2 ギルバート

「率直に言うと、君にはスパイになって、オズノルドに潜入してもらいたい」

 日の光を背にして立っている男は、背が高く、顔は歴戦の傷で埋め尽くされ、その目はシャルよりも濃い緑をしていた。


 怪獣にでもにらまれているようだった。


 俺はその提案には驚かされた。しばらく何も考えられなかったほどだ。俺はすぐに断った。考えるまでもなく、向いているとは思えなかったからだ。

 だけど、大公は俺だからこそいいんだと言った。


「君のことはシャルル君をつけさせていたときに私の兵士から聞いている。君は良くも悪くも真っ直ぐだ。何があっても曲がらない。だが、それが君の誇るべきところである。我々の正義を遂行し、悪を滅するに、君ほどの人物はいない」


 俺はなんと答えていいか分からなかった。昔の俺なら、喜んで、うまいこと乗せられて、すぐにやりますと答えていたんだろうけど、俺はもう変わっちまった。何が正義かも、自分がどこへ向かっているのか、自分が何者なのかも分からない。


 大公は続けて言った。

「君が他人を騙すことに秀でていないことは百も承知だ。だが、今回はそれがいい」


 俺には何を言っているのかさっぱり分からなかった。アレッサと……、を考えれば、とても他人を欺かずにやれる仕事ではない。

 俺は自分には無理だともう一度断った。だけど、大公は俺の言葉を聞いていないみたいだった。


「南部にはまだ、我が民が残っていることを知っているかな、ギルバート君?」

 俺はうなずいた。そういう噂話は耳にしていた。


「実はだね、オズノルドは取り残された哀れな民を、あろうことか自国へ連れて行っているそうだ。そして、奴隷のように扱っている。

 これは由々しき事態だ。非常に。であるが、我々はそれを好機と見た。スパイを潜り混ませるのにこれ以上の好機はない」


 次第に話の輪郭が見えてきた。南部の住民のふりをしてさらわれ、奴隷として敵国に入国しろと言うことだ。だから、オズノルド人のふりをする必要がないということなのだろう。だけど、そうだとしても、やりたくなかった。頭にちらつくのは、やはりあの二人の事だった。


「心配はいらんよ。君には複雑で、危険なことをやらせるつもりはない。敵の情報を漏らす必要も、作戦を攪乱させたり、隠密を求めることは何一つない。君にはただ、オズノルドに潜入し、オズノルドの兵士として軍に所属してもらう。そこで、実力を示し、階級を上げる。オズノルドは実力主義だ。優秀なものはすぐに昇格できる。

 我々が再び君に接触するのは早くとも数年先になるだろう。それまでに、君は軍の中で信用を勝ち取っておく。それが君に課せられる任務だ」


 それを聞くと、確かに俺でも出来そうな気がした。それでもやはり、気は乗らなかった。大公はそれを察知したのか、しばらく考える時間をくれた。


 それから二週間、毎日のように悩み続けた。一人でいる間は、常にそのことで頭がいっぱいだった。

 誰にも相談は出来なかった。断るよう言われるに決まってる。


 考えれば考えるほど、行きたくはなかった。それでも、行くべきだという気がする。それがどういう使命感なのか、自分でも分からなかった。だけど、それが次第に強くなっている。


 そのことが何よりも恐ろしい。

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