第5話 当然一緒に帰るし家にも寄る


 綾女と二人の帰り道。


 電車を乗り継ぎ、最寄り駅で降りて、それから徒歩で十五分ほど歩いたところに、俺と綾女の家はあった。その道中、小さな川にかけられた橋を渡りながら、綾女が俺の顔を覗き込んで尋ねる。


「ねえ、太一。今日、お母さんも遅番らしいから、太一の家寄っていい?」


 綾女の家は両親が共働きで、時折こうして綾女を俺の家に上げ、夜まで一緒に過ごすことがある。


「ああ。構わないぞ。今日はカレーだから、晩飯も食っていいと思うぞ?」


「あははー。でも、ご飯をご馳走になるのは申し訳ないから、遠慮するよ」


 俺の家と綾女の家の間柄で、遠慮なんてすることないと思うのだが、まあ、急に綾女の分の夕食準備がなくなると、綾女の母親の予定が狂うか。


「そっか。分かった」


 綾女が晩御飯を食べないことが、少しだけ残念に思う。綾女と一緒に過ごす時間が減るからではない。


「でも、何で晩御飯がカレーって分かるの? もしかして……」


「そう。たぶん綾女の想像通り。昨日もカレーだった。たぶん明日まで続く」


 市販の固形のカレールーは一箱で十皿近くの量ができる。三人家族の我が家には、少々重い。世間一般の多くの家庭がそうであるように、一度カレーを作ると二三日はカレーが続くのだ。


「あははー。でも、カレーは色々味変できるからね」


「味変? 例えば?」


 カレーを使った応用なんて、ドライカレーやカレーうどんくらいしか思い浮かばない。後は生卵を入れることくらいだろうか。


「えっとねー。例えばインスタントコーヒーとかバニラアイスとか入れるとコクが出て美味しいよー」


「あ、アイス? カレーは辛い方が好きなんだけどな……」


「でも、美味しさは脂肪分だから、アイスは相性いいんだよー」


「そっかなー」


 流石は毎日弁当を自作しているだけあって、綾女は家庭的だった。将来はいい奥さんになるだろう。


 綾女とのカレーうんちくに関するやり取りが節目だったので、俺はこれからの事態を脳内でシミュレーションする。家には母さんがいるだろうし、今更綾女と部屋で二人きりになったからって、変な空気になることもないだろう。部屋の掃除はそれほど頻繁に行っているわけじゃないが、埃まみれで気が滅入る、ってことはない。ほどほどには清潔だ。ああ、でも、パジャマがベッドの上に脱ぎ散らかしたままだな。まあ、見られて困るようなものじゃない。綾女がいつきてもいいように、ムフフな本はベッド下の定位置に隠してある。うん。大丈夫だろう。


「ああー。太一、ちょっと変なこと考えてるでしょー?」


 俺が思案顔をしていたのが気になったのか、綾女が値踏みするように問いかける。そして、半分くらい図星だった。


「へ、変なことって?」


 俺は強気に聞き返すが、こういった機微について昔から綾女の方が一枚上手だ。


「ええー。ちょっとエッチなこととかー。ちょっとやらしいこととかー」


 同じじゃねえか。


「か、考えてないって」


「本当かなー。えへへー。太一も男の子だもんねー」


 綾女は心底楽しそうに笑っていた。こんなくだらない冗談を言い合えるのは、俺と綾女が家族同然の幼馴染だからだろう。例えば、人懐っこい綾女だが、お嬢にこんな話を振ったりはしないだろう。俺だから、根本太一だから、綾女はこんなにもフランクに、気兼ねなく接してくれるのだ。それが、少し嬉しい。


 そんな会話をしていると、俺の家に着いた。


 俺の家は祖父が建てた家で、築五十年くらいなので、そこそこ古い。いたるところにガタがきているし、壁の塗装も所々剥がれている。親父か俺かが少しリフォームしなければ、人が住むのも難しくなってしまうだろう。まあ、それでもあと十年二十年は大丈夫だろう。


 俺の家は二階建ての一軒家で、今は俺と両親だけが住んでいる。三人で住むには、少し広い家だった。


 玄関の扉は引き戸になっている。


 その玄関の扉を開けようとすると、ガチャリと数ミリ動いただけで開かなかった。扉が施錠されているらしい。


「ありゃ、母さんいないな。買い物かな?」


 俺は学生カバンの中から家のカギを取り出し、玄関の扉を解錠した。


「ただいまー」


 少し大きめの声量で声をかけながら、誰もいないはずの家に上がる。こういった細かいかけ声が大事だとどこかで聞いたことがある。例えば、泥棒が潜んでいたりすると、牽制になるんだとか何とか。まあ、うちに盗られて困るようなものはそんなに多くないのだけれど。命あっての物種だ。泥棒が押し入り強盗になる前に、退散してくれることを願おう。


 玄関の靴を見たところ、母さんが普段使っているサンダルがなかった。やはり母さんは外出しているようだ。


「お邪魔しまーす」


 俺の後に続いて、綾女も俺の家に上がった。


 俺は乱雑に靴を脱ぎ散らかし、綾女は丁寧に靴を揃えて脱いで、二人で玄関を抜ける。


「俺の部屋、上がってろよ。何もないけど、とりあえず麦茶でいいか?」


「ああ、うん。ありがとう」


 綾女を二階の俺の部屋に行くように促す。わざわざ案内しなくても、子供の頃からお互いの部屋には頻繁に遊びに行っているので、勝手知ったる他人の家、といった感じで、綾女は迷うことなく階段を上がった。ひらりと、綾女が足の動きに合わせて、スカートの裾が揺れる。ちょっとスカートの中が見えそうになる。全く、俺しかいないからって、不用心すぎるよな。まあ、見ないけど。


 俺は少しだけ名残惜しかったが、そそくさとそのまま一階のキッチンへと向かった。


 母さんがいるはずのキッチンにはやはり誰もいなくて、照明も点灯していない。窓から差す西日がまだ明るかったので、そのまま照明をつけずに奥に進む。


 冷蔵庫を開け、麦茶の入ったピッチャーを取り出す。食器棚から俺の分と綾女の分のガラスのコップを二つ取り出す。ピッチャーとコップで両手が塞がるので、学生カバンは脇に挟む。今日は二教科しか持って帰っていないので、学生カバンは薄かった。


 そのままピッチャーとコップを落とさないように注意しながら二階に上がる。十二段の階段をゆっくりと一歩ずつ上る。階段を上り終えたら、左に曲がる。そして一番手前の部屋が、俺の部屋だ。

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