変わらない街

 彼女は今日もまた街を散策することにした。毎日のように繰り返していることだが、何を探しているのかは自分でも分からない。ただ、あの無機質な部屋に長くいるのは耐えがたい。


 他の多くの人とは違い、誰かに見せるために身なりを整える必要はない。だから、大きな眼鏡を隠したり、変えたりすることもないし、学校の制服にスラックスを合わせただけの格好をしている。眼鏡がないと見えないのだから、別に構わない。


 暑いけれど、湿気はない。長ズボンを履く安心感は、少しの暑さに勝る。もちろん、学校のスカートを履けばもっと涼しいのだろうが、制服を完全に着るのは気が引けるし、何より変だ。


 まだ正午を過ぎたばかりなので、時間はたっぷりある。もっとも、特に何かをするわけでもないのだが。カメラでも持っていこうか、写真部のために一、二枚撮ってもいいし、それにその小さなカメラは両親の形見でもあるから。


 正確に言うと、譲られたものではない。ただ、両親が使っていたのを覚えている。父と母が一緒に写っている数枚の写真がメモリーカードに残っていて、それを消すつもりは毛頭ない。


 両親は遺言を残さなかったため、兄がほぼ全てを相続した。他の親族も何も要求しなかったので、すべて兄のものになった。


 けれど、この小さなカメラ一つで十分だった。母がそれを握っていた姿を覚えている。記憶はぼんやりしているが、まるで壊れ物を扱うかのように指を曲げていた。シャッターが切れるときの父の笑顔も。


 家の中は静かで、兄と同じくらい冷たい。何がそんなに不安にさせるのか、自分でも分からない。白くて味気ない壁のせいか、それとも殺風景な家具のせいか。すべてが空虚で、その空虚さが反響している。家中のカーテンを開けたときは厳しく叱られた。


 太陽の光くらい、と思っていたが、それ以来二度と開けようとはしなかった。


 この家が心地よくないのは兄のせいだろうか? そう思いたくない。「厳しいだけ…家計を支えてくれているのだから」と自分に言い聞かせる。


 玄関のタイルはそれなりにきれいだが、いくつかの傷はある。スリッパを棚にきちんと並べ、黒い学校用の靴に履き替える。もう成長しないし、これで十分だ。学校が始まるまでに磨いておけば問題はない。


 町の通りは、どれだけ歩いても変わらない。ただ歩くだけでも、学校へ行くためでも、何の目的でも。夏の日差しはすべてをオレンジ色に染め、寒い季節が来るとまた冷たい色合いに戻る。


 季節が簡単に変わることを羨ましく思う。ただ時間が経つだけで、世界が一緒に変わるのだから。


自分の家は町の市場の中心に比較的近い。でも、そこに行くことはほとんどない。海もさほど遠くないけれど、建物や屋台が密集しているせいで、海の自然な空気が失われている気がする。


だからといって問題ではない。彼女は通常、山へ向かう。そちらのほうが人が少ないからだ。確かに、海はきれいだが、この日は海の匂いが気になるし、天気が良いと泳ぐ人も多いだろう。


彼女は海抜の高いところにある神社の静けさを好む。そこへ行くことは怪しまれないし、「お供えをしに来た」と言えば普通のことだ。


だが、今日は特に持っていくものもないし、山の風景はすでに十分な写真を撮っている。だから、今日はもっと短い距離の海辺に行くほうがいいかもしれない…なんだかそのほうがしっくりくる。


暑さは気にしない。もちろん暑さを感じないわけではないが、長袖長ズボンを好む彼女にはあまり気にならない。ペースを守れば問題ない。


通りですれ違う何人かの顔に見覚えはあるが、誰も彼女に気づかない。市場で話したことがあると思う人もいるのに。まあ、実際に誰かと話したのは随分前のことだから、気づかれないのも当然かもしれない。


この道は冬のほうがきれいだと思う。山頂に降り積もるふわふわの雪が、町にも少しずつ忍び寄る。その白は自分の家の壁のように冷たく無機質ではなく、雪は息づき、日差しに輝いている。


まるで海辺の砂のようだ。細かい石英の砂が、水のように指の間をすり抜け、歩くときには靴がきしむ音を立てる。それは、無機質なアパートの壁よりもずっと心地よい。


海岸を訪れるのは珍しいことではないが、町のいろいろな場所に行くのも同じくらい珍しくない。今日は少し遠くまで行ってみる気分だ。せっかく来るのなら、普段はあまり行かない場所まで行きたい。


人の存在を除けば、砂浜を歩くことは彼女にとって数少ない楽しいことの一つだ。しかし、町外れに近づくにつれて、他の人たちは少なくなっていく。地元の発電所の近くに行くと、ほとんどいなくなる。


遮るもののない日差しが彼女の眼鏡に反射し、うっすらとした光が浮かぶ。そろそろレンズを掃除しないとな、と思うが、今はまだ見えるから大丈夫。波の輝きが歪むわけでもない。


この辺りの海岸は他の場所よりも静かだ。ここまで来る人を見かけたことはほとんどない。


だが、今日は違うらしい。誰かが自分を見ているのがすぐに分かった。この暑さの中で重たい服を着ている自分が滑稽に見えるのだろう。別に悪い目つきではないが、知らない人と気まずい会話をしたくはない。


気づかれないようにしていたが、視線が合ってしまった。彼は少し離れたところにいて、見た感じ年は同じくらいかもしれない。どこかで見たことがある気がする。


たぶん、そうだろう。


だとしても、彼に覚えられているとは思わない。


そのことが、つまり誰かの記憶にすら残っていないという考えが、なぜか少しだけ悲しかった。今は見られていると分かっているけれど、記憶には残らないのだろうか。もしかすると、彼女が写真部に入った理由もこれなのかもしれない。写真なら、確実にその瞬間を残せるから。


理由はどうであれ、ここに来た目的を思い出した。写真部のために写真を撮ることだ。


話しかけられるならもうされているはずだ。だから、誰かの前で間抜けに見られたくない一心で、ポケットからカメラを取り出した。


何度見ても、同じ海辺は一つとしてない。でも、写真を撮れば、少なくとも今この瞬間の風景を閉じ込めることができる。


水平線を背景に、輝く波が揺れる様子を、この瞬間だけのものとして記録しよう。

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