第1話__1枚目の招待状


知らない間にポストインされていたらしいアフタヌーンティーの招待状。可愛らしい淡いパステルピンクの封筒の宛名にはしっかり『春見 ゆら(はるみ ゆら)様』とあたしの名前が書いてある。

それなのに、なぜか差出人が書かれていない。その代わりなのか、家紋のようなスタンプがあたしの名前の右下に堂々と捺されていた。

アフタヌーンティーの招待状なんて初めて貰った。

心が踊る感じがする。

差出人不明の招待状は怪しさを拭えない。おまけに会場がどこなのかすらも全くわからない。それでも、行ってみたい気持ちはある。

封筒に入っていたもう1枚の紙を取り出すと、それは使いきりの片道切符だった。またしても行き先がわからない仕様になっていて、ガックリした。

「ゆら、どうしたんだ。中に入らないのか?」

おじいちゃんである天月 祥太(あまつき しょうた)が玄関に突っ立って郵便を開けているあたしを不審に思ったのか玄関にやってきた。

「あのね。アフタヌーンティーの招待状、入ってたの。」

「招待状、?」

封筒を手渡すと、すぐに何かに気づいたのかおじいちゃんは、行ってきたらいいと言った。

「良いの?」

「美味しいケーキとか、いっぱい食べられると思うよ。」

そして、優しい笑みを浮かべながら、キッチンに戻って行った。

おじいちゃんから返してもらった招待状をもう一度じっくり眺めてみる。穴が空きそうなほどに眺めて、見つめてみたところで、招待状の内容が変わるとか、見えていなかっただけで差出人の名前が見えてくるとか、そんな訳は無いことなんて解っているけれど。

「でも、この模様どっかで見た。……あ。」

一つだけ思い出した。

あたしの名前の横にでかでか捺されているこの家紋みたいなスタンプ。これは、おじいちゃんからあたしが貰ったネックレスにも同じ模様が彫ってあった。

試しに外して横に並べてみた。

間違いなく同じだった。

それじゃあ、この招待状を送ってきたのはおじいちゃんの知り合いか何かなのだろうか。

自室に戻って夕ご飯が出来上がるのを待つ間に、学校の宿題を片付けてしまおうと、カバンを開けたその時。

テキトーにしまったプリントがひらひらと宙を舞う。そのまま床をすべって、ベッドの下まで潜り込んでしまった。

正直、配られたのは拾いに行くほどのプリントじゃない。保護者に絶対見せないといけないプリントだとか、必ず提出する必要のあるプリントじゃない。

もし大事なプリントだったなら、帰る間際にそんな大事なプリントを配った担任が良くない。

あとは単純にベッド下まで拾いに行くのがめんどくさい。

言い訳だけは頭の中で悶々と連ねておく。

結局はめんどくさいが勝って、カバンから飛び出したプリントはそのままに、数学のワークを開いた。

今やっている所はそんなに難しくない。

でも、隣の席の幼なじみ、暁月 ふわり(あかつき ふわり)はたまにしか学校に来ないせいなのか、よく解らないらしい。今やっている範囲が解らないのは9割くらい学校に来てないせいじゃないと思っている。

教えるのはあまり得意ではないが、頼られると解るようにしてあげたいと思ってしまうあたしがいる。

だから、ちょっと頑張って教えられるようにシュミレーションしながら宿題を解いてみる。

どのくらいそんな風にしていたかなんて考えるほど問題を解いていた時間は長くなかった。

おじいちゃんがあたしの部屋をノックした音でシャーペンを閉まい、ワーク類を閉じながら返事をする。

ほんの数センチ開けたドアの隙間からおじいちゃんが顔を覗かせた。

「ゆら。夕ご飯できたから、先に食べよう。」

「うん!今日のご飯なんだろ!」

「今日はオムライスだ。」

「わ!やったあ!!」

ダイニングに行くと、デミグラスソースのかかったふわふわなオムライスがあたしのことを待っていた。

「あ!今日デミグラスソースだ、美味しそう!」

「この前ゆらが美味しいって言ってたからな。」

「えへへっ、いただきまーす!」

ひとくち分をスプーンですくうと、そこから湯気がゆらゆらと立ち昇って、上に振りかけられたパセリをわずかに湿らせた。

口に運ぶと、おじいちゃん特製デミグラスソースの美味しい風味が鼻をぬけていく。

よく煮込まれたセロリやにんじん、トマトピューレが合わさって一体感を協調させていた。お店で食べるそれとはまた違う、家庭的な味をプラスさせたこの味があたしは好きだ。

「んん、今日も美味しいよ!」

にっこり笑ってみせると、おじいちゃんは心底嬉しそうな、満足げな表情をした。

嘘じゃない。

あたしはおじいちゃんがするそんな表情に幸せを覚えること。

今は引退してしまったけれど、元プロのパティシエとして働いていたおじいちゃんの作る料理は、専門外とは言え、どれもハズレがない。毎日毎食、作ってくれた料理は全部美味しい。

