第3話__内緒の招待状


花瓶の中では色とりどりにアスターが咲いている。どれだけ丁寧に処理をしたところで地植えの美しさにはかなわないのに。それでも曾祖母は花瓶に花を生けるのが好きなようだった。

「沙羅(さら)、手紙が届いているわ。」

「私に、ですか?ありがとうございます。」

リビングに入って来た曾祖母の美澄 朔月(みすみ さつき)に手紙を手渡された。

受け取った手紙は、薄紫色で至るところにレースデザインが施されていて可愛らしい。宛名には『美澄 沙羅(みすみ さら)様』と書かれているだけで、差出人の名前がなかった。私の名前の右下には、三日月が反対を向いた有明の月にユリの紋章のスタンプが捺されている。

偶々そこに置いてあったブラックライトで透かせて見ても差出人の名前が浮き出てくることは無かった。

この紋章には見覚えがある。朔月さんが常に身につけている指輪。それと、物置になっている屋根裏部屋にある金庫の中。アストラクテム王国。朔月さんがこちらに嫁いでくる前は、そちらに住んでいたと聞いたことがある。

開封してみると、中にはアフタヌーンティーの招待状と恐らく会場まで行ける使いきりの片道切符が同封されていた。開催日時は来週土曜日の昼間のようだ。

招待を受けるかどうか、十分に悩む時間があった。差出人不明の招待状なんて無礼だし、なにより怪しさもある。

それでも、手紙の質感や招待状の丁寧な装飾からは、子供の悪戯には思えなかった。

「あら、何かの招待状かしら?」

「…そう。アフタヌーンティーの招待状、みたいですね。」

「あら、珍しいものが届いたのねえ。」

「そうですね。ところで、朔月さん。この招待状、送り主が記載されていないようなのですが。」

「ええ?そんなことあるかしら。それ、見せてごらんなさい。」

手渡すとすぐに、「あら、本当ね。」と言って私に返した。

「捺されているこの紋章、朔月さんのつけてる指輪と同じじゃないですか?」

「え?えーと。あら、そうね。」

知らないフリをされていた、みたいな感じだ。手紙を持ってきた時点で、あの紋章に朔月さんが気づかないわけ無いから。

「これ、もし冗談じゃなかったら。私参加しても良いですか?」

「……。」

「朔月さん?」

「え?えぇ。そうね。」

生返事。

朔月さんは引きつったような笑みを浮かべて足早にリビングを出て行った。

私も一度自室に戻ることにした。招待状のことは一旦置いておこう。とりあえず明日の小テストの勉強を少しだけして、その後はちょっと散歩にでも行こうかと思っていると、スマホの通知音がした。らしかったのだが、私は気づかなかったみたいだ。小テストの勉強が終わってからスマホを開くと、通知が1件来ていた。

ディスプレイに表示された暁月先輩の文字。連絡をくれるのはすごく久しぶりだ。

トーク画面にとぶと、最後にやり取りがあったのは1年半くらい前になっている。急にどうしたのだろうか。未読メッセージを確認すると、『久しぶり』とだけ送られてきていた。適当に当たり障りなく返信してみる。すぐに返信が返ってきた。

何回かラリーがあった後に、暁月先輩から通話したいと送られてきた。冗談だと思ったら本気だったみたいだ。散歩に出掛けようと思っていたのに、これは無理そうだ。

暁月先輩と通話するのは初めてじゃない。中学時代もよく通話していた。暁月先輩と通話すると絶対1時間以上かかっていた。暁月先輩が卒業してから通話することは無くなっていたけど。久しぶりだと思うとなんだか緊張する。でも、それは悟られないように。なるべく平静を装って電話に出た。

「もしもし?」

「ん。なんか美澄と通話するの久々だね。」

あの頃と変わらない、淡々とした話し方。けど、心做しか嬉しそうな声。

話す内容なんて当たり障りない。元気だったかとか、今何をしているとか、どこに進学したのかとか、そんな話。別に電話じゃなくたっていいようなことしか話さなかった。と言うよりも、話させなかったと言った方が適当かもしれない。

女たらしで有名だった暁月先輩。同級生、先輩、後輩からも、顔が良かったからモテていたらしかった。

私はと言うとあまりそう言う話題に興味がなくて、友人がそう話しているのを聞いただけの情報に過ぎないのだけれど。そこに、性格もパッと見悪くないことが関係して、常に彼女がいるような状態になっていた。

つまるところ、最終的に女たらしなんて評価になったのは、暁月先輩の八方美人さと告白されたらすぐに付き合っていたことが原因だった。暁月先輩曰く、可愛かったら何でも良いらしい。

それは確かにそうなのかもしれない。見方を変えれば、告白してきた彼女達だって最初は顔しか見てなかったのだろうから。自分は顔で選んだのに、相手に顔で選ばれるのは気に食わないなんて、とんだ笑い話だ。

