「シャル! おい、シャル! 起きろ」


 シャルはギルの声を聞いて我に返った。

 そして、自分が地面に横たわっていたことに気が付いた。どうやら爆発の衝撃で倒れ、ほんの少し間だが気を失っていたらしい。

 キーンとする耳鳴りが収まり、顔を上げた。すると、ちょうど目の前には灰色の牙が付いた巨大な口があった。歯の隙間にはさっきまで兵士の一部だった肉片や血が大量にこびりつき、腐臭とピリピリとする毒の臭いがした。その死の臭いに当てられたシャルは驚きのあまり体を硬直させ、何もできなかった。


 次の瞬間、怪物の頭が回転して落ち、その頭は自らの毒で溶けて消えた。残った蔓のような部分はのたうち回って後退すると、地面に穴を掘って逃げ出した。


「大丈夫か⁉」

 ギルが近寄ってきて、シャルに手を差し出した。

 ギルの片方の手には剣が握られ、先ほどの怪物の樹液であろう暗緑色の液体が流れ落ちていた。


「あ、ありがとう。ごめん、動けなかった」

 シャルは立ち上がり、服の埃を払った。そして今更ながら剣を抜いた。


「いいさ。そんなことより、いったいどうなってるんだ? わけが分からない」

「きっと、橋はとっくに乗っ取られてたんだ。あいつらが味方のふりをして潜伏してたんだと思う」

「クソッ。何て奴らだ」

 ギルは悪態をついて近くに転がっていた怪物の頭を蹴飛ばした。


 シャルは父親の安否が気になって塔を見上げたが、緑色の硝煙に阻まれてよく見えなかった。ただ、揺らめく影の中で何人かが争っているように見えなくもなかった。


「ギル。橋を渡ってフレインズの方へ戻ろう。ここは危険だ」

「けど、このままじゃ終われないだろ。橋を取り返さないと」

「無理だ。僕らはまんまと罠にはめられたんだよ。もうこうなったら取り返しがつかない。いくら作戦を立てようと、全部が後手に回る。そうなったらもう……」

「だからって諦めるわけにはいかないだろ。希望が失われちまう……。だったら、今すぐあの橋に登って、上にいる奴らを殺そう。そうすれば味方を橋の上に上げて、それで振り出しに戻せばいい。そうなればあいつらだって易々とここを通り抜けられないはずだ」


 シャルはギルの提案が最善手だと思った。


 丘と橋の上を取られている限り、こちらの戦力が一方的に削られていく。だからこそ、橋の要塞を取り返したい。ただ、敵もそのことは承知しているから、罠が張られている可能性が高い。

 そもそも塔には階段のようなものはなくて、上から梯子を下ろしてもらわなければ登ることができない。もし敵に占拠されているのなら、登ることなど到底できない。


 本当は今すぐにでも行きたい。父親やリックのことが気がかりだった。それはギルも同じなのだろう。橋が奪われていたという話を聞いてから、いつもの溌溂とした表情に陰りが見え始めている。


「やめた方がいい。死ぬことになる」

「それでも誰かがやらないと。もっと最悪なことになるだろ」

「それはそうだけど。でも」

「でもなんだよ。お前が行かなくても俺は行くぞ」

 ギルは剣を振って樹液を飛ばすと、橋の方へ駆けだそうとする。

 シャルは腕を掴んで止めた。


「駄目だ。絶対に死ぬことになる」

「離せ、シャル。今行けばリックもお前の父ちゃんも助けられるかもしれねえ。お前は助かって欲しくないのか⁉」

 ギルは怒鳴った。


「助かって欲しいに決まってるだろ‼ 死んで欲しくないに、決まってるだろ……」

 シャルは怒鳴り返して、唇を噛んだ。


「離してくれシャル」

「だめだ」

「だったら力ずくで──」

「気をつけろ‼ 何か転がってくるぞ」

 兵士の一人が声を上げた。

 シャルとギルが丘の方を見ると、横陣を敷いていた敵兵たちが、中央から左右に二手に分かれ、丘の麓に移動していた。そして、二メートルはある円筒状のタンクのようなものがいくつか転がってくるところだった。