あたしだって、まだまだ同じレベルでは到底話すことは出来ないけれど、自分が作ったお菓子を他人に食べてもらった時に美味しいと言って貰えたら、それはとても嬉しい。

「そうだ、今日はこの後お菓子作るのか?」

「今日?作ろうと思ってるよ。」

「そうか。火事とやけどには気をつけてくれな。私はこれを食べたら寝ようと思うからね。」

「はぁーい。」

今日は学校帰りにクリームチーズを買ってきた。

チーズタルトに、この前の残りのエディブルフラワーをのせたら可愛く仕上がるんじゃないかと朝からわくわくしていた。

「凛那(りんな)ちゃんが帰る頃には、出来上がる予定なの」

春見 凛那(はるみ りんな)はあたしのお母さんだ。お母さんはあたしのことをすごく仲の良い友達みたいに扱ってくる。お父さんと別れてから。

自分のことも、お母さんと呼ばれるのが嫌になったのか、嫌だったのか「凛那ちゃん」と呼ばせるようになった。

初めこそちょっと抵抗があったが、今ではお母さんと呼ぶ方が抵抗を感じるようになってしまった。

夕ご飯のオムライスを食べ終えて、食器を洗っているとスマホが鳴った。時計を見ると表示は20:41。まだ幼なじみから通話したいと言われた時間より2時間以上早い。

ディスプレイを見ると、幼なじみではなく凛那ちゃんからだった。洗剤であわあわな手をハンドペーパーで拭き取って急いで電話に出ると、ちょうど向こうから切られてしまった。

「すぐ掛け直したら、出るかな……。」

数回のコールがあったあと、通話中のため留守電メッセージに切り替わる音声ガイドが鳴り出した。諦めて電話を切って、メールを確認してみるが、何も届いていなかった。

「まあ、大事だったらまた電話するよね、?」

電話のことは一旦置いておいて、とりあえず食器洗いの続きをして、チーズタルトのタルト部分を作ることにした。

目標予定時刻には絶対間に合わせたい。

なんでかって言えば、凛那ちゃんに味見してもらいたいから。

凛那ちゃんはあまり料理やお菓子作りが上手じゃない。でも、幼少からおじいちゃんの料理を食べてこいる凛那ちゃんの舌はありえないくらい肥えている。

だからお菓子を作った日は絶対凛那ちゃんに味見をしてもらっていた。

おじいちゃんに食べてもらっても、具体的な感想を聞かせてくれない。大体いつも「美味しい」の一言だけ。

成長したい。

もっと美味しく作れるようになりたい。

いつかは、そうでありたい。

チーズタルトのタルト部分はしっかりと砂糖を入れたシュクレ生地にした。チーズタルトを甘酸っぱく仕上げたかったというのと、単純にあたしが甘いタルト生地が食べたかったから。

タルトストーンをのせて美味しそうな焼き目がつくまで焼き上げる。

オーブンから溢れる幸せな甘い香りがふんわりと部屋を包んだ。

「そろそろ焼き上がるかな、」

タルトにのせるチーズ部分の材料を混ぜながら、オーブンの様子を覗いてみる。

オレンジの光に包まれて焼かれている具合は良い感じに見える。

白っぽくなるまで混ぜたクリームチーズに、心配になる量の砂糖を入れて、オレンジの光で思い出したオレンジピールも細かくして入れた。

今日のチーズタルトは焼かずに冷蔵庫で冷やして完成するタイプ。

暑くなってきたから、オーブンをあまり使いたくなかっただけだけど、時間的にも焼く方には無理があった。

焼き上がったタルトを気持ち冷やして、チーズ生地を流し入れる。リボン状に折り重なっては重みで境目が分からなくなるを繰り返して、乳白色の美味しそうなチーズ生地は全て注ぎ込まれた。

