そちらは」

「心配性の父が雇った護衛ですの。お気になさらず」

「ですが、帯剣は少々はばかられます」

 

 ジョスランはルシアが降りたのを確認してから、無言で革ベルトから剣を鞘ごと引き抜いて執事へ手渡す。

 すると執事は、その剣を捧げ持つようにして両手で受け取ってから、微笑んだ。


「預からせていただきます。では、こちらへ」

 

 護衛の存在を許容してくれたことに、ルシアがホッと息を吐いていると、背後から「想定済だ」と囁かれる。

 目に見えない武器は持っているということかと理解したルシアは、小さく頷いてから歩を進めた。


(大げさだと思っていたけれど、これほど心強いだなんて。感謝しなければ)


 執事に招かれたのは、応接室のようなところだった。

 玄関ホールの右手にある扉から入り、室内へ目をやると、大きな花束を描いた絵画が対面の壁に掛けられている。金で縁取られた分厚い額に収まる絵は両手を広げても足りないほど大きく、赤と青の激しいコントラストで描かれている。応接室であるというのに、心の平穏を与える気のないセンスに、ルシアは溜息が出そうになるのをこらえた。

 

「やあ、ルシア嬢」


 暖炉を背にした三人掛けソファから立ち上がったのは、濃いグリーンのジュストコールに茶色いベスト、白いブリーチズを身に着けたブリアック侯爵本人だ。ジャボと呼ばれる白いフリフリのタイに付けられた、大ぶりエメラルドのブローチが眩しい。右手の人差し指にも、金色の指輪が光っている。

 

「ご機嫌麗しゅう存じます、閣下」


 扉付近のルシアがカーテシーをすると、ブリアックはルシアへつかつかと歩み寄り、右手を差し出した。

 断る理由がないので素直に従うものの、ぎゅっと掴まれた手袋越しにも感じる自信と傲慢さが、ルシアの背中の毛を逆立たせた。

 

「座って楽にしてくれ」

「ありがたく存じますわ」


 対面に腰かけると、すかさず先ほどの執事がお茶の用意を始めた。メイドが見当たらないことが不思議だが、タウンハウスには最小限の人員配置しかしていないのかもしれない。

 ルシアの背後に立つジョスランは、先ほどから警戒を怠らない様子だ。


「そう警戒しないで欲しい。今日は特別なお茶を用意したよ。気に入ってくれたら良いが」


 ちろりとブリアック侯爵はジョスランに視線を投げてから、再びルシアに戻す。

 恭しい態度で執事がテーブルに置いたティーカップの中で、薄い琥珀色の液体が湯気を立てている。


「ハーブのような香りがいたしますわね?」

「少し珍しいものだ。体の芯が温まる」

「春とはいえ、肌寒い気候ですものね」

「その通り。もう少し暖かければ、自慢の中庭を見せられたのだが」


 ルシアは、ブリアックから熱い視線を投げかけられて、戸惑う。

 緊張からか喉がカラカラに渇いたルシアは、お茶を一口飲んでから、口を開いた。

 

「わたくし、閣下とはお話したことございませんでしたけれど。わたくしをお求めになられる理由が分かりませんわ」

「以前からその美しく黒い瞳をひとりじめしたいと思っていた」


(いきなり、砂糖吐き出したぞ)


「近くで見ると余計に神秘的だな。髪色もまるで夜の闇のようで、無意識でも魅入られてしまう」

 

(ちょっと何を言われているのか分からないんだが)


「婚約前の顔合わせと聞いているが。この私の情熱を直接感じれば、帰ろうなどとは思わないはずだよ」


(じょうねつ……体の芯が、あつくなる……)


「なあ、ルシア嬢」

「……そこまで想っていただけるだなんて。光栄ですわ」

「ここではなんだ、仲を深めたい」

「は……い」

「そのお茶を飲んだら次は、私の部屋へ案内しよう」

「ええ……」

 