「そういえば、好きな食べ物なんだっけ?」

「唐突ですね。」

「うん。教えて?」

「えー、なんでしょう。強いて言うならティラミス、ですかね?」

「へぇー、そうなんだ。」

聞いといてちょっと興味無さそうなのはなんだ。

「今度会おうよ。ティラミス作る。」

「あ、本当ですか。ちょっと遠慮しておきますね。」

「うん、じゃあ1年後楽しみにしてて。」

「あれ、私の声聞こえてました?」

中学生の時もよくこんな冗談を暁月先輩から言われていた。からかわれていると思って相手にはしていなかったが。

そういえば、借りた100円を1年後に返すと言って本当に借りていた100円を返してくれたことがあった。私はあれも返す気のない冗談だと思っていたから、本当に返されて暁月先輩には失礼だが、すごく驚いた記憶がある。

仮に今は本気だったとしても、1年後には忘れているだろう。見習いパティシエとして働いているらしいから、ティラミス作ってくれるならぜひ食べてみたいところではあるけれど。

でも、会いたくはない。多分そういう人なのだろうとは思うのだけれど、とにかく距離が近い。私と暁月先輩は生徒会に所属していたため、学校行事の前はいつも完全下校ギリギリになってしまい、一緒に帰ることが多かった。その時隣に並んで歩いたときに、まさしくぺっとりといった表現が正しいくらいの距離感で歩かれたのを何となく気にしている。人にはそれぞれパーソナルスペースが存在するのだ。その時に暁月先輩に彼女がいたらしいから、逆に私が気にしてしまったというのもあるかもしれない。

あとは、何となく気まずいから。部活が一緒だったとか、クラスメイトだったとかじゃない。年に何回かしかない学校行事を生徒会として一緒に作業していただけの関係でしかないからだ。正直、私はそんなになのだ。

「まかせて俺記憶力いいからさ。」

「わぁー、すごいですね。さすがです。」

「うん、すごい棒読みちゃん。」

「暁月先輩、よく生徒会忘れて会長に怒られてたじゃないですか。」

「そうだっけ?」

「うん。そう。」

「まあまあ。俺も進化したしね?1回言われたら大抵覚えられるし、」

「それ羨ましいです。」

結局そのあとも1時間くらい喋って、夕ご飯の時間だからと言って切られた。

なんだかどっと疲れた。

私も夕ご飯の時間にしようとキッチンに行くと、カモミールの香りが広がっていた。そこには女性がひとり、佇んで作業をしていた。

「東屋(あずまや)さん、それなんですか?」

東屋さんは私の家に住み込みで働いているお手伝いさんだ。母である美澄 黎(みすみ れい)が家を出ていったあとに父が雇った。30代後半くらいの、少しばかりやつれた女の人。長い髪の毛はパールのついた女性らしいデザインの大きなクリップでひとまとめにしている。初めて見た時は生きているのか、死んでいるのかわからなかった。どうにも生気が感じられなかったのだ。高性能な人工知能搭載の人型ロボットと言った方が適切だと思われるほどには、表情もないし、話し方も抑揚がないし、動きにも一切の無駄がなかった。

家事をしてもらうだけだから特に不便はなかったし、寧ろ何かを詮索される心配も無いため、好都合ではあった。

「林檎とカモミールのハーブティーです。沙羅さんも飲まれますか?」

「いえ、今はいいかな。」

「左様ですか。今夕食の準備をいたします。」

どうでもいいけど、東屋さんは全く笑わない。10年近く一緒に暮らしているが、笑っている姿を見たことがない。見ようと思ったこともないのだけれど。

相変わらずロボットみたいにやるべき事だけテキパキとこなしていく。

今日のメインはフレンチ風の鶏肉。それからパンとじゃがいもの冷製ポタージュ。紫たまねぎとフリルレタス、トマト等々が入ったサラダがトレイに載っていた。

ダイニングにいくとテーブルクロスが変わっている。朝は薄ピンクと白のチェック柄が裾の方にデザインされたものだったのに。模様替えされたテーブルクロスは白地にカラフルな小花柄が刺繍されたそれは、朔月さんのお気に入りの1枚だった。

食卓の真ん中には紫やピンクの紫陽花が行儀よく花瓶の中に収まっている。

自席について東屋さんが用意をし終えるのを待つ。

既に席には朔月さんがいて、さっき東屋さんに淹れさせたハーブティーを飲んでいた。

ティーカップの取っ手をつまみながら紅茶を嗜んでいるその姿は、まるで絵画の世界観だった。美しい以外の言葉では満たない。

「それ、ルナルナの新作ですか?」

ルナティックルナティック。通称ルナルナは有名な紅茶専門店だ。アストラクテム王国の王室御用達の看板を掲げたルナルナの味は間違いないもので、朔月さんに勧められて飲んでみたら、あまりの美味しさに私もハマった。

