第13話 侵略者と救世主

 アラタとマリッサが乗るR75サイドカーは燃料を使い切り途中で乗り捨てた。

 追跡を逃れるために樹海前の林道の中に隠した。

 「シュワルツ少尉には通用しないだろうな」

 「シュワルツ?」

 「ああ、隊の内務調査官、言えば警察官だ」

 「優秀なのね」

 「ああ、あの嗅覚は異常だと思えるほどにな、悪い人ではないのだが変人だ」

 「ここまで来ると思う?」

 「どうだろう、正直分からない、なにか彼の興味を引く物があったとすれば必ず来るだろう」

 「でも・・・」

 アラタは登ってきた林道を振り返り考えた。

 「でも、見つかっても問答無用で撃ってはこない、そういう人だ」


 ムトゥスは二歳、人間であれば歩くことはもちろん、多少なりとも言葉を話したりもするころだ。

 しかし、冥界の落とし子は、今だに赤ん坊のまま、発育が遅い。

 食事をほとんど摂らない、寝てばかりいる。


 「本当に大丈夫なのか?」

 たまに目覚めるとニコニコと機嫌よく手足をバタつかせる、小さな手でアラタの指を掴む、思いのほか力が強くて驚く。

 「魔族の中にも発育が遅い種族はいるわ、この子は特別な子、我々とは根本的に違うのよ」

 マリッサはムトゥスを抱いたまま離さない、途中で交代しようと言っても決して譲らない。


 「ずいぶん登ってきた、魔城はもう見えないな」

 林道の脇を流れる沢で喉を潤す、マリッサが赤石の破片を集めて火を起こした。

 山菜を集めて湯掻く、魚でも捕ろうかと思ったが沢は水深があり諦めた、釣り道具が必要だ。

 マリッサの食事のためのお椀やスプーンを使うのが辛そうだ、ムトゥスをずっと抱えているせいだ。


 アラタは上半身の服を脱いでいく。

 「ちょっと、何始める気なの?」

 マリッサが少し慌てた様子で顔を赤らめた。

 「まあ、見てな」

 Tシャツまで脱いで裸になると、上体前側の筋肉はさほど目立たないが、背中の筋肉が異様なほど隆起している。

 腰からナイフを取り出しTシャツを前後に割いて、端を捩じり、更にひも状に割いた布を括りつける。

 「出来た、これで少しは楽になるぞ」

 即席のダッコ紐が出来上がった。

 足場も悪く、最悪戦闘になれば前抱きは危険だ、背中にムトゥスを背負う形で紐の長さを調整する。

 「良し、どうだ、きつく無いか?」

 「うん、いい感じだ、ありがとう」

 まだ少女の匂いを残したマリッサがムトゥスを抱く姿は母子ではなく年の離れた姉妹のようだ。

 「上手ね、経験あるの?」

 「いや、子供はいなかった、妻と将来子供を持てたらなんて練習したんだ、ママ事みたいなものさ」

 「奥さんは?」

 「こっちに来る前に亡くなっているよ、やっぱり戦争でな」

 「どこの世界でも戦争なんだね」

 「人間は愚かだ」

 「魔族も同じ・・・」


 アラタのTシャツから作った抱っこ紐からは、懐かしい父親の土の匂いがした。

 なぜだろう、少し安心する。

 あれから過呼吸の発作は発症していない、まだ暗い夜には悪夢に襲われてしまうことがある、そんな時はいつもアラタが手を握り抱いていてくれた。

 侵略者、異世界人の一人、あんなにも憎かった相手のはずが、今最も頼れる味方になっている。

 その優しい眼差しが嘘ではない確信がある。

 信じていいとマリッサの本能が許していた、この先逃げ切れるのか、逃げた先に何が待っているのか知れない。

 もし一人だったらイーヴァン様をなくした時、一緒に自害していたかもしれない。

 アラタが居れば挫けない気がした、冥界の魔神は侵略者と救世主を同時に転移させたのだ。


 「アラタ、これからどうする?」

 一緒に行ってほしいとは聞けなかった、ここで別れようと言われるのが怖い。

 「そうだな、樹海を抜けるのには何日位かかると思う?」

 「そうね、一週間は必要かも知れない」

 「山賊の類や、魔獣はどうだ」

 「魔族軍の離反者が相当数隠れていると思う、それに魔獣は大小肉食獣が多数いるわ」

 「あーっ、容易い場所じゃないのは分かった」

 片手で頭を掻きながら難しい顔で木々の間にそびえるサガル神山の見えない頂きを見上げる。


 「天界の迷宮か、いったい何メートルあるんだ」

 「さあ、分からないわ、頂上の景色を見た人はいないもの」

 「あそこに比べれば冥界神殿はすぐそこだ」

 「ふふっ、そうだね」

 「まずは、イーヴァンとシンが暮らしたという洞窟を目指そう、いくか相棒!」

 「!」

 「もちろんよっ」

 二人は掌を打ち合った、ぱんっと小気味いい音が響く。


 「出発だ!」

 

 二人は険しくなる前の林道を歩き出した、高い段差を乗り越える度、アラタの左手をマリッサの右手が握る。

 

 木漏れ日が降る道は戦争など嘘のように安らぎに満ちていた。

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