第27話 日常を脅かす嵐の到来
「ああ、そう言えば……」
昼休みが終わろうとした頃合いに、お嬢が思い出したかのように話を切り出す。綾女は自分の席に戻った。
「ん? どうした、お嬢?」
「根本君、さっきの校内放送の――『にゃ~ん』の君は、結局、誰なんです? 根本君の知り合いなのでしょう?」
どうやら、お嬢も猫姫の正体が気になる一人らしい。
だが、お嬢の知的好奇心よりも、綾女との信頼関係が大事だ。
「秘密だ。まあ、お嬢も知っている人だ」
ちょっとだけヒントを出す。しかし、お嬢はそれで納得したらしく、「そうですか……」と呟いて、午後の授業の準備を進めた。
◇ ◇ ◇
それから午後の授業を真面目に受けた。その後、担任の先生による帰りのホームルームの連絡事項は適当に聞き流す。直近で関係しそうなことはなさそうだったからだ。
と言うわけで、放課後になった。いつもと同じように俺と綾女は肩を並べて教室を出る。綾女と二人の帰り道……のはずだったのだが。
「おおっと!」
教室を出たところで、様々なユニフォームを着ている色とりどりな連中に囲まれた。道着や学校指定の体操服、それに制服。サッカーや野球の練習着。様々な格好の生徒の集団だった。
何だ、何だ、これは。
俺は綾女の前に立ち、自然と綾女を守るような立ち位置を確保する。
「君が一年六組の根本君か?」
その中の一人――道着に身を包んだ、がたいのいい角刈りの男子が俺に声をかける。背丈もウェストも大きい。俺よりも二回りくらい大きな男子だった。たぶん、先輩だ。二年か、三年か。少なくとも、同学年でここまでデカい奴は知らない。
「え、ええ。そうですけど……何か? 俺に用事ですか?」
その威圧感に気圧されながら、俺が答える。
ガシッと俺の両肩を掴み、真っすぐに俺の目を見ながらその角刈りの先輩は口を開く。
「教えてくれ。……あの猫姫が誰なのか!」
はい? 猫姫? それって、昼休みもクラスの男子に囲まれたあの猫姫?
俺の背後で、綾女がびくりと肩を震わせたのを感じた。
「いやー。すみません。アレは内緒でして、答えられないっす。企業秘密っす」
こんな見ず知らずの先輩よりも、綾女の方が何倍も大事だ。このまま荒事になったとしても、俺が綾女を売ることはない。まあ、荒事になったらそれはそれで構わない。俺だってタダでやられる気はさらさらない。相手がどれほどの強者でも、ルール無用の喧嘩なら、俺に分がないわけじゃない。
などと、一人で物騒な考えをしていると、道着の先輩は逆に不敵に笑みを浮かべた。
「ははは。それなら、交渉しよう」
俺の肩を掴む手に力が入る。それが煩わしかったので、俺は両腕を回し、その拘束を強引に解く。
「痛いっす。……で、交渉っすか?」
俺に腕を払われたことに、ピクリと眉根が動く。
ああ、険悪だな。まあ、俺はどうなってもいいけど、綾女だけは無事にこの場を逃がさないとな。
チラリと視線を道着の先輩から外す。俺と綾女を囲むように、十人弱の生徒が集まっている。だが、その恰好はまばら。つまり、目的は同じでも、協力関係はない連中だ。幸い、手が早そうなのはこの道着の先輩だけだ。この先輩を片づければ、後はどうとでもなるだろう。
「そうだ。交渉だ。君が放送で言っていた……猫の面倒を俺たちが見よう。幸い、部室棟には雨風を凌げる場所がある。学校で飼うことは可能だ」
道着の先輩の言う通り、各部活の部室が集まっている部室棟は、その名前の通りしっかりとした建物だ。屋根も壁もある。そこなら、一時的に動物を保護することは可能かもしれない。
だが、それが長続きするとは到底思えない。学校の教師陣からしたら、絶対に反対するだろう。それに、お盆や年末年始のように部室棟に人がこない日はどうする? 誰が面倒を見る? 結局は、里親探しの解決になっていないはずだ。
この交渉は、全くもって無意味な条件を提示している。直感的に俺はそう思った。
「だから、それと引き換えに、猫姫の正体を教えて欲しい。猫姫が誰かさえ教えてくれれば、里親になろうって言うんだ。いい取引条件だと思うんだが?」
それは半分脅迫じみた交渉だった。わざわざ道着に着替えているのがその証拠だ。本当に交渉したければ、制服のままくればいい。それをわざわざユニフォームに着替えてきたということは、つまり、子猫の世話よりも部活動の方を優先するって姿勢の表れだ。
「……ダメ」
俺の背後で綾女がぼそりと呟いた。綾女も俺と同じ考えらしい。なら、俺の返答は決まった。議論の余地はない。
「……ダメっす。その交渉には乗れないっす」
「ほう。この俺の言葉に、従えない、と?」
道着の先輩の目がぎろりと不穏に光る。その目に触れないように、綾女を背中に隠す。
「はい。無理っすね。それ以前に、交渉材料がダメっす。学校で飼うなんて、今日日小学生だって考えないっすよ」
あの卓也を含む小学生の集団が、連れて帰ろうとしたのは、直感的に気づいていたからだ。学校では飼えない、と。それが分からない高校生でもあるまい。
俺はできるだけ飄々と、相手を刺激しないように答える。しかし、それでも、なお、道着の先輩はヒートアップする。
「俺の、この岩田将司の言葉に、嘘があると? 不十分だと? そう言うのか!」
怒号だった。
しかし、俺だって譲れないものがある。綾女の前くらい、格好をつけたいものだ。
「はい。無理っす。岩田先輩でしたか? お引き取りくださいっす」
俺は両手を顔の高さに上げ、見た目は降参しているようなアクションを取る。だが、それはあくまで表面上は、だ。岩田先輩が何か強引なアクションを取る素振りを見せたなら、俺もそれ相応の対応で返すまでだ。
脳内でシミュレートする。
岩田先輩の手が俺や綾女に伸びたら、その手を掻い潜って顎に掌底をぶち込む。運がよければそれで終いだ。だが、それ以上突っかかってくるようなら、足を狙う。膝だ。ローキックを叩き込む。膝が落ちれば、その一瞬で綾女を逃がす。綾女は少しぐずつくかもしれないが、「職員室」と一言伝えられれば、綾女は察してくれるはずだ。それからは投げられたり、絞められたり、ボコられたりするだろうが、綾女が先生を連れてくるまでなら耐えられる。相手がどんだけ強くても、耐えてみせる。
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