第25話 目立ちたかった幼馴染が猫姫と呼ばれた



 一文字先生に丁寧に礼を述べ、綾女と二人で教室に戻る。ゆっくりと歩調を揃えて歩いている間に綾女も落ち着いたらしく、顔色がいい。


「はははー。にゃ~ん、だって。私、鳴いちゃったよー」


 今では自分から猫の鳴き真似を弄れるくらいには回復したようだ。綾女が笑顔でいてくれるだけで、俺も元気になる。


「そうだな。そこそこ可愛かったぞ?」


 だから、俺も茶化した風にそれに乗っかる。冗談半分だけど、残り半分は本気だ。綾女の猫撫で声は中々可愛らしかった。


 綾女は口を尖らせる。


「もう。太一は意地悪だー」


 そうして二人で朗らかに笑いながら、教室の扉を開ける。


 すると、俺の姿を見た男子生徒数人がガタガタと血走った目で駆け寄ってきた。


「うぉ! な、何だ?」


 突然の出来事に俺が戸惑っていると、クラスメートの男子たちは口々に話を始める。


「根本……」


「……うちの部活に……」


「にゃ、にゃんこー……」


 しかし、俺は聖徳太子ではない。ごちゃ混ぜで言われても、何を言っているか分からない。


「ああー。待て待て。聞く。聞くから、ちょっと静かにしてくれ」


 俺が両手を前に出してクラスメートの男子を制止する。男子は大人しく従った。


「えっと、じゃあ、こっちから順に」


 右手側の男子生徒を指す。坊主頭のクラスメートだ。名前は石崎。サッカー部だ。一年だけどレギュラーだとか何とか。


「根本。あの猫の声の人は、猫姫は根本の知り合いか? ぜひ、サッカー部のマネージャーになって欲しいんだが! だがが!」


 猫姫? いつの間にか綾女の猫の鳴き真似は、当人を差し置いて、綾女を姫扱いするレベルに昇華していたらしい。


 石崎がそこまで言うと、その隣の男子生徒も口を開く。クラスで一番背の高い角田だ。バスケ部所属。高校の部活では割とチャラチャラした容姿を好む運動部も多いのだが、角田も石崎と同じく古き良き体育会系運動部員って雰囲気の生徒だ。


 そんな長身の角田がその身に似合わない、開いているのか閉じているのか分かり辛い小さな瞳を輝かせていた。


「石崎、待てよ。あの猫姫はバスケ部に入って欲しい。あの声で応援してもらえるだけで、全国が狙えそうだ」


 石崎だけでなく角田も「猫姫」と言ったので、どうやらそれが一般呼称になったらしい。声だけでこれだけ噂になっているとは、思いもしなかったけど。


 俺の抑止が効かなくなったのか、また男子生徒が口々に勧誘の言葉を口にする。


「山岳部に」


「野球部のマネージャーに」


「将棋部にこそ」


 わらわらと十人弱……クラスの男子の半数近くが俺の前で我先にとアピールしていた。


「ああ、もう! うるせえ!」


 俺はそれが煩わしくなったので、その勧誘の声よりも少し大きな声で、威圧する。


 俺の言葉に、クラスメートたちが少し大人しくなる。


 聴衆となったクラスメートに、俺が声を上げて説明をする。


「いいか! あの猫の鳴き真似をしたのはあや、げふっ!」


 綾女だ、と言おうとしたところで、横っ腹に肘打ちを食らう。打撃を放ったのは綾女だった。照れているのか、目がウルウルして、少し頬が赤い。


「ちょ、おまっ、綾女?」


 俺が痛みに軽くうずくまっていると、俺に代わって綾女がクラスメートに説明を始めた。


「あの猫の人のことは内緒ですー。企業秘密ですー。だから、鳴き声のことは忘れて、子猫の里親を探してくださーい。はい。解散です。散ってください。ほらほら」


 綾女がクラスメートの肩を順番に叩いて、ここから散らばるように声をかける。


 クラス委員長である綾女に促され、不承不承といった感じにクラスメートは散らばっていった。教室の扉付近には、俺と綾女だけが残された。


「綾女?」


 脇腹の痛みが引いたので、真っすぐに立って綾女の顔を覗き込む。綾女は真剣な表情だった。


 綾女は口を開くことなく立っていたので、俺は後頭部を掻きながら綾女を促す。


「……まあ、ひとまず昼飯食おうか。なあ、綾女」


 俺が提案すると、綾女はやっと反応してくれ、か弱く「うん」と頷いた。


 魚の鱗のように並んでいる座席を抜け、自分の席に向かう。そのまま自分の席に座って、学生カバンの中から今日の昼食のパンを取り出す。今日は焼きそばパンとチョコクロワッサンだ。


 そうしてパンを机の上に広げていると、いつものように目の前の席の椅子がガラガラと向きを変える。綾女がきたのだ。


「人の気も知らないでー。勝手なんだからー。もー」


 ぶつくさ文句を言っている。どうやら、猫姫扱いされたことが不本意らしい。


 しかし、それもおかしな話だ。綾女は目立ちたがっていた。それこそ、AAPプロジェクトの目的だった。それなのに、いざ目立つチャンスが回ってくると、こんな風に尻込みするのだ。


 俺は机の上に肘を立てて、頬杖をつく。


「……目立つんじゃなかったのか? AAPプロジェクトはどうしたよ?」


 綾女に尋ねる。純粋な興味だった。綾女は今、自分の立ち位置をどういう風に捉えているのだろうか。


「うん。そうだね。目立ちたいよー。でも、こんな子猫の非常事態につけ入るようなのはダメだよー」


 良心の呵責と言うか、倫理観が邪魔をしているようだ。綾女の説明は短いが、言いたいことは何となくわかる。今は自分が目立つことよりも、子猫たちの身のことを第一に案じているのだ。


「それに、声優さんじゃないんだから、声だけで注目を集めるのはちょっと違うかなーって。あはは。よく分からないや」


 最近は声優業も声だけじゃなく、ライブみたいなアイドルっぽい活動も増えているらしい。声だけでは生き残れないらしいのだ。まあ、そんなプロの話は俺たちには関係ないか。


 焼きそばパンの封を切り、一口かじる。ソースがしっとりとパンに染みていて、悪くない味だった。


「それでも、それをキッカケにすればよかったんじゃないのか? あくまで子猫の里親探しはキッカケと割り切れないのか?」


「うん。私には無理。だから、結局は私のわがままかなー。えへへ」


 綾女は淡く笑った。そして、その笑顔のまま「ごめんねー。太一」と俺に謝った。


「綾女が謝るようなことじゃないさ。まあ、AAPプロジェクトは綾女が起こした、綾女の、綾女による、綾女のためのプロジェクトだろ? だから、少しでも綾女の気持ちにそぐわないなら、それはやらない方がいい。こんな時くらい、綾女はわがままを言っていいと思う。俺は綾女の味方だからさ。気にすんなよ」


「そうだねー。ありがとう。太一」


 俺は綾女との関係が暗くならないように、努めて明るく綾女をフォローした。綾女もそれを察してくれたのか、柔らかく笑っていた。ああ、やっぱり綾女はこれくらいの笑顔が似合っている。綾女には微笑が似合っている。爆笑も苦笑も失笑もイマイチだ。

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