第4話 やること(幼馴染テンプレ)はやっている
すぐ近くで本人が聞いているとも知らず、無防備に噂話は続く。小便器の前なので、下半身も無防備だろうに。
「アイツ、中学でも成績良かったらしいぜ?」
これも綾女だろう。中学校の頃は今よりももっとフランクに成績のことは綾女に話していたしな。
「聞いた聞いた。それに、部活動もやっていないのに、運動もできるしな」
「ああ。サッカー部の次藤と石崎が二人でマークしているのに、一人で抜いてシュート決めたよな」
あれはパスがきたからそうするしかなかっただけだ。友人が少ない俺には、パスって選択肢がほぼないようなものだからな。確かに、次藤と石崎の当たりは厳しかったけど、抜くのはそう難しくはなかったし、シュートはキーパーのいないところに蹴ればいいからもっと楽だった。まあ、嫌味になりそうだからそのことには触れなかったけど。
「次藤と石崎って、サッカー部のレギュラーだったよな?」
「ああ。うちの高校はそこそこ強いらしいから、そのスタメンを抜いたってことだぜ。やべえよ。アイツ、マジ半端ないって」
そうなのか? 確かに、体育の授業だと次藤と石崎のチームに負けたけど、結構接戦だったぜ?
「アイツ一人で何でもできちまうからなあ」
「だな。じゃあ、お先」
やっと一人が用を足し終えたらしい。小便器に水が流れる音がする。
「待てって」
もう一人もそれを追って小便器を離れる。
手洗い場で合流した二人は揃ってトイレを出ていったようだ。
俺は二人の声が遠くなるのを確認して、そっと扉を開け、個室から出た。
「ったく、何で俺がこんな目に」
バタバタとトイレに入り、ヒッソリと噂話に聞き耳を立て、コソコソと個室を出る。まあ、運の巡り合わせが悪かったんだろう。
「トイレだけに、な」
誰にも聞かれていない安心感からか、そんな軽口がついつい口から出ていた。
俺は手洗い場で汚れていない手を洗い、教室に戻った。
教室では綾女が心配そうに食事の手を止めて俺を待っていた。まるで忠犬のようなステイだった。
「どう? 平気?」
「ああ。まだちょっとべたつくけど、とりあえず水気は取った」
ポンポンとズボンを手で叩き、平気さをアピールする。
「そっかー。ゴメンね。私が不注意だった」
「いや、俺こそ手を引っ込めてスマン」
お互いに謝り合ったところで、その生温い空気に二人して苦笑した。
「さっさと、食べよう。昼休み終わるぞ」
「そうだねー。ああ、私、宿題まだ終わってなかったんだ」
綾女は箸を手に取ると、急いで弁当を食べ始めた。
俺も二つ目のパン――チョコチップメロンパンの封を切った。菓子パンの甘い匂いが鼻孔をくすぐった。
「ああ、そのチョコチップメロンパン私好きなんだ。……一口ちょうだい?」
綾女はまた俺を拝むように手を組んでいた。しかし、さっきと違って、その手には箸が乗っかっていた。
「はあ、ほら」
俺は袋の上から強引にチョコチップメロンパンをちぎり、それに直接触れないように、器用に綾女に差し出した。
「いただきまーす」
綾女は俺が差し出したチョコチップメロンパンを手に取ることなく、そのまま口を近づけてきた。まるで、餌付けのような光景だった。
「はむはむ。うん。これは美味しいね」
暗にさっきのジュースはマズかったと言っているようだが、綾女は邪気のない笑顔でチョコチップメロンパンに舌鼓を打っていた。
「じゃあ、太一もね。卵と鮭と人参と桜でんぶ、どれがいい?」
正直、パンを食べているときにお米は遠慮したかったが、綾女が嬉々として尋ねるので、俺は大人しく従った。
「人参」
「おお。私手作りの人参しりしりを選ぶとは、素敵!」
四つの中で人参が一番多く残っているようだったので人参にしたのだが、綾女の好感度が上がったようだ。
「はい。あ~ん」
綾女が一口大を箸に乗せ、俺に差し出す。落ちても大丈夫なように、もう片方の手で弁当箱を下に添えている。
「ん」
幼馴染に食べさせてもらっていることに気恥ずかしくなったが、その待ち時間が長くなることの方が羞恥度が高そうだったので、早々に顔を近づけて箸に口をつけた。
人参は醤油と調理酒で味付けしてあって、お米とは相性が良さそうだった。
「どう? どう?」
「うん。美味しい」
綾女が味の感想を求めてきたので、俺は素直に褒めた。
綾女は嬉しそうに顔をほころばせながら、弁当を食べる手のペースを速めた。
「いやあ、お嫁にしたいととか照れちゃうなあ」
「そんなことは言っていない」
確かに、小さい頃に結婚の約束はしたが、もう時効だ。綾女のことは可愛いと思うが、異性として付き合いたいかと言われれば、家族同然なのでそんな気持ちはほとんどない。
だが、綾女が俺以外の誰かと付き合うのも見たくない。
まあ、俺のわがままなのは分かっているけれど。
「ほら。無駄口叩いてないで、さっさと食べて宿題やれ」
「ええー。ねえ、太一。写させてー」
「ダメだ。クセになるといけないからな」
ペットの躾と同じだ。
「ううー。ケチー」
「でも、分からないところくらいは解説してやる」
「あ、ありがとう」
綾女はありがたさと迷惑さが混在したような表情で、弁当を平らげた。
それから、綾女に宿題で分からなかったところ、と言っても四問だけだったが、を解説していると、昼休みの終わりを事前に告げる予鈴が鳴った。
「間に合ったよー」
ギリギリだった。綾女はこの昼休み、教室から外に出ていない。
「これで授業は大丈夫だと思う。綾女、トイレとか平気か?」
「ああ、ダメ。行ってくるう」
綾女は俺に申告してから、さっさと教室を後にした。
こんな温かな日常が、俺の、根本太一の持っている全てだった。
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