日常の中

 その日から、海岸へ行くことが薫の日課の一部になった――普段なら行かないような日でも。「きっと彼女は現れるだろう」と思いながら。


 海岸に誰もいないたびに、同じような孤独感が胸を刺した。なぜなのか自分でもわからない。彼女の名前さえ知らないし、彼女について何も知らない。それなのに、話しかける機会を逃したという考えが、どうしても頭から離れない。


 ここ数年で「行動すべきだった」と感じた唯一の瞬間で、結局行動しなかった。それが彼を苛立たせているのかもしれない。あるいはそうではないのかもしれない。もしかすると、行動したいという衝動に逆らった自分への罪悪感なのかもしれない...それとも、自分でもよくわからない何かが関係しているのだろうか。


 今日は久しぶりに雨が降った。暖かい雨で、夏の名残の暑さを洗い流していく。玄関に立ち、開け放たれた扉の外に広がる、砂利の上にできた水たまりを見つめながら、薫はつぶやく。「…今日はやめておこう…」


 曇り空は「今日はもう休め」とでも言っているかのようだ。それに従い、薫も今日は探すのをやめることにした。実のところ、誰かを探すという理由を持てるのは、どこか心地よいものだった。だが、こんな日に海岸に行く人がいるだろうか?薫自身も行かない。だからこそ、心の中に引っかかるその人も行かないことを願っていた。


 学校のことが最近ずっと頭の片隅にあったが、しばらく無視していた。だが、もう本当に始業日が迫っている。あと1週間もない。


 今日は家の中で過ごすと決めた以上、最近避けられていたことに手をつけるつもりだった。学校の道具を整理しよう。夏休み中に何かなくしたかもしれないし、服に虫食いができているかもしれない。


 ため息をつきながら、薫は古びた木の階段をゆっくりと上がる。「ほんと…この家の2階はいらないよな…」。祖母がこの家を何年も一人で管理していたことが未だに信じられない。


 2階には祖母の死後も薫の部屋がそのまま残されている。下の階に移すことは一度もなかった。


 少なくとも部屋自体は悪くない。古い家らしい雰囲気と期待通りの家具が揃っている。ただ、これだけの畳を良い状態に保つのは面倒だ。廊下の木の床がきしむ音を聞きながら、やがて部屋の畳の静寂に包まれる。


 押し入れを開けると、杉の香りが湿気と混ざり合いながら鼻をくすぐる。この杉の香りは、家の木材に漆を塗るのが好きだった祖母を思い出させる。薫もその習慣を守っている。


 押し入れの中には、夏の間ずっと手つかずだった制服とカバンがそのまま残っている。「うん…防虫剤が効いてたみたいだな。文房具は…どこにしまったっけ…」


 服を脇に寄せ、暗がりからカバンを掬い出す。そして押し入れを閉めると、カバンを手に取りながら中身を確かめた。妙に重い。中身を空け忘れたのだろうか。夏休みの課題を忘れていたとしたら、悪夢だ。でも…それもやることの一つにはなるだろう。


 布団の上に腰を下ろし、畳の上に足を投げ出す。横に置いたカバンを開けると、中からは夏休みの課題ではなく、覚えのない雑多なものが詰まっていた。シワの寄った紙には、落書きやテストの結果が混じっており、それらは本来親に見せるべきだったものだ。「まあ…それは簡単じゃないよな…」


 鉛筆、ホッチキス、必要な文房具は揃っている。だが教科書は、学校の図書館から借りなければならないだろう。その中で目を引いたのは、1冊の卒業アルバムだった。


「…ああ、そんなものもあったな。まあ…見るか。せっかくだし。」捨ててしまおうかとも思った。見せる相手が誰もいないからだ。それでも、薫は封を切り、フォルダーを引き出した。


 たった1年前のものなのに、写真に写る自分の姿が妙に違和感を覚える。「…はは、俺も年取ったか…くそ、義郎のやつが移ったんだろうな。」そう冗談めかしながら、ページをめくる。


 ありふれた写真ばかり。全学年の生徒たちがクラス写真を撮り、ふざけた表情を浮かべている。その中には薫の姿もあった…ため息をつき、もう放り投げようとしたその時、短い髪の見覚えのあるシルエットが目に飛び込んできた。


 写真に目を戻すと、そこには2年生の制服を着た生徒たちが映っていた。つまり、今の3年生たちだ。その中で、カメラに向かって笑顔を見せる他の生徒たちとは対照的に、隅っこで明らかに写真に写りたくなさそうにしている一人の女子生徒がいた。


 海岸で見かけたあの子だ!薫はその姿をじっと見つめた。間違いない。すべてが同じだ。髪が少し短くなったくらいだろうか。しかし、あの眼鏡は同じだし、他のすべても…同じだ。


 まさか、とは思いつつも、この町は小さい。だから同じ学校に通っていてもおかしくない。それなら、なぜ今まで気づかなかったのだろう?薫には納得できる理由が見つからない。ただ、自分の注意力が足りなかったのかもしれない。


 だが、それは確かに彼女だ。同じ学校の制服を着ており、彼女は間違いなく先輩だった。

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