第26話 サオトメクォリティ(ペットの場合)
少しばかり大きなイベントがあっても、俺の日常は大きく脱線することはない。綾女がいる限りその日常は崩れない。
「まあ、何だ。……AAPプロジェクトはゆっくり進めるとしても、子猫の里親探しはできるだけ短期決戦にしないといけないよなあ。いつまでも俺たちで面倒を見るわけにはいかないからな」
もう一口焼きそばパンを頬張る。炭水化物プラス炭水化物だ。カロリーの暴力が、お腹に溜まってちょうどいい。焼きそばパンの中央の紅ショウガの手前まで食べ進め、そこで止まる。俺は紅ショウガが苦手だった。あの何とも言えない自己主張の強さが苦手だった。お好み焼きでも牛丼でも、どこでも紅ショウガは紅ショウガを主張する。それが口直しになる、と主張する人もいるかもしれないが、俺は苦手なのだ。理屈じゃない。
そのまま紅ショウガの部分だけをこそぐように食べる。単体なら、食べられなくはない。やっぱり酸っぱさと辛さが混在しているこの味は好きになれないな。
俺が人知れず紅ショウガ相手に渋い顔をしていると、綾女は「ふふふ」と笑った。
「ん? どうした?」
「ああ、ごめんね。太一って昔から紅ショウガ苦手だったな、って思ったの。変わらないなあって」
「……そうかな」
俺は見透かされたような感じがして、少しバツが悪くなる。そのまま視線を綾女から外し、窓の外へ視線を移す。今日も五月晴れ。いい天気だった。
「あはは。太一は太一だよ。大きくなっても、やっぱり太一だよ。……それでさ、子猫の話だけど」
綾女が明るいままだが、声のトーンが少し変わる。明るい口調だが、声に遊びがなくなる。
「太一は飼ってくれそうな人に心当たりはある? 本気でちゃんと大切にしてくれそうな人、いる?」
どうやら、綾女は軽さを維持しつつも、真剣な話をしたいようだ。顔は柔和だが、目は笑っていない。
俺も、それにしっかり応える。
「ない。綾女は?」
そもそも俺は内向的だ。友人関係は狭い。外交的で社交的な綾女の方が、当ては多いだろう。
「えっとねー。さっちゃんは犬を飼っているからたぶん無理かなー。あっこちゃんとめぐちゃんはペット不可のマンションだったと思う。うーん。私も当てがないかなー」
綾女がこの様では、中々里親探しは難航するかもしれない。
「まあ、そんなにすぐに見つかれば苦労はないさ。ほら、弁当食えよ。昼休み終わるぞ」
綾女は俺の机の上に弁当を置いたままでまだ蓋を開けていない。綾女は食事のペースは遅い方だ。こんなにゆっくりしていては午後の授業が始まってしまう。
「ああ。そうだね。……じゃん」
綾女が弁当の蓋を開ける。今日の弁当はいつものように、冷凍食品のおかずがチョコンと添えられている手抜き弁当だった。
「あははー。今日は時間が惜しかったからねー」
そう言えば、子猫の様子を見るために、今日は朝から綾女が俺の家にきたのだった。どうやら、綾女の弁当支度も短縮したらしい。
「でも、卵焼きは自信作なんだよー」
弁当箱の隅にその自信の卵焼きが二切れ入っていた。綺麗な黄金色の卵焼きだ。確か、綾女の家の卵焼きは塩味だ。俺の家は砂糖。そして、俺はどちらかと言うと塩味の方が好きだ。
「……一切れくれよ」
「いいよー。はい、あーん」
綾女が箸で卵焼きを掴み、俺の口の付近に運ぶ。落ちても大丈夫なように、もう片方の手で弁当箱を下に添えている。その仕草はとても丁寧に見えた。
そのまま口を開き、綾女の卵焼きをいただく。
「あーん。……うん。美味しい」
塩味がいい塩梅できいていて、ご飯が進みそうな味付けだった。パンしか手元にないのが口惜しい。
「綾女もパン、食うか?」
「いらないかなー。焼きそばパンとチョコクロワッサンでしょ? 私はメロンパンがいいなー」
綾女が期待を込めた目で俺を見る。
「分かった。明日はメロンパンにするよ」
「やたー。えへへー」
「ははっ」
その一連のやり取りを、俺と綾女の二人で笑いあった。ああ、こんな時間が、こんなにも愛おしい。
「えへー。ああ、そうだ。ねえ、お嬢。お嬢は、ペット飼ってない?」
綾女が俺の隣の席のお嬢に声をかける。
お嬢は既に昼食を終えたようで、化学の資料集を流し見していた。お嬢はたまによく分からない行動をとる。先日は授業を聞かずに一日中元素周期表を眺めていたことがあった。これもサオトメクォリティなのだろうか。
「私の家ですか? 猫を二匹飼っています。グレーとキジトラです。もう五歳くらいでしょうか。立派な成猫です」
おお、これはジャックポットかもしれない! 綾女、ナイスチョイス!
