第21話 まずは情報を集める


 帰宅した。びしょ濡れだ。


 川に飛び込んだので、シャワーと着替えのために、綾女も一時的に自分の家に帰った。ああ、学生カバンを綾女に預けたままだな。財布も携帯電話も家のカギも学生カバンの中だ。


 俺もシャワーを浴びたかったが、子猫を放っておくことも家のカギもなかったので、濡れた制服のまま俺の家の玄関の前で日光浴をする。西日が目に痛いが、そこそこ温かかった。風邪をひくことはなさそうだ。


 そうして待つこと二十分。綾女が俺の家の前に現れた。制服ではなく、カジュアルな格好だった。片手には俺の学生カバンを持っている。


「ありゃ? 太一、制服のまま? 待ってたの? はい、カバン」


 綾女から学生カバンを受け取る。


「まあ、な」


 学生カバンの中から家のカギを取り出し、玄関のカギを開ける。


 綾女は俺の横に置いてある段ボール箱を屈んで覗き込む。右手の人差し指を伸ばし、シロの眉間あたりを撫でる。


「この子猫たちを放置して悪戯されたりどこかに逃げられたりしたら困るから、見ててくれ。俺もシャワー浴びてくる。よろしくな」


 綾女が「うん」と頷いたのを確認し、俺は家に上がった。


 脱衣所でまだ水気たっぷりの制服を脱ぎ、そのまま洗濯機に放り込む。そのまま風呂場で温めのシャワーを浴びる。全身を一通り濡らした後、シャンプーとボディソープを気持ち多めに手に取り、身体中を泡だらけにする。それを一気にシャワーで洗い流す。身体から流れ落ちた泡は、排水溝に溜まって淀んでいた。


 シャワーから上がって、着替えを用意していなかったことに気づく。仕方なく腰にバスタオルを巻いて、自分の部屋に上がる。家には俺以外誰もいないので、こんな行儀の悪い真似をしても構わないだろう。部屋着のティーシャツとハーフパンツに着替え、再び玄関へ足を向ける。


 玄関では綾女が手の指を段ボール箱の中に向けて、ひょこひょこと釣りをするように子猫たちと遊んでいた。


「あははー。ほい。ほい」


 綾女の無心の笑顔に気持ちが温かくなり、いつまでも見ていられそうだった。


 そんな俺の視線に気づいたのか、綾女が顔を上げる。


「あ、太一。シャワー浴びたんだね。早かったね」


「おう。汚れを流しただけだからな」


 身体を温めるために、風呂にじっくり浸かるのとは違う。最低限、川の水が流せればよかった。


「じゃあ、俺の部屋に連れていくぞ」


「うん」


 濡れた段ボール箱の底が抜けないように、注意して持ち上げる。ほぼ大人の男性である俺だ。子猫三匹が入っている段ボール箱は楽々持ち上げることができる。ああ、生命って、こんなにも軽いんだな。


 階段を慎重に一段ずつ上り、俺の部屋に入る。ローテーブルの上にさっきまで腰に巻いていたバスタオルを広げて、その上に段ボール箱を置く。定位置であるベッドに腰を下ろす。綾女も俺に倣って、俺の横に座る。


「まずは、段ボール箱の新調だな」


 幸い、先日インターネットで買い物をした時の段ボール箱が部屋の中に転がっていた。水に濡れてクタクタの「古波蔵製菓」の段ボール箱から、「アマ天市場」の段ボール箱に猫を移す。まだ気温は低くないが、保温できるように、使い古したフェイスタオルを三枚入れておく。これで、三匹を個別で包むこともできる。綾女は「お引越しだねー」と明るく笑っていた。


「で、どうするんだ?」


「もちろん、里親を探すよ。約束だもん」


 綾女は確かな決意を秘めた意志の強い表情だ。昔からこうなった綾女は強情だった。良くも悪くも。


「分かってる。でも、それ以前に色々あるだろ? 健康診断? みたいな」


「ああ。そうだね。やっぱり太一は頭が回るね。私は全然考えてなかったよー」


 綾女は「にはは」と顔を崩して笑った。その能天気さが、俺の気持ちを軽くする。


「ちょっと待ってろ。ネットで調べてくるから」


 俺の部屋にパソコンはない。携帯電話でもできないことはないが、ちゃんとした調べものならリビングに置いてあるデスクトップパソコンの方がいい。


「ああ、私も――」


「いい。子猫見ててくれ。綾女はパソコンの操作が下手だからな」


 よく耳にする「触ってないけど壊れた」を地で行くのが綾女だった。パソコンに限らず、家電からテレビのリモコンまで、綾女は電気製品にめっぽう相性が悪い。相性がいいのは包丁とかフライパンとかのキッチン用品くらいだ。


「あははー。ごめんねー」


 綾女を俺の部屋に残し、リビングに向かう。


 リビングに置いてあるデスクトップパソコンの電源を入れ、起動までの時間に冷蔵庫の中身を物色する。間が悪いことに、子猫が口にしても大丈夫そうなものは何もなかった。牛乳もチーズも、魚の切り身もない。まあ、子猫が食べられるものもよく分からないのだけれど。


「食べられるものを買いに行かないといけないな」


 冷蔵庫を閉じるのと、デスクトップパソコンのオペレーティングシステムの起動音が鳴ったのはほぼ同時だった。


 デスクトップパソコンの前に腰を下ろし、マウスを握る。インターネットブラウザを立ち上げ、検索窓をクリックする。マウスから手を離し、キーボードに触れる。右手の人差し指を「J」、左手の人差し指が「F」の上にあてがう。


「まずは、食べ物かな」


 ブラインドタッチで「子猫」と入力する。スペースを空け、そこで指が止まる。


「エサ……よりは、ご飯かな」


 子猫を人間扱いするつもりはないが、「エサ」のように乱暴な言い方は好きになれなかった。「ご飯」と入力して、エンターを押す。


 瞬く間に、数千万件の検索結果が表示される。


「とりあえず、一番上かな」


 検索結果の一番上のリンクをクリックする。


 そのウェブページには大きな文字で「子猫のごはんまとめ」とタイトルがついていた。


「えっとえっと……猫用フードはまだ早い、と。子猫用ミルクか、そんなのまであるのか」


 スーパーで売っている牛乳で済まそうとしたのだが、それでは不十分らしい。高脂肪・高たんぱくで栄養がたっぷりな子猫用ミルクの方が適しているらしい。


「でも、ペットショップは近くにないよなあ」


 頬に手を当てる。この付近は住宅街で、スーパーやコンビニはあっても、ペットショップや動物病院、ペット用品売り場があるような大型のホームセンターはない。そのため、子猫用ミルクを買う当てがない。


 そのままそのウェブページを下にスクロールして流し見する。


 ウェブページの下の方に「子猫用ミルクがない場合」という見出しを見つける。その記事によると、市販の牛乳に卵黄、それと砂糖で代用できるらしい。これなら準備できる。卵と砂糖は常備している。


 デスクトップパソコンの横に置いてあるメモ帳からメモ用紙を一枚切り取り、ボールペンでサラッとメモを取る。必要な材料と、分量、それから子猫にあげるときの温度やあげ方などを写し取る。


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