 素直にティーカップの中身を飲み干すルシアを、ブリアックがにやにやと見つめている。

 かちゃりとソーサーをテーブルへ置いたのを見計らい、彼は鷹揚にソファの背もたれへ肘を掛けながら言い放った。


「おい、そこの物騒な護衛。帰って良いぞ。ルシア嬢は私のものになった」

「な!?」

 

 ――赤と青。

 ――握った手。

 ――ハーブの香り。

 ――甘い言葉。


 動揺するジョスランは、ルシアが前触れもなくいきなり立ち上がったので、身構えた。

 ルシアは、落ち着けというように、右手を水平にして横に出す。


「なるほど。よくできた『呪い』ですわね」


 意に反して毅然としているルシアを、ソファにふんぞり返っていたブリアックは、不思議そうな顔で見上げた。ぽかんと口の開いたまぬけな顔は、夜会でモテると有名な侯爵の品位を下げるのに充分だ。


「残念ですが、仲を深める気はございません。きっぱりとお断りしに参りました」

「な、んだと」

「わたくしに、は効きません。こちらのお茶は、意識をもうろうとさせる、神経毒の一種ですわね。純潔を奪い、無理やり婚姻し、腹に子が宿れば母体ごと殺す。そんなことをしても……死者は蘇りませんよ」

「なん……なにを……」

「誰に言われたのです? まさに悪魔の囁きですわね」


 ブリアック侯爵は、妻をめとる前に母親を亡くしている。母子の仲の良さは非常に有名で、どんな夜会へも年頃の女性ではなく母親を連れていた。

 そんな親孝行な侯爵がまさか、と周囲が嘆いていたのを、お見舞い係として働いているルシアは小耳に挟んだのだ。


「お母様は、冥界へたれたのです。見送って差し上げなければ」

「っるさい! うるさい! 貴様に、なにが! わかる!」

 

 激高する侯爵に気を取られ、執事が剣を構えたのに気付くのが遅くなった。

 老紳士とは仮の姿だったらしい。みるみる若返り、剣を構える姿は素人ではない。


「処女の体でも、良いぞ!」


(――まずい、斬られる)

 

らせるかよっ!」


 ガキン、と左腕の小盾でもって刃を止めたジョスランが、乱暴な仕草で兜を脱ぎ捨て面を晒すと、執事は目を見開いた。


「な、剣狂けんきょう……!」

「ははあ。後ろの奴ら、てっきり侯爵を恨んで周りをウロウロしてるのかと思ったが……お前を殺したがっていたのか」


 それを聞いたブリアック侯爵が目を見開くのに、剣狂はさらに追い打ちをかける。


「不思議だった。恨みの割に、本人が病んでないからな。それも見越していたのか、ルシア嬢」

「ええ。普通なら取り殺されていてもおかしくはない。ならば何か訴えているのではないかと……オン・マリシエイ・ソワカ」


 いまや土気色の顔をした侯爵に、今までのような活力はない。ルシアが真言で彼らをしたからだ。強い思いは、必ず応える――ルシアは一層喉を開き、もう一度真言を唱えた。

 

 そうして今、目の前には無念そうな女性三人と、その腹の中の小さな命が見えている。

 

「哀れなお方。お母様を愛するがあまり、妻とその子を手に掛けるだなんて……しかもそれは、この者の暗示によるもの」

「あん、じ……」

「執事の皮をかぶった悪魔の、最悪の儀式ですわね。目的は蘇生なんかじゃないですわよ。さしずめ、そやつの若返りか不老不死か」

「なん、だと!」

「フンッ」


 ぎぎぎぎ、と剣と盾で押し合っていた二人が、ドン! とお互いを膝や肘で押してから飛びのく。

 ジョスランが、隠し持っていた大ぶりのナイフを引き抜いて構え直す。ルシアはその背後へ回り、侯爵と執事から距離を取った。

 

「ゾランダー!」


 目を剥いた侯爵が、口角から泡を飛ばし叫んだ。

 

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