6章 燿の悩み

第33話 ゼミの発表

 実はこんな俺でも悩みがある。

 ルナのことだと思っただろうが、大学のゼミのことだ。


 ゼミの研究自体は順調そのもの。

 段取り良く進んでいて、資料も完成間近。

 内容だって自分で言うのも何だが、悪くない出来だ。

 けれど、一週間後に控えた発表を考えると、どうにも気が重い。


(発表……人前で喋るの、やっぱり苦手だな……)


 自分でも分かっている。問題は、内容じゃなくて俺自身だ。


 前回のゼミ発表の失敗が、頭をよぎる。

 緊張で声が震え、呂律が回らなくなり、言葉が途切れ途切れに。スライドをめくるタイミングも間違え、しまいには内容を飛ばしてしまった。

 講師や仲間にフォローされながら何とか乗り切ったものの、あれは正直トラウマ級の恥ずかしさだった。


「また、同じことを繰り返すんじゃないか……?」


 そんな不安が胸の中を占めていく。

 ゼミ室の一角で、資料を眺めながら溜め息をついていると、陽気な声が頭上から降ってきた。


「よー、燿! ゼミ発表の準備はどうだよ?」


 声の主は蒼汰。

 こいつは俺と同じゼミに所属しているが、俺とは対照的に何事にも余裕を持って臨むタイプだ。発表の準備だって、早々に終わらせてしまったらしい。


「ぼちぼちだな」


 俺は資料を片手に曖昧な返事を返す。

 だが、蒼汰はそんな言葉では誤魔化されない。


「お前、悩んでるだろ?」


 そう言いながら、奴は俺の隣に座り込んできた。


「……悩みって何だよ。」

「いやいや、俺には分かるんだよなぁ~。だって前回の発表、盛大に噛みまくってたもんな!」

「ぎくっ……」


 蒼汰はニヤニヤと笑いながら、容赦なく過去の失敗を掘り返してきた。


「おい、それ以上は——」


 思わず声を張り上げるが、奴は動じるどころか調子に乗ってさらに追い打ちをかけてくる。


「緊張しすぎて声が裏返ってたし、途中で内容忘れて固まるし、挙げ句の果てには『以上です』って何も言わないまま終わったもんな~」

「グサグサッ!?」


 その事実に打ちのめされた俺は、膝まづいた。


「……それ以上は……何も言うな」

「ははっ、お前は霧隠れの里のシノビか?」


 某忍者漫画のセリフを吐き、俺は深く溜め息をつきながら、資料を机に投げ出した。

 もう嫌だなんも考えたくないと文句を言うと、蒼汰は大笑いしながら俺の肩を叩く。


「そんなに気にしてたのかよ! お前、意外と繊細だな!」


 その様子を見ていると、なんだか自分が情けなくなってくる。


「で、次の発表もその調子で行くつもりか?」

「い、行けるわけないだろ。どうにかする方法を考えてる。」

「へぇ~真面目じゃん。じゃあ相談してみるか?」


 蒼汰はスマホを取り出しながら言う。


「誰にだよ」

「ユメちゃんだよ。あの子なら、何かアドバイスくれるんじゃね?」


 確かにユメは同じゼミに所属しているし、気軽に話せる相手だ。

 ただ、特別話し上手というわけでもなく、俺に近いタイプだ。


 だけど、何も解決策のない今、頼るものは一つでも多いと良い。

 俺は少し考えた後、ユメに連絡してもらうことにした。


『あーもしもし、ユメちゃん今日なにしてんのー?』


 飄々とした態度で電話を掛ける蒼汰。

 女慣れした雰囲気はまるでチャラ男のようだが、本人はいつもそれを否定するのだ。


『あはは、今日はちょっと色々ね』


 どこか歯切れの悪い返事だが、蒼汰は踏み込んでくる。


『もし今大学ならさ~燿の悩み聞いてやってくれよ』

『えっ、燿くんの……!?』


 ユメちゃんは驚き、急に蒼汰と話している時よりも声が高くなる。

