第28話 謝罪配信

 ——配信まで後少し。


 カウントダウンタイマーが、あと3分を切ったところで止まる。

 ルナの部屋に設置されたモニターには、待機中の配信画面が映し出されていた。

 画面越しに視聴者のコメントが次々と流れていく。


『今日の謝罪って何!?』

『またルナちゃんなんかやらかしたの?』

『旦那も来るって聞いたけど?』

『新キャラ登場フラグ!?』


 俺はそのコメントの一つ一つに目を通しながら、息が詰まる思いをしていた。

 そもそも、俺が表舞台に立つなんて柄じゃない。普段はユメちゃんや蒼汰みたいに、目立つことなく普通に大学生活を送っているだけなのに——。


「はぁ……これ、本当に俺が出る必要あるのか?」


 思わずぼやいた俺の言葉に、ルナはちらりとこちらを見た。

 彼女はすでに配信準備を終え、カメラの位置を最終確認している最中だった。


「当たり前でしょ。あんたが出なかったら、視聴者から『旦那は何やってるんだ』って突っ込まれるだけよ」

「いや、それなら俺は裏方で——」

「無理無理。今回はあんたも一緒に謝罪するのが大事なの」


 俺の抗議をさらりとかわし、彼女は軽快に手を動かしてモニターの配置を微調整する。

 その横顔はどこか楽しそうで、俺がこんなにも緊張しているのが馬鹿みたいに思えてくる。


 俺は深くため息をついて、椅子に沈み込んだ。


「本当にこれでいいのか……?」


 自分の手のひらを見ると、微かに汗ばんでいる。

 配信中、視聴者のコメントを見ながらルナの隣に立って喋るのは、どう考えても荷が重い。

 彼女を邪魔してしまったらどうしよう。下手なことを言って、余計に炎上させたら……。


「何緊張してるのよ?」


 いつの間にか隣に来ていたルナが、俺の顔を覗き込んできた。

 その瞳には、いつもの鋭さがない。


「そりゃそうだろ、前と違って暗い内容だし、コメント見てるのが怖いぞ」

「ふふ、慣れてないの可愛いわね」


 そのふとした仕草にドキッとする。


「からかうなよ……俺はお前の足を引っ張りたくないだけだ」

「そんなこと、あんたが気にすることじゃないわよ」


 ルナはそう言って、軽く俺の肩を叩いた。


「大丈夫。アンタが何か失敗しても、私が全部フォローしてあげるから」


 それは、ただの慰めの言葉だったのかもしれない。

 けれど、いつもキツいことばかり言うルナが、こんなふうに優しい言葉をかけてくれるのは意外だった。


「……そうか?」


 気の抜けた返事をした俺に、ルナはニヤリと笑って、さらに一言。


「それに、どうせ炎上してるんだから、もう怖いものなんてないでしょ?」

「お前、そんな楽観的でいいのかよ」

「楽観的じゃなくて、経験値の差よ」


 そう言い切る彼女の言葉に、ほんの少しだけ救われた気がした。

 いつもは強気で冷徹なルナだけど、こうして隣に立つと不思議と心強い。




「配信開始まであと1分ね。」


 ルナが最後にカメラの位置を調整し、準備が整ったことを告げる。

 俺も意を決して隣に立ち、画面の向こうの視聴者たちに目を向けた。


「よし、始めるわよ。アンタもちゃんと挨拶するのよ。」

「ああ……分かった。」


 覚悟を決めた俺は深く息を吸い込んだ。

 目の前のカウントダウンがゼロを迎え、ルナが口を開いた瞬間——


「みんなーっ! 月夜ルナの謝罪会見にようこそー♪」


 俺たちの、予測不可能な配信が幕を開けた。

 コメント欄が一気に動き出し、視聴者たちが待ち構えていた様子が手に取るように分かる。


『ルナちゃんきたー!』

『謝罪配信って何!?』

『旦那が三角関係ってマジ?』

『新しい展開キターーーー!!』


 動画説明欄に謝罪の内容——夢野かなえが晒した音声について言及するような話と書かれており、釣られた視聴者がたくさん集まっていた。


「みなさ~ん、こんばんは! 月夜ルナです♪」


 いつもの尖ったキャラはどこへやら。

 ルナが明るく挨拶をすると、コメント欄がさらに賑やかになる。

 その隣で、俺はやや固まったまま、何をすればいいのか分からず座っていた。


「……今日は皆さんにお詫びしなくちゃいけないことがあって、この場を設けました」


 ルナの真剣そうな口調に、コメント欄も一瞬静かになる。

 だが、次の瞬間、彼女が放った言葉に俺は椅子からずり落ちそうになった。


「実は、うちの旦那が三角関係を持っちゃいまして……」


『えぇ!?』

『旦那なにやってんのwww』

『やっぱり修羅場だったのか!』


 コメントが再び爆発する。

 俺は指摘せざるを得なかった。