綾女も俺と同じ考えらしく、目を見開いてお嬢に尋ねる。その口角が上がる。
「じゃあじゃあ。もう一匹くらい飼えない、かなあ?」
綾女がお決まりの、顔の前で左右の手の指を絡めるお願いのポーズをする。綾女は懇願するように、上目遣いでお嬢に尋ねた。その綾女の姿を見て、お嬢は――。
「ぶふっ!」
また鼻血を吹いた!
「きゃっ!」
「おおうい!」
綾女と俺は短く声を上げながら、お嬢から距離を取る。不幸にも、俺のチョコクロワッサンの包装に血がついた。その代わり、俺の机は無事だ。綾女の弁当も難を逃れたらしい。
「お嬢、下向いて! 綾女、ティッシュ!」
「う、うん」
まるで先日の焼き増しのように、お嬢の止血処理を施した。お嬢の出血が止まるまでに、チョコクロワッサンの包装の血も拭った。……中身は平気だよな。感染症とか罹らないよな。
それから五分くらいして、三人ともが落ち着いた。
「はあ、もう平気か?」
「ええ。また取り乱してすみません。まさか、再びあの愛らしさを目にすることになるとは……」
愛らしい、ね。このお嬢がさっきの綾女の猫の鳴き真似を聞いたら卒倒するかもしれないな。いや、お嬢も校内放送は聞いただろう。さっきの猫姫とまで讃えられた綾女の猫撫で声をどう思ったんだろうか。ちょっと興味がある。
「で、お嬢、猫の件はどうなの? 里親募集してるんだけどさ」
恐る恐る尋ねる。すると、お嬢はスッキリとした表情で答える。
「たぶん、大丈夫です。両親に聞いてみなければ分かりませんが、経営しているスーパーの売れ残りは十分にありますから、食費の心配はありません。あとは、家の広さとか、猫の縄張り意識とかの問題でしょうか」
これは好感触だ。
綾女も興奮したようで、お嬢の手をそっと握った。
「ありがとう! お嬢! 私、お嬢と同じクラスでよかったよー! 流石はサオトメクォリティだねー」
お嬢はまた鼻の血管が裂けそうだったのか、慌てて綾女の手を解いて、自分の小鼻を摘まんで圧迫した。
「ああ、ごめんね、お嬢」
「いえ。私もまだまだ未熟ですね」
お嬢はサオトメクォリティの笑みを浮かべた。お嬢さまスマイルだった。
とりあえず、お嬢のところで飼ってもらえそうなアテができたのは幸いだった。どうやら、家に帰ってから両親と相談してもらえるらしい。できれば三匹とももらって欲しいのだが、それは流石に高望みしすぎだろう。一匹でも里親になってくれるのなら、それだけで僥倖だ。
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