第3話 会話


「ハア。あんなに可憐で賢い方を……予想通りとはいえ、蛆虫野郎め」

「えっ」

「独り言です」


 婚約者以外の令嬢と懇意になったばかりか、正式な手順を踏まずして衆前で一方的な婚約破棄宣言をするなど、万死に値するとルシアは思う。

 しかも王子が病にせったと知るや、親しくなった令嬢からは「巻き込まれたくない」とフラれ、この体たらくである。下手を打つとはこのことだ。


「殿下。女性を弄ぶのならお上手になさいませ。それもまた、王族の義務ではございませんこと?」

「ルシア嬢は、未熟なくせにとか言わないの?」


 どうやら、勝手に行った他の令嬢とのお茶会をエディットに「王太子教育も満足にできていないのに」と責められ嫌になり、「んじゃ別れよう!」宣言だったらしい。短慮の末の感情的な行動に、甘やかされ王子ここに極まれり、とますますルシアの視線は冷えていく。ベッドに寝転がる王子の股の辺りを刺すように見てからまた王子の顔を見やった。

 

「……子種をできるだけ残すことが、王族たるお役目のひとつであることはエディット様も重々承知されていらっしゃる。ですが結婚前に見て気持ちの良いものではございません。不審どころか百年の恋も冷めましょう。ちなみにわたくしも断固御免ですわ」 


 ベッドの上から濡れた緑の瞳ですがるように見つめられても、ルシアの心はこれっぽっちも動かない。

 

「もしもわたくしが同じことをされたら……蛆虫野郎のをヒールで踏み潰してからすり鉢に放り込んで、すりこぎ棒ですり潰してやりますわ」


 王子が意味不明だという顔をしていたので、ルシアは踵で床をダン! と打ち鳴らしてから、手のひらの上に拳をごりごりと擦り付けるのを見せつけた。


「ひ!」

 

 背後で、近衛騎士たちが笑いを堪えている気配がする。彼らもまた、女性関係に奔放な王子の振る舞いに手を焼いていたそうだから、少しは溜飲が下がったかなとルシアは思う。

 

「不誠実とは、それほどの罪でしてよ。殿下は、エディット様の深い愛情に感謝すべきですわ」

「はああ。うん、わかった……肝に銘じる」

「ならば、殿下を心から『お見舞い』申し上げます。よく眠れますように。オン シュリシュリ マカシュリ シュシュリソワカ」


 これに懲りて、妻となる方のみを大事にと心変わりしたのならば――ルシアはエディットの幸せを心から願い、真言に載せた。

 

 

   ○●



「ルシア嬢。……具合でも悪いのか?」

「えっ! あら」


 過去に思いを馳せていたルシアは、気が付けば馬車の前に立っていた。近衛騎士の紅色の瞳が、自分を覗き込んでいる。


「少し働きすぎではないか?」

「ええと、大丈夫ですわ」


 王子のの効果が口伝えで広まり、今や淀みを抱えるあちこちの貴族たちから「来てくれ!」との声が掛かっていて多忙なのは間違いない。

 大体が大したことのない、ねたみややっかみの類い。小さなことではあるが、自分が行くことでゆっくり眠れるならばと、ルシアは仕事として請け負うことにした。


 仕事にするからにはと、宰相の配慮でルシアは『お見舞い係』という特別な役職をたまわった。

 依頼と給金は宰相室を経由しルシアの元へという仕組みだ。それはひとりで生きていくのに十分すぎるもので、両親もホッと胸を撫で下ろしている。なにせルシアは『変人令嬢』であり、もうすぐ二十歳だというのに縁談って? 状態。叔父には頭が上がらない、というやつである。


「あの、今さらなのですが」

「なんだ」

「お名前をお聞きしてもよろしくて?」

「! これは失礼をした。ジョスラン。ジョスラン・メレスだ」

「ジョスラン様。いつもこのような変人をエスコートいただき、ありがたく存じますわ」


 紅色が、ぱちぱちと瞬いた後で、ふっと細くなった。


「変人などと思ったことはない。いつも真面目に『見舞い』の任をこなされていることに感心している」

「そのように褒められることがないので、嬉しく思います」

「こちらこそ。俺のような剣狂けんきょうがエスコートで申し訳ない」

「けんきょう?」

「知らぬのか。ならばいい」


 一瞬では分からなかったが、聞いたことがある単語だなと記憶を辿ったルシアは、すぐに思い出した。


「あ! もしかして、南部に異常発生したビッグホーン(牛の魔獣)の大群をほぼひとりで倒したという?」


 ジョスランは眉間に皺を寄せてから、大きく息を吐く。

 

「……知っていたか」

「ええ! その後あまりの武勇を恐れられて、閑職に追いやられたとお聞きしましたが」

「その通り。退屈だ」

「まあ! それは……そうですわよね」


 この王国は、今のところ隣国との関係も安定していて、平和だ。

 周辺には時々魔獣が出たりするものの、王都は戦いから最も遠い。むしろ平和だからこそ、内側へ色々な懸念が生まれている。今必要なのは、武力ではなく、政治力だ。

 

「だが、ルシア嬢をエスコートするのは、退屈でないぞ」

「そうですの?」

「ああ。今もそうだが……目に見えぬものと常に戦っているだろう」


 ジョスランが、今まさにルシアにちょっかいを出そうとしてきた小さな風の生き物を、

 

「っ! 見える方に初めてお会いしましたわ」

「この目の色はこの世にあらざる色。だから俺は、生まれながらにして冥界に好かれていると言われている」

「……なるほど……」

「怖くないのか?」

「いいえ。ジョスラン様に、悪いものはいておりません。お心が清らかなことが分かりますから」


 目を見開いた後、ジョスランはぐいっと口角を上げた。


「立ち話もなんだ、また今度ゆっくり話したい。良いだろうか」

「ええ」


 ルシアは冥界の話に興味があっただけだったが――デートの誘いだったと分かったのは、ずいぶん後のことである。

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