「ちょっと待て、俺が三角関係って言い方やめろよ!」

「だって事実じゃない?」

「事実じゃねえだろ! 誤解だって言ってんだろ!?」


 そのやり取りにコメント欄は


『旦那の声まんまで草』

『おいおい結婚早々やらかしたねぇww』

『絶対に許さない……』


 どこか怨念のこもったコメントが流れてきて少々ヒヤッとしてしまう。


「まぁまぁ、黙ってて。今は私が喋ってるんだから」


 ルナは俺を軽く手で制し、視聴者に向けて続ける。


「……私がちゃんと旦那を管理していなかったのも悪いんです」


 その言葉にコメント欄がさらに盛り上がる。


『ルナちゃんは悪くないぞ!!』

『旦那管理www』

『ルナちゃん可愛すぎるwww』

『旦那の言い訳聞きたい!』


「おいおい、俺の意見も聞いてくれよ……」


 思わず呟くが、ルナは完全に配信の主導権を握っていた。


「でもね、皆さん、旦那にも責任があるけど、私も反省しなくちゃいけないんです」


 その真面目な口調に、コメント欄も一瞬だけ静まり返る。

 だが、次に彼女が放った一言で、再び大爆笑の嵐が巻き起こる。


「だって、ちゃんと飼い主として旦那を躾けられてなかったんだもの……」


『飼い主www』

『旦那犬説www』

『これぞ神配信w』


「飼い主って言うな!?」


 俺が思わず声を張り上げると、ルナは楽しそうに笑った。

 その笑顔に怒りもどこかで吹き飛び、ただ疲れたようにため息をつく。


「じゃあ旦那さんにも一言、謝罪をしてもらいましょう~♡」

「は?」


 俺が抗議する暇もなく、ルナの操作で俺を模したアバターが画面に登場する。

 それは俺が動くのに合わせて細かく動き、視聴者の注目を集めるようにデザインされていた。


「さぁ旦那様♡ どうして私という者がありながら三角関係に至ってしまったの?♡」


 ……なんだこの状況!?


 ルナはキャラクターを完全に作り上げた状態で、俺にぐいぐいと詰め寄ってきた。

 配信のキャラとは分かっていても、その距離感の近さに思わずたじろぐ。


「おい……近い、近いって!」


 俺が後ずさりする間にも、ルナはさらに一歩詰め寄る。

 モニター越しとはいえ、彼女の体温や柔らかな気配を感じてしまい、冷静さが完全に奪われていく。


「旦那様~♡ ちゃんと視聴者の皆さんにお話ししなきゃダメですよぉ?」


 ルナが手を軽く伸ばす仕草をすると、それに連動して俺のアバターも動く。

 その姿がまた視聴者たちの笑いを誘い、コメント欄はさらに賑やかになる。


『旦那の表情www』

『完全に追い詰められてる犬w』

『もう無理だろこれwww』


「いや、その……えっと……」


 言葉を探そうとするものの、目の前のルナの匂いや雰囲気が頭にまとわりついて、まともに考えられない。

 なんだこれ、普通に喋ればいいだけなのに……!


「どうしたの? 私の隣だと緊張しちゃう?♡」


 ルナがニヤリと笑う。

 いつもは憎たらしいその顔が、今日は妙に眩しく見えるのがさらに腹立たしい。


「そ、そんなわけあるか!」


 強がってみせるものの、声が若干裏返ったのを自分でも分かってしまう。

 その瞬間、ルナは声をあげて笑い出し、さらにコメント欄が沸き上がった。


『旦那純情すぎるwww』

『これリアルなら悶絶もんだなw』

『ルナちゃん攻めるねぇw』


「……えっと、その、まあ……」


 俺がしどろもどろになりながら口を開こうとした瞬間、ルナがそっと囁いた。


「大丈夫よ。あんたが何を言ったって、私がフォローしてあげるから」


 その言葉に、俺はハッとした。

 普段のキツいルナとは違う、どこか優しい口調。

 その一言に背中を押されるような感覚があった。


「……わかったよ」


 気を取り直し、俺は視聴者に向けて話し始めた。


「俺が……俺が至らなかったせいで、色々と誤解を生んでしまいました。すみません」


 視聴者たちのコメントは相変わらず賑やかだが、どこか少しだけ温かい言葉も混ざっているように感じた。


『旦那いい奴じゃんw』

『まぁ、許してやるか』

『これでまた平和が戻るなw』


 そして、ルナが満足そうに頷きながらコメントを締めた。


「ね、ちゃんとできるじゃない」

「まぁ、な」


 その言葉を聞いたルナの横顔は、いつもと変わらない調子を装っていたが、どこか嬉しそうにも見えた。

 彼女の匂いや気配に惑わされながらも、俺は少しだけホッとした自分がいた。

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