 悩み事って言ったから重たい話と勘違いしたんだろうなぁ。


『いや、ただの世間話で聞いてほしいことがあったんだ』


 俺の言葉に、スマホ越しのユメちゃんが「そうなんだ……」と少し残念そうに答える。

 その声が妙に切なげで、少しだけ罪悪感を覚えた。


『ごめんね、燿くん。今すぐ行ってあげたいけど、私、VTuber始めたばかりで忙しくて……』

「えっ、VTuber?」


 横で画面を覗いていた蒼汰が驚愕の声を上げる。


『お前、VTuber始めたのかよ!? なんで教えてくれなかったんだよ?』


 蒼汰がぐいっと画面に顔を近づける。

 その様子を見て、ユメちゃんは少し照れくさそうに笑った。


『言うタイミングがなくて……でも、配信とかでちょっとずつ慣れてきたよ!』

「すげぇな、ユメちゃん。お前のゼミ仲間、みんな隠し玉持ってんなぁ!」


 蒼汰は感心したように頷きながら、スマホ越しのユメちゃんを見つめる。

 そんな彼の言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。

 確かに、ユメちゃんがVTuberデビューしていたなんて、驚きだろう。


「で、燿、お前相談してみろよ。その発表のことさ」


 蒼汰の提案に、俺は少し身を引く。

 画面の向こうでユメちゃんが興味津々な顔を浮かべているのが分かった。


『発表?』

「いや、ユメちゃんも忙しいみたいだし……」


 と、俺はさりげなく話を逸らそうとしたが、ユメちゃんの直感は鋭かった。


『あー、もしかして燿くん、発表が苦手で私にアドバイスを?』

「ぎくっ……なぜそれを……」

『ふふ、燿くんを頼られるのは嬉しいなぁ~♪』


 ユメちゃんの柔らかい声が心に染みるが、それでも彼女の言葉の先に続いたのは思わぬ告白だった。


『でもね、燿くんも知っての通り、私もそんなに話すの得意じゃないんだよね……』

「え、配信のコツとかあるんじゃねーの?」


 蒼汰が食い下がると、ユメちゃんは少し困ったように笑いながら言った。


『うーん……慣れ、かなぁ?』


 ユメちゃんは感覚派のようだ。

 その曖昧な答えに、俺は思わずため息をつく。

 結局、根本的な解決にはならない。


『あ、ごめんっ! そろそろ時間がきちゃうから……また相談に乗ってあげるねっ♪』


 通話がプツリと切れたあと、俺はスマホを見つめながら頭を抱える。


「はぁ、どうするかなぁ……」


 そう考え込んでいると、隣で蒼汰が肩をすくめてニヤニヤしていた。


「ていうかさ、もっと適任がいるじゃん。お前、配信一緒にやってただろ?」

「……え、ルナ?」


 その名前を口にした瞬間、蒼汰は勢いよく頷いた。


「そう! あの話術の天才に聞けば、絶対に役に立つぞ!?」

「でも、配信とゼミの発表は全然違うだろ……」


 俺が渋ると、蒼汰は顔を近づけて説得を続ける。


「まぁ、そうだけどさ。話し方のコツとか、緊張しない方法とかは教えてくれるんじゃないか? ダメ元で頼んでみろよ!」


 蒼汰の提案は一理あった。

 確かに、ルナの話術は他に類を見ないほど見事なものだ。

 視聴者を引き込む力は抜群で、場を盛り上げる技術は俺が見ても感心するほどである。


「……分かった。試しに相談してみる」


 俺は心の中で小さく息を吐き、ルナに連絡する決意を固めた。

 おそらく、彼女に振り回される未来が待っているだろうが、今は背に腹は代えられない。


 …………


 ……


 というわけで、ルナと連絡を取ることにしたのだ。


「……え、一体なんなの?」

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