第4話 護衛


 お見舞い係の仕事の後は、タウンハウスにあるルシアの父・バルビゼ伯爵の執務室に顔を出すのが日課だ。

 

「お父様。宰相閣下の件、滞りなく済みましたわ。やはり定期的に通わねばなりません」

「そうか……王宮はそのような場所だからな……」


 珍しく何かを言い淀んでいる父の様子に、ルシアは首を傾げた。


「なにか問題でもございまして?」

「……ああ……その……ルシアに縁談がな……」

「えんだん」

「はあ……」

「えーっと、どなたから?」

「ブリアック侯爵」

「うわあ。それは憂鬱ですわね」

 

 ブリアック侯爵には、三人の妻が。過去形なのは、全員懐妊中にしているからだ。

 

「お見舞い係として名が売れてきたわたくしを、害及ばぬ内に手に入れようとお考えなのかもしれませんわ」

「おいルシア。その言いようはまるで」

「あら。口が滑りました。お忘れくださいませ」


 ルシアは一度、エディット公爵令嬢に誘われて渋々行った夜会で、侯爵本人を見たことがある。

 長めの金髪を前髪ごと後ろに撫でつけた、ギラギラの青い目を持つ壮年の侯爵は、貴族というよりまるで獲物を探す猟師のようで、その背後には無念を六つ背負っていた。あれは愛する人を思っての守護ではない。隙あらば引きずり込もうとする――


「ルシア。侯爵から伯爵の娘に来た縁談を断るには、相当の」


 父親の苦し気な言葉で思考を止めたルシアは、全てを聞き終える前にきっぱりと言い放つ。

 

「お断りする必要はございません」

「!?」

「ただ、正式な婚約前にお顔合わせをとお願いしてくださいませ」

「……わかった。向こうもこちらの背後に宰相閣下がいることは承知しているはずだ。それぐらいのこと、断らないだろう」

 

(あれは、祓わねばいずれ大変なことになる。良い機会が向こうからやって来た)

 

「ありがたく存じますわ」


 ――数日後、ルシアが王宮へ出仕しゅっしするや否や、渋い顔のジョスランにエスコートされながら「噂で聞いたんだが」と婚約の件を詰め寄られた。

 

「お耳が早いですわね」

「……本気で『母子ははこ殺し』の元へ嫁に行くのか」

「お口をお控えくださいませ」

「俺はと言っただろう」

「あ」


 冥界に愛された剣狂けんきょうならば、無念が見えるのも道理にかなっている。

 

「だから、宰相閣下に直談判した」

「え?」

「顔合わせの際、ルシア嬢を護衛する」

「は!?」


 王宮の廊下に、思わずびたりと歩く足を止めたルシアの、甲高い声が鳴り響いた。

 ジョスランの紅色の目がまん丸くなった後で細くなり、再び歩き出せるようそっとルシアの腰を押しエスコートを再開する。ルシアは気を取り直して素直に従った。


「……くく。そんな声が出るのだな」

「おほん。大変な失礼をいたしました……が! 近衛騎士様が伯爵令嬢の護衛の任に着くだなんて、聞いたことございませんわよ」

「言っておくが、王子殿下の後押しもあるぞ。あの後、婚約者殿と誠心誠意向き合って仲直りしたそうだ。王族として後継を残さねばと気負っていた、まずは婚約者殿との関係をしっかり築くべきだった、と反省されたご様子」

「まあ」

「婚約者殿も、王妃教育をしっかり受けている聡明なお方だ。プライドさえ傷つけなければ大丈夫だろう」

「良かったですわ」


 エディットは、むしろやらかした王子を許容した、と株が上がっているだろう。微力ながら後押しを続けていこうとルシアは決意した。


(もっと強力な『お守り』をお渡しせねば!)


「……なあ」


 密かに気合いを入れているルシアを横目で見ながら、ジョスランが躊躇いがちに口を開いた。

 

「なにか?」

「いや。ルシア嬢の助力あってのこととは思うが、情念があれほどの力を発するとは。恐ろしいものだな」

「あれも見えていらっしゃったのですか……あ。殿下への傷害などで拘束など」

「そんなことはしない。証拠もないし、自身で後片付けするつもりだったのだろう?」


 王子を取り巻いていた恨みが見えていたのなら、それをはらったのが本当にルシアだったのかを近衛として確かめる必要があるのだろう、とルシアは納得した。あれらの未練が見えているならば、ブリアック侯爵にどう対峙するのか、見たいのもあるかもしれない。


「もちろんです。わたくしがどのように対処するか、実際にその目で確かめたいのですよね。護衛の任、ご足労をおかけいたしますが、よろしくお願い申し上げます」

「そうではないのだが……まあいい。任された」

「え?」

「なんでもない」



   ○●

 


 婚約前顔合わせの場所は、ブリアック侯爵が王都郊外に持っているタウンハウスでと決まった。

 

 馬車に同乗するジョスランはいつもの近衛騎士服ではなく、チェーンメイルの上にサーコート姿で、腰の革ベルトにサーベルを帯剣している。しかも、頭には鉄兜が乗っていた。今は面頬めんぼうと呼ばれる、顔を守るためのガードを頭頂部に上げて顔を出しているが、屋敷に着いたら被るというのでルシアは驚いた。


「物々しいですわね?」

「バルビゼ伯が私的に雇った護衛、だからな」

「ジョスラン様とお呼びするのは良くないですかしら」

「そうだな。ジョーでいい」

「ジョー様」

「護衛に様は変だろう」

「……呼ぶことはないと思いますが」

「はは」


 馬車の中のそのような会話で、ルシアの緊張がほぐれていく。

 さすがに一人で乗り込むのは無謀だったかもしれない、と思いながらルシアがジョスランを見やると、窓の外を眺め厳しい顔をしている。


「王都郊外と聞いていたが、想定以上に遠い。話によっては泊まっていけと言われるやもしれんな」

「ありえますわね」


 すでに太陽は真上の時刻だ。お茶を飲み、夕方ごろ出立しても夜道を馬車が走るのは危険、となる。

 途中に泊まれそうな宿はない。


「野宿の準備をすべきでしたわね?」

「本気で言ってるのか」

「あら。ジョーが居たら、例え魔獣が出ようが平気でしょう」


 うぐ、と言葉に詰まった後、ジョスランが頬を染める。

 赤くなったのが意外だな、とルシアが真正面からまじまじと見つめると、ガードをガチンと下げられてしまった。

 

「不意打ちはやめてくれ」


 もごもご聞こえるは兜のせいだと思うが、ねているようにも聞こえ、ルシアは思わず微笑んでしまった。

 

「ふふ」

「はあ。泊まっても断っても、ろくなことにならなそうだな」

「ですわね」

 

 何も起こらなければ良いが、心の備えはしておくに越したことはない。


「強い恨みや妬みの念でもって害そうとすることを、『呪い』と呼びます。呪いは、弱き者を引きずる。どうかお心は強く持っていらしてくださいませ」

「肝に銘じよう」


 鋭さを増すジョスランの気配に、ルシアは安堵した。


「頼もしいですわ」

「んん。だから不意打ちは」

「え?」

「なんでもない……」


 ひづめの音が止み、ルシアがそれ以上何か聞く前に、扉が開いてしまった。

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