あとは冷蔵庫で冷やし固めるだけだ。

「美味しく出来てるといいなぁ、」

冷蔵庫の扉を閉めると、再度スマホが鳴った。

みると、ふわりからメールが届いていた。

メールの内容は、今日の通話は都合が悪くなったからできないということだった。

「また、か。」

最近多い。

そして、通話ができなくなった連絡をしてきた次の日の学校は大体いつも休んでいる。

何かしら事情があるのだろうとは思いつつ、理由を聞いてもはぐらかされるばっかりで何も教えてくれなかった。

正直納得はしていないものの、とりあえず了解のメールを送信し、洗い物を片付けることにした。

洗い終わってしばらくすると、玄関ドアが開く音がした。凛那ちゃんが帰ってきたらしい。

スリッパをぱたぱたさせながら歩いてきた凛那ちゃんは、あたしのことを見るなり表情を思いっきり崩して家の中の顔になった。

「ただいまあー、めっちゃクッキーの匂いするー。」

「おかえり。今日はね、チーズタルトを作りました!!」

「おぉ、それはそれは楽しみですね。で夕ご飯は?」

凛那ちゃんは肩にかけていたカバンをドサッとダイニングチェアに放り投げて、自分はその隣にどっかりと腰かけた。

「デミグラスおむだよ。」

冷蔵庫から取り出して、電子レンジにかけながら答えた。

「あー、美味しいやつだ。やった。」

「そういえば、かかってきた電話なんだったの?」

かかってきた電話について一向に話そうとしなかったので、聞いてみた。

「あー。あれね、間違い電話。」

「なんだぁ、めっちゃ急いで電話でたのに。」

「ごめんね、疲れてて。頭こんがらがって間違えてゆらにかけちゃった。」

そう言う凛那ちゃんの目の下にはクマがくっきりと刻まれていることをあたしは知っている。

コンシーラーとファンデーションで朝はしっかり隠して通勤しても、お昼にもう一度化粧直しができないと、段々とクマがこんにちはしてきてしまうようだった。

シングルマザーであたしが不自由することが無いように、懸命に仕事をしてくれる凛那ちゃんには頭が上がらない。

本当に、護られていることを実感している。

「やばい、目閉じたら寝れるわ。」

電子レンジのあたためが終わったようだった。

取り出して、スプーンと共にテーブルに運んだ。

「お疲れ様ぁ。」

差し出したスプーンを受け取ると、ほかほかの湯気が立ち昇るオムライスを勢いよく頬張って、舌先を少しやけどさせていた。

「あっつ。んん、うま。」

「おいしいよねぇ。ね、ひとくちちょうだい?」

「だめ。これうちの。」

口を尖らせてアピールしてみたが、あたしには目もくれずにオムライスを頬張っている。

頬杖をついて、じとっと凛那ちゃんが食べている様子を見つめた。食べるのが遅いから、見ているとちょっと飽きてくる。

中々減らないオムライスを眺めているとだんだん眠たくなってきた。あくびを噛み殺し、スマホを眺めて食べ終わりを待った。

「あ。あんたさ、今日新月だって知ってた?」

「新月?知らないけど、だから何って感じじゃない?」

「うん。そうだね。」

「え、なになに。どうしたの?」

「いや。歩きながら今日はいつもより星が見えるなって思っただけ。」

だったら新月の話じゃなくて、星の話をしたら良いのに。話の冒頭は「新月なの知ってた?」じゃなくて「今日星見た?」だと思う。

「なんかすごい、自分が小さく思えてくるよね。なんでかね、肉眼で見た星の方がちっちゃいのに。」

オムライスを食べながらそんな話されるとは思わなかった。

時々凛那ちゃんはこんなことを言う。

ロマンチストというかなんというか、突拍子もない時に哲学みたいなことを急に言い始めるから、いつも困惑から入ってしまう。

いや、困惑から入って困惑で終わらないことは無いのだけれど。

理解できない訳ではないのだ。ただ、そんなこと思ったって何かが変わる訳では無いし、誰かが救われる訳でも無いから、考えても何になるんだろうの感想が勝つ。

話の腰を折ってもしょうがないので、黙ってただうなづいておくだけに留めている。

「まあ、新人さんの指導って毎度毎度こっちも精神削られちゃうのさ。絶対解ってないと思うんだけどー。」

大体続く言葉は愚痴が多いから。

びっくりするくらい脈絡のない話題を振ったあとは、また全然関係の無い仕事だったりの愚痴をこぼす。

余計なことは言わない。

適当に相槌を打って、共感してるような反応をしておくのが、あたしのいつものパターン。

凛那ちゃんも愚痴を聞いてほしいだけだから、それについては何も言わない。

