第30話 買い物
俺たちは夕暮れの道を並んで歩き始めた。
オレンジ色の空が広がり、少し冷たい風が頬を撫でる。
ルナは時折小さな声で歌を口ずさみながら歩いていて、俺はその横顔をちらりと見た。
その横顔は、配信で見せるあの堂々としたルナの表情とは違い、どこかリラックスしているようにも見えた。
彼女のそういう表情を目にするのは初めてで、妙に新鮮だった。
「家庭的な料理って言ったけど、あれで本当にそれで良かったのか?」
俺は、ふと疑問を口にする。
「だって、あんまり難しいもの頼んだら、燿が怒りそうだし」
ルナは悪びれる様子もなく言う。その言葉に、俺は小さく笑った。
「怒らねぇよ。まぁ、あんまり手間かかるのは面倒だけどな」
「魚なんて焼くだけだもんね~?」
「おっとそれは料理人を怒らせるぞ。知ってるか、うろこや内臓を取る下処理の必要な魚だってあるんだぞ?」
「料理なんかしないから知らないわよ」
もしかしてお嬢様なのだろうか。
俺は不思議に思って尋ねてみた。
「まず魚って知ってるか?」
「は? 私を何だと思ってるの?」
急にルナから叩かれた、痛い。
そんな軽口を叩きながら歩く時間は、妙に穏やかだった。
夕暮れ時の空気がそう感じさせるのか、ルナと歩くこの空間に不思議な心地よさが漂っていた。
風が冷たくて、俺はなんとなくポケットに手を突っ込んだ。
隣を歩くルナは、少し鼻を赤くして、寒そうに肩をすくめている。
「寒いなら手袋くらいすればいいのに」
俺がそう言うと、ルナはそっぽを向いたまま「持ってないもん」と呟いた。
その言葉に少し呆れつつも、俺は苦笑いを浮かべた。
「そっか、だったらポケットに手を突っ込んだら?」
「ポケットかぁ……それもいいけど、もっといい方法があるよ」
ルナはそう言いながら、急に俺の手を掴んだ。
その冷たい手が触れた瞬間、思わず肩がビクリと動いた。
「あったかーい♡」
「なにすんだよ、冷たいだろ」
俺が少し声を荒げると、ルナは無邪気に笑う。
「人の体温で暖を取りたいのよ♪」
「まるで人の金で焼き肉を食べたい、のニュアンスだな」
だけど、少しばかり気恥ずかしさを覚えていると、ルナが言った。
「えー何意識してるの? そういや、配信の時も私が近づいたら顔赤くしてたよねぇ?」
「してねぇし」
「絶対してたもん。意外と顔に出やすいよね、燿って」
ルナが楽しそうにからかうその様子に、俺はなんとも言えない感情を覚えた。
不快ではない。でも、心の奥がざわつくような、妙な気分だ。
「ふふ、燿って面白いわね」
ルナはそのまま無言で前を歩き始める。
俺は彼女の後ろ姿を見つめながら、なんだかいつもより素直じゃない気がしたが、あえて追及はしなかった。
—————————————————————
しばらく歩くとスーパーが見えてきた。
店内は夕飯の買い物をする人々で賑わい、どこか活気がある。
ルナは入り口で立ち止まり、小さな声で言った。
「こういうところって、あんまり来ないんだよね」
「は? どうやって食材買ってるんだよ」
「デリバリーとか、たまにコンビニと怜ちゃん」
「怜ちゃん……」
少しばかり彼女が不憫に思えて、俺は思わずため息をついた。
「それで家庭的な料理が食べたいって言ったのかよ……。じゃあ、今日は俺が教えてやるよ」
「教えるって……ただ買い物するだけでしょ?」
「いや、何をどう買うかが大事なんだよ。」
ルナがきょとんとした顔をする中、俺はカゴを手に取り、歩き出した。
鮮魚コーナーでの迷い
まず向かったのは鮮魚コーナーだ。
焼き魚にするための魚を選ぶ必要がある。
俺がサバの切り身を手に取ると、ルナが横から覗き込んできた。
「これにするの?」
「そうだな。焼き魚ならサバが定番だし、簡単だ」
「でも、これよりこっちの方が美味しそうじゃない?」