「そうよ。寝る前に飲むと良いって書いてあったのだけど、どんな味か気になってね。」

「美味しそうですね。」

「えぇ、とても。」

一呼吸。紅茶の香りを吸い込んで、うっとりとしている朔月さん。その横を東屋さんが通りすがり、こちらまでふんわりと紅茶の香りが漂ってきていた。

「さてと、沙羅。夕食の準備が済んだようだわ。頂きましょう。」

「はい、いただきます。」

今日のメニューはフレンチ風だから、ナイフとフォークにスプーンが用意されていた。箸は無い。

これは父と朔月さんの教育方針で、和食のメニューじゃないと、箸が用意されない。幼少からそうやってきたから、ナイフとフォークの使い方は完璧。

それだけは良かったと思う。

今日は久しぶりに朔月さんと夕食をとる。普段からあまり帰ってこない父と基本はひとりで夕食をとってしまう朔月さん。同居している家族は朔月さんと父だけ。私は常に、ひとりでご飯を食べている。

「朔月さんがこんな時間に夕食なんて、珍しいですね。」

「今日は忙しかったから、遅くなってしまったのよ。ところで沙羅、今度のパーティーのことだけど。」

「パーティー…?」

「あら、言ってなかったかしら?日曜日に市河夫妻が立食パーティーに招待してくれた話。」

市河夫妻とは父が幼なじみ同士で仲が良く、ずっと家族ぐるみの付き合いをさせてもらっていた。市河の家はこの辺りでは大地主の一家で、財力は抜群。豪邸と言って過言じゃないくらいの住まいを持っている。

「あぁ、その話。」

「そう。やっぱりね、ご主人の体調が優れないらしいの。だから、残念だけど今回は開催を見送るとのことよ。」

「そうなんですか?お大事になさってくれればいいですが。父には既に連絡を?」

「ええ。そしたら、またしばらく帰ってこないみたいよ。」

はぁ、とため息ついている。呆れと心配と、それから哀れみが少し混じったような、そんな表情。

朔月さんにとってはひとり息子だから、なかなか家に帰らないことを心配するのは当然と言えば当然なのかもしれないけれど。

「そうですか。」

もはや興味は無い。

朔月さんは既に食べる手を止めている。

「もう、食べないんですか?」

聞いてみたことに理由は無い。

ただ、疑問に思っただけだ。お皿にはほとんど手付かずの料理がのっている。

朔月さんは少し困ったような顔をして、軽く微笑みを浮かべた。

「ええ。ごめんなさいね、お先に失礼するわ。」

そんなつもりではなかったのに。

椅子から立ち上がるその動作すら見とれてしまうほどに優雅で美しい。その所作に見惚れていた。朔月さんは気づいたら出て行ってしまっていた。

東屋さんが無言で朔月さんのお皿を下げていく。

結局ひとりだった。

食べ終えて、自室に戻る時。

「お嬢様。」

後ろから呼ばれた。すごく珍しかった。

「なんですか?」

振り返ると、既に目の前に迫っていて。 ゆっくりと伸ばされたささくれや切り傷だらけの真白な手は、私の束ねられた後ろ髪に向かった。

「じっとしていてください。葉っぱが付いております。」

綺麗な緑色の葉っぱは、東屋さんの手の中でひらひらと踊った。

「あら、いつからかしら。」

恥ずかしさで少し笑ってみせる。だけど、東屋さんは笑わない。私の髪に付いていた葉っぱはエプロンポケットにすべらせて、無駄の無い動作で一礼した。

「引き留めてしまい申し訳ございません。それでは、ごゆっくりおやすみください。」

「ええ、ありがとう。」

部屋を出て、自室に戻るまでの廊下に1枚だけ絵画が飾られてある。

皆、仲睦まじく幸せそうな表情を浮かべているにも関わらず、彼女だけがそうでは無い。美味しそうなテーブルを囲み、互いに顔を向けながら談笑している様が描かれた絵画。彼女も顔は皆の方を向けている。