話半分に、デコレーション用の生クリームをたてる。

今日はさっぱりした軽い口当たりにしたいから脂肪分35%のクリームを使う。氷水でキンキンに冷やしながら八分立てよりもうちょっと泡立てた。

冷蔵庫にチーズタルトの様子を見に行くと、しっかり固まっていた。

生クリームを絞ってその上に色とりどりのエディブルフラワーにアラザン、ローズマリーでデコレーションしていく。

8等分してお皿に盛り付けると、控えめにきらきらしているアラザンがカラフルなお花と真っ白いケーキをより引き立てて魅せた。

「でーきたっ!」

「お、食べる食べるー。」

小声だったのに、ダイニングまで聞こえていたみたいだ。

フォークと一緒にテーブルに持って行くと、ちょうどオムライスを食べ終えたところだったらしく、スプーンをお皿に乗せていた。

「お待たせいたしました。オレンジチーズタルトー季節の花を添えてーでございます。」

冗談交じりに少し恭しく、フレンチカフェの店員さん風に言ってみた。

凛那ちゃんはぴくりとも笑わなかった。

ケーキを食べるスイッチが入ってしまったようだ。何にも反応してくれないとそれはそれで恥ずかしくなってくるからやめて欲しい。

「いただきます。」

丁寧に手を合わせて、フォークを入れた。

さくほろっとしたタルトともちぬちなチーズ。

ゆっくりした動作で口に運ぶのを見ていると、なんだか緊張してきた。心臓が口から出てくるタイプの、ではなくて、心の中がばたばたする感じの緊張だ。この時だけ、ひよこを飼っている気分がする。

「…どうですか?」

恐る恐る聞いてみた。

ずっと真顔に近い顔をしてチーズタルトを咀嚼している。

全く表情が変わらないから、一気に不安感を煽られた。

「ふつう。でも、うちアラザン無い方が好きかな。」

まずくないって言われただけ安心した。

それだけ。

「ふつう、かぁ。…ね、良くないのアラザンだけ?」

「うん。クリームもさっぱりしてて、オレンジピールもいい感じだけど、アラザンだけ。多分好みの問題かな。」

そう言いながらまたひとくち、口に運んだ。

「あたしも食べてみようかな。」

「じゃあアラザンだけあげるー。」

もしかしたら今まで知らなかっただけで凛那ちゃんは単純にアラザンが好きじゃないのかもしれない。

クリームにくっついたそれをちまちまと1粒ずつあたしのお皿にのせていった。

「そんなにいっぱいのっけてないよぅ、」

お皿をくるくるさせて色んな角度からアラザンを探している。

その姿は、まるで嫌いなものを除けている子供のようでちょっとかわいい。

「よし、なくなった、!」

安心して食べられる雰囲気だされても、ショックが強調されて悲しい。

別にアラザンは異物じゃない。好みじゃなかったのはしょうが無いけれど。

「そうだ。あたし今度の土曜日出かけるから。」

「へぇ、珍しいね。どこ行くの?」

「あふぬん!!」

「は?」

「あ、アフタヌーンティーです……。」

「ほぇー、良いなあ。」

招待状が届いていたことは言わなかった。行くのを止められることは無いだろうと思いつつ、何となく言いたくなかった。

秘密のお茶会的雰囲気を感じたから。

素直におじいちゃんから、誰からの招待状だったのかを聞けば良いのだろう。

でも、直感的に聞きたくないと思った。

おじいちゃんはあたしが出かけることを止めなかった。28%くらいの怪しさはそれで解消された。

仮に、もし本当におじいちゃんの知り合いからだったならば。

なぜ、あたしだけが招待されたのか。

考えたところで、今は何もわかりはしない。

食べ終わったお皿を洗って自分の部屋に戻る。そして、椅子ではなくベッドに座った。

そのせいだろうか。急激な睡魔があたしを襲った。まだお風呂に入っていない。明日の英語の予習もやっていない。先生はいつも名簿順に当ててくるから、明日は順番的に当たりそうなところではある。

でも眠過ぎて頭が働かない。

身体を起こせない。

起こしたくない。

このまま本能のままに寝たい。

なんてことを思っても、とりあえずなんとかしてお風呂に入らないといけない。明日の朝早起きするだけの気力はない。

なのに、もう既に身体が動くことを拒んでいる。思考だけが頭の中をぐるぐるしている。

結局その日は動けず、夢の中へ誘われるがまま抵抗できなかった。


***

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