「まずいな……、あいつの中に何が入ってるか……!」

 シャルが愕然とした思いでいると、ギルがその隙をついて手を振り切った。そして、橋の方へ駆けて行ってしまった。


「ギル! だめだ! 戻ってこい。くそっ」

 シャルもギルを追って行こうとしたとき、誰かに肩を掴まれた。振り返るとそこにはアレッサがいた。そして、その後ろにユーグとミラもいた。


「よかった。皆も無事だったんだね。あ、ミラ、腕を」

 ミラの腕には青い棘が刺さり、大きく赤く腫れていた。


「だいじょうぶ。こいつはそこまで毒性は強くないから。ただ無理やり抜こうとすると肉を抉るから、それだけ気を付けて置けば問題はない」

「そう……。ならよかった」

 シャルはほっと胸を撫でおろし、すぐにこんなことをしている場合じゃないことを思い出した。


「ギルを追いかけないと」

 シャルは走り出し、後ろから三人も着いて行く。


「あのバカはどこに行ったんだ?」

「橋だよ。奪われた橋を取り返すって」

「そんな! 絶対だめよ」

 アレッサが叫び声に近い声で言った。


「そう、だから止めに行く」

「うん、すぐにそうしよう。それにちょうど私たちも橋まで戻った方がいいって話してたところなの」

「でもよ。何の指示もないのに勝手に持ち場を離れていいもんなのかな?」

 ユーグが聞いた。


「きっともうすぐ撤退の指示が出るはずだ。ジョルジュ大公は切れ者で有名だから」


 ──プァーッ‼


 戦場に笛の音が鳴り響いた。


「ほらね。撤退の合図だ。急ごう。人が集まったらギルを止められなくなる」


 シャルたち四人はさらにスピードをあげて大混乱の戦場を駆け抜けた。

 その間、幾度となく大小様々な棘が頬をかすめ、蔓に足を取られた。さらには潰されたり、切り刻まれたり、溶けたりしている凄惨な死体の上を通らなくてはならなった。後方では大爆発が起こり、立ち上る煙の中に新たな怪物たちの蠢く影も見えた。


 やっとの思いで橋の塔までたどり着くと、わずか数人の兵士が塔の入り口に固まっていた。それがただ単にまだ人が集まっていないだけなのか、それともほとんどが殺されてしまったのかはシャルたちには分からなかった。

 その兵士たちの元に向かうと、五人の兵士たちは外壁に身を潜め、緊張した面持ちで塔の天井を見上げていた。


「どうしたんですか?」

 ユーグが真っ先に尋ねた。

 すると、兵士の一人が塔の床を指さした。そこにはうつ伏せになって、首元を矢で撃ち抜かれた兵士の死体があった。その死体の首には手のひらサイズの水風船のような膨らみができていて、中には真っ黒な膿が溜まっている。


「あいつらが上から狙ってるんだ。ただの矢なら何とかなるんだが、そうもいかなそうだ」

 兵士の男が今度は天井を指さし、シャルたちは恐る恐る顔を覗かせた。

 そこには、天井の、上階へ上がるための唯一の出入り口である穴から、狙いをすませている二人の兵士の姿があった。兵士たちは兜はしていなかったが、ファーラル兵の鎧を身に纏っていた。


「どうしようか……」

 シャルは塔から少し離れ、腕組みをして考え始めた。


 一気に大勢が通れば、わずかな被害で済むかもしれない。もしくは矢をつがえている間に通り抜ければいい。それでも、誰かは確実に死ぬことになる。いや、今更そんなこと言っても仕方がないか。でも、あの毒。見たことがないけれど、他にも武器を用意していると考えた方がよさそうだ。大勢で通ればそれ相応の武器に変えてくるはずだ。何か盾のようなものがあれば、完全じゃなくても被害が抑えられるはず。でも盾を取りに行くにはまた戦場に戻らなければならない。取りに行くべきか、それとも誰かが持ってくるまで待つべきか。


 そのときふと、塔の中に横たわる死体に目がいった。その死体の首元にある黒い腫れものがさらに膨張していた。どうやら膿から噴き出したガスによって上側の皮膚が引き延ばされているようだった。シャルはそれを食い入るように見つめると、ある一つの作戦を思いついた。


「そう言えばギルの奴がいないな」

 ユーグが辺りをきょろきょろと探しながら言った。


「すいません、ギルバートのやつを見ませんでしかたか? 黒髪でボサボサのうるさいバカなんですけど」

 ユーグが先に来ていた兵士たちに尋ねた。


「いいや、誰も見てないね。私たちもついさっき来たところだから」

「そうですか……。あのバカ、道にでも迷ってんのか。イタッ」

 突然ユーグが頭をガクンと下げて、兜を手で押さえた。


「どうしたの?」

 アレッサが聞くと、ユーグは上を見上げる。


「いや、何かが当たったんだけど。あっ」

「ん? 何かあったの?」

「いた」

 ユーグはゆっくりと塔のすぐ上の壁を指さした。


 そこには一階と二階にある僅かな隙間に足を入れ込み、二階の窓に手をかけ、しゃがんでいるギルがいた。

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