第19話 小学生の話にちゃんと耳を傾ける


 それから仰向けになって息を整えていると、さっきの小学生集団がわらわらと寄ってきた。


 その中の一人、川に段ボール箱を放り投げた男子小学生――たっくんを見つけると、綾女は厳しい表情になった。


 ああ、綾女がこんな顔をするのは、いつ以来だろうか。思い出せないな。ただ、綾女にこの顔をさせないために、子供心に気をつけていたのは覚えている。


 そのまま、綾女はたっくんの両肩を掴んだ。


「な、何だよ……」


 たっくんは綾女の剣幕に押されながらも、生意気そうに口を尖らせる。自分は悪くない、自分は間違っていない。勝気そうな目がそう言っていた。


 綾女はたっくんと同じ目線の高さに合わせて屈み、たっくんを諭すように、熱く語る。


「ダメだよ! 動物を、命を、大切にしないと! 命はたった一度きりなんだよ! 生きているんだよ! 私たちと一緒なんだよ! だから、だからね……」


 綾女は感情がコントロールできなくなって、気持ちが涙となってあふれ出す。怒っているのに、悲しんでいた。


 その綾女の真意が通じたのかどうかは分からないが、たっくんはシュンと肩を落とした。


 言葉にできない感情を、耳ではなく肌で感じ取ったらしいたっくんが嗚咽を漏らす。


「ご、ごめん、なさい。ひっくっ……ひっくっ……」


 そして、綾女につられるようにたっくんの目からも涙が流れる。その気持ちの濁流は伝染して、関係のない他の小学生まで泣き始めた。


 その様子は、不謹慎かもしれないけれど、少し微笑ましく見えた。


 まったく。どう収拾するんだよ。これ。


 ヤレヤレと苦笑し、俺は息を整えながら、全員が落ち着くのを待った。


 それからたっぷり五分くらいかかった。一番最初に落ち着いたのはもちろん俺だ。次に綾女が泣き止んだ。それから小学生が徐々に落ち着いていき、最後に段ボール箱を放り投げたたっくんが息をついた。


 それを見遂げてから、綾女がゆっくりと口を開く。


「私の名前は相原綾女です。南斗高校の一年生。この近くに住んでいます。君のお名前は?」


 たっくんに向けて綾女が真摯に尋ねる。その言葉に弾劾の気配はなく、ただただ優しさだけがあった。


「棚橋、卓也。小三」


 たっくん――卓也が答える。まだ涙で目を腫らしているが、最初の勝気そうな性格が見え隠れしている。どうやら一泣きしてかなり落ち着いたようだ。


「そう。卓也君ね」


 綾女は下の名前で呼んだ。七つ違いの年下を、綾女は対等に扱う。綾女はこういう、年下の、子供の懐に入り込むのに長けていた。昔から俺は下級生には怖がられるか舐められるかだったけど、綾女はスッと仲良くなって、それでいてお互いを尊重した関係を築くのが上手だった。


 綾女は卓也に優しい声音で尋ねる。


「それで、この子猫はどうしたの? 卓也君の家の子なの? それとも、他の友達の家の子?」


 それは、純粋に興味の言葉だった。卓也を責めるでも、あやすでもない。上も下もない。


 僅かの言葉を交わしただけで、綾女と卓也の距離は縮まっていた。俺は勉強も運動もできるが、こういう人間関係の構築だけは、綾女には敵わないと心底思う。


 その綾女の言葉に安心したのか、卓也もしっかりと返事をする。


「違うよ。学校の校門の横に置いてあったんだ。朝はなかったのに、帰りにはあったの」


 置いてあった、か。まあ、捨てられたって認識が正しいよな。


 卓也の言葉を聞いた綾女が、視線を他の小学生に向ける。言葉の真偽を尋ねているように見えるが、綾女にはそんな気はない。綾女は卓也の言葉を信用している。だけど、その言葉を更に真実性を持たすために、他の子供に同意を求めているのだ。


 小学生の集団の中でも、ちょっと背の高い女の子が律儀に手を上げる。どうやら、この集団の中では一番の年長者のようだ。


「たっくんの言う通りです。きっと、誰かが拾うと思って、置いて行ったんだと思います」


 卓也よりも大人びた意見だった。年上に丁寧な言葉遣いをしている点からも、この子はちゃんと捨てたことを正しく認識しているようだ。まあ、小学校高学年にでもなれば、社会の善悪は何となく分かってしまうものだ。逆に、純粋故に、厳しい目をしていることもままある。


 女の子が言葉を続ける。


「それで、学校に置いたままにするのはかわいそうって思って、連れて帰ることにしたんです。そしたら、急にたっくんが――」


 責任を擦り付けるように、不安そうな横目で件の卓也に視線を向ける。


「だ、だって、うちじゃ飼えないし。そしたら捨て猫はホケンジョってところに連れていかれて殺されるんだって聞いたもん。だから、野生で生きればいい、って思ったの。野良で生きていくのは厳しいから、川に投げたくらいじゃ、生きていけないから……」


 熱弁であるようで、言い訳であるようで、自己弁護であるようで、色々な思いがごちゃ混ぜになって言葉になっているようだ。


 野生って言葉がすんなり出てくるのは、テレビゲームかアニメかの影響だろうな。日常会話でそんな言葉は使わない。


 また卓也が俯いて泣きそうになる。その卓也の顔を、綾女はしっかりと見つめる。その顔には「怒り」は見られない。どちらかと言うと「優しさ」が垣間見れる。柔らかい表情だった。


 まあ、状況は把握した。男の子は意地悪で猫を投げ捨てたのではなく、捨て猫から野良猫として生きていけるようにしたかった、と。決して、悪意から生まれた行為ではなかった、と。悪ではないのだ、と。


 子供らしい短絡的な考えだと吐き捨てて、一方的に怒鳴りつけることは容易い。だが、それがこの子の将来に影を差すのは避けたい。せっかくの機会なのだ。ちゃんとした考えができるように諭してあげたい。さて、どうしようか。

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