でも、よく見れば違う方向を見つめているのは明らかだ。

絵は私が小さい時からある。もっと言えば、生まれた時から。

あまりにも気味が悪くて、お父様に絵を外してくれないかとお願いしたこともある。けれど、返事はいつも決まって「この絵は外せない。ごめんな。」 だった。

仕方がないから、極力絵は見ないように俯いて廊下を通っていた。

今日も見ないで通れたことにほっとして、部屋のドアを開けた。

机の上に置きっぱなしになっていた招待状を引き出しにしまい、改めて思う。朔月さんは知らない人からの招待に快く私を送り出すような人ではない。

じゃあやっぱり、朔月さんは何か知ってるはずだ。知っていて、私に隠している。

来週土曜日はまだ予定がなかった。

「招待状、か。」

正直なところ、怪しさ満載すぎて詐欺にあわせられそうになっているような気分だ。

気分転換も兼ねて、本棚から1冊の本を取りだした。

月と星の図鑑というのがいちばん近いだろうか。関連したギリシャ神話も数多く載っているし、いちばん綺麗な星を観る条件みたいなものまで月と星に関する事柄が様々書かれた本だった。

小さい頃から読み込んでいるので、もう大分ボロボロだった。それでも私はこの本を捨てるつもりは無い。お父様が6歳の誕生日にくれた誕生日プレゼントだから。

今日も望遠鏡で月を眺める。

これは私にとって日課みたいなもの。

今日も綺麗だ。

太陽の光を一身に受けて輝きを放つその星を、とても羨望する。

その美しさは、時に私を惑わせる。

見つめることの出来る、偽の明るさゆえの美しさと儚さ。

好きだ、とても。

古来から人々が魅了されてきたのも納得する。

月には妙な力があるのだ。

自分が自分以上の力を手に入れたような錯覚に陥ることも。

狼男やかぐや姫なんかの昔話はその典型だろう。

私も、こうして夜空を観測している時間だけは自分ではない何者かになれたような心地がした。

正しく、夢見心地だ。

魔法の一つくらい使えるような気さえしてくる。

真っ暗な夜、部屋にはひとり。


少しくらい、魔法少女を願ってみたくなる瞬間があったっていいでしょう?


その身を犠牲にして世界を救う。

魔術を駆使して敵と戦う。

見た者を魅了する圧倒的な力。

そして、頼れる仲間たち。

あの頃、誰もが一度は憧れたはずの少女たち。

こんな綺麗事に、絵空事に憧れているなんて誰にも内緒だけど。それでも、夜空の月を眺めていると、不意にそんなことを考えてしまう。

私も確実に、月の魔力に犯されているのだ。

随分長い間そうしていたように感じる。スマホからの着信通知が私の時間の終わりを告げた。

「あ、やっと電話でた」

「あら、何回か掛けてくれてた?」

「これ3回目です。」

「ごめんなさいね、」

「また考え事ですかー?」

「ん、そんなところよ。それで、どうしたの?」

電話の向こうで何かを躊躇っている。

「あの、昨日アフタヌーンティーの招待状が届いたんです。沙羅さんにも届かなかったですか?」

「招待状、?……そういえば、差出人不明のものが届いていたけれど。それのことかしら?」

「それです!」

元気よく返事されても困る。そもそも差出人不明の招待状は一体誰が何を思って出しているのだろうとか、なぜ片道切符が同封されているのかとか、私の他にも招待状受け取った人がいるなら法則性は何なのかとか、差出人不明である意図は理由は何なのかとか。気になることは山ほどある。

ところで、碧望(あおも)はなぜ私に招待状が届いたことを知っているのだろうか。

「そう。なんで私のところに招待状が来ているってわかったの?」

「それは曾祖母様がアストラクテム王国のお姫様だったと仰ってましたから。」

「……えっと、ごめんなさいね、もう一度お願いできるかしら?」

「沙羅さんの曾祖母様がアストラクテム王国の人間で、お姫様だったと仰ってました。」

正直、聞き間違いかと思った。朔月さんがアストラクテム王国の人間だったことは知っている。でも、お姫様?なんだ?突然何の話しをされているんだろう。

遊ばれているのかとも思ったが、彼女はそんな人じゃない。

じゃあ本当の話だと言うのか?朔月さんがアストラクテム王国のお姫様でしたなんて話、信用して欲しいと言われても今すぐには無理だった。

「えーっとぉ……、もしかして知らなかった感じですか?」

「……ええ、初耳よ。お姫様って、初めて聞いたわ。」

「てっきり知っているものだと。」

「いいえ。……私ちょっと疲れているみたい。悪いんだけど、明日また掛け直しても良いかしら?」

「そうですか、じゃあまた明日。おやすみなさい沙羅さん。」

「ええ。また明日。」

ぷつりと通話が切れた。

私の部屋に、さっきよりも少しざわめいた静寂が戻る。

「どうして、碧望は知ってたんでしょう?」

誰も答えてなんかくれない私のつぶやきは空虚に溶けて消えていった。

朔月さんが王国のお姫様?そんな話は聞いたことがない。でも、それなら。差出人不明のアストラクテム王国から届いたアフタヌーンティーの招待状に何の疑問も抱かないのも、ほんの少しだけ納得できるかもしれない。何か、彼女たちにはわかる細工のようなものがあったと考えれば。


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