第35話 少年と再会


 それから午後の授業や帰りのホームルームを受け、放課後になった。俺は綾女と一緒に保健室に向かった。養護教諭に里親募集のポスターを渡し、軽く説明をする。ポスターを手にした養護教諭の第一声は「きゃわわ」だった。綾女の「にゃ~ん」に通じるものがありそうだった。


「私、昔から黒猫に縁があってね。だから、このクロちゃんがいいかな、って思っているんだけど、どうかな?」


 現在の他の里親候補はお嬢だが、お嬢はどの猫でも大丈夫と言っていたので、ここは拘りがある養護教諭を優先するべきだろう。


 俺と綾女は相談もそこそこに、養護教諭の提案を受けた。


「じゃあ、今度の日曜日に、南斗高校の校門でお渡しします」


「はい。分かりました。楽しみー」


 養護教諭は実に嬉しそうに笑っていた。これなら、いい里親になってくれそうだ。


 それから、具体的な時間を決め、綾女と二人で保健室を後にした。



 ◇  ◇  ◇ 



 帰り道。綾女は上機嫌だった。


「えへへー。里親が見つかったよー。順調だねー。ね、太一」


「そうだな。でも、ちゃんと三匹とも里親が見つかるまでは、油断できないぞ。最後の一匹まで、しっかり面倒見ような」


 釈迦に説法かもしれないが、浮かれる綾女に釘を刺す。しかし、綾女はその言葉を真っすぐに受け止める。


「もちろんだよー。卓也君との約束だからねー。絶対に途中で諦めたりしないよー」


 綾女は笑みを絶やさない。順境でも逆境でも、綾女は笑う。その笑顔に、これまで何度も助けられた。救われた。


 こんな綾女だから、俺は隣に立ちたい、立ち続けたい、と思えるんだよな。


 電車を乗り継いて、家の最寄り駅で降りる。人もまばらな駅前を歩く。


「ああ、そうだ。里親が見つかったことを、卓也君に伝えたほうがいいよね? 卓也君も喜んでくれるよね」


「そうだな。でも、連絡先は知ってるのか?」


 卓也と綾女のやり取りを思い出す。お互いに名乗り合ったが、名前以外には学年くらいしか分からない。


「あはは。聞いてないや。でも、小学校に電話すれば、伝言頼めないかな?」


「個人情報って、最近厳しいらしいから、難しいかもな」


「そっかー。あはは」


 綾女は乾いた笑顔を浮かべる。ああ、そんな辛そうに笑うなよ。


 そんな笑い方をさせないために、俺は死力を尽くす。いつでも。どんな時も。今だって。


「まあ、あの小学生の集団が通ってた橋で待ってれば会えるだろ。何なら、俺が朝にあの橋で待っててもいいしな」


 綾女が気にかけるくらいなら、俺が学校をサボるくらい造作もない。


「うーん。仕方ないかなー。もちろん、私も一緒だからねー」


 しかし、綾女も学校をサボるとなると話は別だ。クラス委員長である綾女に授業をサボらせるのは気が引ける。


「ダメだ、って言っても、聞かないよな」


 分かっている。綾女はこういった筋を通すような行動には、ブレがない。強情になる。


「うん。もちろん」


 綾女が明るく答える。


 じゃあ、しょうがない。授業の遅れは、俺がしっかりフォローすればいいか。それに、精々一限程度のサボりだ。いくらでも取り返しがつく。


 そんなことを二人で話していると、その例の橋までたどり着く。つい先日、卓也が子猫の入った段ボール箱を投げ捨てた橋だ。川はいつものように穏やかに流れている。


 そして、噂をすれば何とやら、その橋に見覚えのある小さな男の子がしゃがみこんでいた。まるで、ここを通る誰かを待っているかのように、道行く人を目で追っている。


 俺たちはゆっくりと近寄って、綾女が声をかける。


「卓也君?」


 その男の子――卓也は子供らしい純粋な笑顔で俺たちを見上げる。


「お姉ちゃん!」


 卓也はバネのように立ち上がり、てけてけと綾女に近寄り、そのまま綾女の腰に抱きついた。


「ちょ、卓也君? どうしたの?」


 卓也は感極まっているように、笑っていた。


「えへへー。お姉ちゃんを待ってたんだ。俺、パパとママと話したんだ。そしたら、猫、飼っていいって!」


 ほう。卓也は卓也なりに、解決策を探っていたようだ。そして、見事金脈を掘り当てたらしい。


「そっかー。いい子だねー。卓也君」


 綾女は未だ腰に抱きついている卓也の頭をぐりぐりと乱暴に撫でた。それが嬉しいのか、卓也は益々顔をほころばせる。


「でもね、パパとママは一匹だけだって言うんだ……」


 太陽な笑顔が、少しだけ陰る。だが、その陰りを取り除く言葉を、俺と綾女は持っている。綾女と俺は無言で頷きあう。うん。これで万事解決だ。


「それで、クロとシロとサクラはどうなったの?」


 卓也が不安な顔のまま尋ねたので、綾女は卓也と同じ目線の高さまでしゃがみ、丁寧に説明する。俺の家で三匹の子猫を預かっていること。クラスメートのお嬢が里親になってくれること。保健室の養護教諭がクロの里親になってくれること。それらを丁寧に話した。


「じゃあじゃあ、俺を入れて、三匹とも飼ってくれる人が見つかったのー?」


「あははー。そうだよー。それで、卓也君はシロとサクラだとどっちがいいかな? クロは指名されちゃったからねー」


 綾女が尋ねると、卓也は腕を組んで考え始めた。それから「うんうん」唸ること十秒。卓也は決めたようだ。


「シロにする」


「うん。分かった。シロだね」


 ってことは、お嬢の家はサクラだ。お嬢の名前が咲良だから、すんなり馬が合うかもしれない。猫だけど。


「じゃあ、今から卓也君のお家に連れて行ってくれるかな? 卓也君のパパとママとお話がしたいんだ」


 綾女が卓也に尋ねる。きっと、卓也だけじゃなく、卓也の両親も含めて、子猫の里親として大丈夫かどうかを、腹を割って話し合いたい、ってところだろう。俺も綾女と同じ気持ちだ。


 卓也は二つ返事で頷いた。


「太一、いいよね?」


 綾女が顔の前で指を絡めて懇願する。そんなポーズをしなくても、綾女がしたいなら、俺はそれに付き合うだけだ。


「おう」


 綾女の不安を払拭するために、俺は強く返事をした。


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