ルナが指差したのは、脂が乗っていそうなブリの切り身だった。
確かに良い選択だが、値段が少し高い。
「ブリもいいけど、旬じゃないからちょっと高いぞ。サバなら手軽だし」
「うーん……でも、どうせお金出すの私だし。燿はイヤ?」
ルナの一言に、俺は少し考え込む。
まぁ、今日は特別だ。たまには贅沢してもいいかもしれない。
「分かった。じゃあブリにしよう」
「やった♡」
嬉しそうに笑うルナを見て、俺もつい笑みがこぼれる。
「燿って意外と優しいんだねー?」
「優しいとかじゃなくて、どうせお前が納得しないと思ったからだ」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる」
その軽口に思わず苦笑しながら、俺たちは次に味噌汁の具材を探しに野菜コーナーへと向かった。
味噌汁の具材を選ぶために、豆腐やネギをカゴに入れる。
すると、ルナが大根を手に取り、こちらを見た。
「これも入れようよ」
「大根? まぁ、味噌汁には合うけど、結構手間だぞ」
俺はわかめと豆腐だけでいいかと思ってたのだが、ルナにはこだわりがある様子。
「いいの。私も何か手伝うから」
その言葉に少し驚きつつ、俺は大根をカゴに入れた。
「じゃあ、皮むきくらいは手伝ってもらうぞ」
「えー、皮むきって難しい?」
「包丁じゃなくてピーラー使えば簡単だ」
「じゃあやる!」
ルナの意気込みに、俺は少し安心した。
少しずつでも料理に興味を持ってくれるのは悪くない。
そして、調味料コーナーでは、味噌を選ぶ必要があった。
白味噌にするか、赤味噌にするかで迷う。
俺が赤味噌を手に取ると、ルナが白味噌を指差して言った。
「こっちの方が美味しそうじゃない?」
「いや、赤味噌の方が風味が強くて俺は好きだな」
「そうなの? 白味噌の方が優しい味じゃない?」
個人的に、せっかく出してくれたルナの意見を譲歩したかった。
「どっちも一理あるけど……。じゃあ中間取って合わせ味噌にするか」
俺が合わせ味噌をカゴに入れると、ルナは少し納得したように頷いた。
「なるほど、そういうやり方があるんだ」
「まぁ、色々教えてってやるよ」
そうして、買い物を終えてレジに並ぶと、ルナが財布を取り出そうとする。
だが、俺は先に会計を済ませようとする。
「いいよ、今日は俺が払う」
「え、でも……」
俺が学生だから気を遣っているのかもしれない。
だから、ルナは意地でもお金を出そうとするのだが、俺には考えがあった。
「お前がもう一度俺の料理が食べたいって言ったんだろ? だったらこれは俺のこだわりだ」
少し驚いた表情を見せたルナだったが、やがて素直に頷いた。
「ありがとう、燿。」
その一言に、なんだか少しだけ嬉しくなる。
買い物を終えた俺たちは、スーパーの袋を手に夕暮れの道を歩く。
オレンジ色の夕陽が街を照らし、どこか心地よい雰囲気だ。
ルナはスーパーの袋を持ちながら、ぽつりと呟いた。
「なんか、こういうのいいね。」
「こういうのって?」
「一緒に買い物して、ご飯作るって……。なんか普通っぽい感じ」
まぁ、確かに買い物しながらお互いの考えを共有するのは悪くない。
ルナはこだわりが強いのか、自分の意見を持ち合わせているので会話が楽しかったように思える。
「普通ってお前、普段どんな生活してんだよ。」
「普通は普通よ。でも、こういうのは新鮮ってだけ」
ルナの言葉に、俺は少しだけ考え込む。
確かに、こうして何でもないことを一緒にするのは、悪くないと思えた。
「まぁ、たまにはこういうのもいいかもな。」
ルナが小さく笑う。
その横顔を見ながら、俺は家路を急いだ。
今日の夕飯は、きっと特別なものになるだろう。
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