第23話 燿視点で

 カフェの席についた瞬間から、俺はなんとなく嫌な予感を抱いていた。

 この予感はあまり外れたことがないのが、また嫌なところだ。


 ルナとユメちゃんを向かい合わせに座らせたこの配置。

 俺が一番隅っこの席を選んだのは、できるだけ二人の間に挟まれるのを避けるためだ。


 けど——これが正しい判断だったのかどうかは、もう分からない。


「改めて……今日はお時間いただいてありがとうございます!」


 ユメちゃんが元気よく頭を下げた瞬間、俺は思わず肩をすくめた。

 緊張でガチガチになりながらも丁寧に話しかけるユメちゃんに対し、ルナのそっけない「別に」という返事がカウンターのように返ってくる。


「どうせ暇だったし」


(おいおい、もう少し柔らかく言ってくれよ……)


 そんな俺の内心を知ってか知らずか、二人の間には微妙な空気が流れる。

 ユメちゃんは、さらに気まずそうに「ルナさんはお仕事されているじゃないですか」と言葉を足したけど、それもルナに軽くいなされる。


「好きな時にできるお仕事だけどね」


(い、嫌味すぎるだろ……!?)


 何をムキになっているんだ、初対面の相手にだぞ?

 もしかして、言葉の一つ一つが妙に刺々しく聞こえてしまうのは俺だけだろうか。

 隣で二人のやり取りを聞きながら、俺はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。


「で、話って何なの?」


 とうとうルナが核心に触れる言葉を投げかけた。

 その声には、軽い苛立ちが混じっている。

 俺はその言葉に少したじろぎながら、ユメちゃんに視線を向けた。


「あー、その……説明してくれる?」


 自分で説明するのが一番だと分かっている。

 けど、この空気の中で俺が何か言えばきっと火に油を注ぐだけだ。

 それに話したいと言い出したのはユメちゃんだしな。


 だからユメちゃん、君に任せた——けど、それが間違いだった。


「えっと……その……燿くんが無理してるんじゃないかなって思って……」


 ユメちゃんの声はおどおどしている。

 けれど、その内容はルナの耳に届くなり、見事に誤解を招いた。


「無理……?」


 ルナの眉がぴくりと動く。

 俺は心の中で「ヤバい」と呟いた。この表情は明らかに疑っている時のやつだ。


「あー、その……配信を見てて思う所があったみたいなんだ」

「ちょっと待って、それって私が原因ってこと?」


 ルナの声が一気に鋭さを増した。

 その場にいた全員が「ヤバい」と思っただろう。


「ち、違います! 本当にそういうことじゃなくて……!」

「じゃあ何なのよ!」


 いや、もしかしたらルナ本人だけは、まだ自分がどれだけ攻撃的か気づいていないかもしれない。


 二人の会話がどんどん噛み合わなくなっていくのが分かる。

 ルナはユメちゃんの言葉を完全に「結婚の話」と解釈しているし、ユメちゃんは「配信の話」をしたいだけだ。俺はなんとか間に入って修正しようと口を開いた。


「おい、二人とも、ちょっと落ち着いて——」


「「黙ってて!」」


 二人がハモった。俺はそこで完全に戦意を喪失する。

 仲裁に入ろうとした俺の努力は、一瞬で打ち砕かれた。


「燿くんは優しい男の子だから、頼まれたことはなんでもしちゃうし、断れない男の子だから、私が代わりに言いに来たんです!」

「それを私に言うってことは、私が燿を無理させてるって言いたいのね!」

「違います!」

「じゃあ何なのよ!」


 二人のやり取りが激しくなるたびに、俺の胸の中に冷や汗がじっとりと滲んでいく。

 周りの客がちらちらとこちらを見ているのが分かる。


(頼むから、これ以上声を上げないでくれ……!)


 もはや昼ドラで、まるで二人で俺を取り合っているようにしか見えない。

 だからといって、俺の言葉はもう二人には届かない……。


 カフェという静かな場所で、目の前の光景は完全に浮いていた。


「ちょっと言わせてもらうけどね!」


 ルナが身を乗り出し、テーブルに手をついた瞬間、俺は目をそらしたくなった。


「私は、燿を無理させてるつもりなんてないわよ!」


 彼女の瞳は切なそうだった。


「そりゃ……形だけの夫婦かもしれないけど。でも、私は彼のことを思って行動してるつもりなのよ」


 そして、どこか分かってほしそうな表情をしており、俺の心は揺さぶられた。


「少なくとも、彼が苦しむようなことはしてない。してないはず……なのに」


 その言葉に、俺は一瞬ドキリとした。

 彼女の声が少しだけ震えているのが分かったからだ。


「それを、外野から無理してるなんて言われる筋合いはないわ」


 ここまで俺の事を想ってくれているのか……と。

 真意は分からないけれど、今このタイミングで彼女の真意を問う勇気は俺にはなかった。


 すると、ユメちゃんは慌てて訂正しようとする。


「そ、そういうつもりじゃないです! 私はただ、燿くんが“配信で”無理をしてるんじゃないかって……!」

「——え?」


 ルナの口から出たその言葉を聞いて、俺はようやくこの混乱の原因を理解した。

 ユメちゃんはずっと配信の話をしていたのに、ルナは結婚生活の話だと思い込んでいたのだ。


(……あー、これ、俺が間に入るタイミングミスったやつだ)


 後悔しても遅い。

 俺はただ二人の間で溜息をつくことしかできなかった。


 周囲の視線がじわじわと増していくのを感じながら、俺はどうにかこの場を収めようと再び口を開いた。


「えっと……つまり、ユメちゃんは配信のことが心配で、それをルナに伝えたかったんだよな?」


 ユメちゃんは小さく頷き、ルナは腕を組んだまま難しい顔をしている。


「……まぁ、それなら分かったわ。でも、次はちゃんと最初に説明してほしいわね」

「はい……ごめんなさい」


 やっと二人の会話が収束したけど、俺の心の疲れはピークだった。

 静まり返った店内で、俺は小さく肩をすくめた。


(もうしばらく、こういう場面は勘弁してくれ……)

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