第12話 白瀬怜の訪問

 ご飯を食べ終えて、俺たちはしばらくのんびりしていた。

 ルナはまだ少し疲れた様子で、ベッドに寄りかかりながらスマホをいじっている。

 俺は食器を片付け終え、ようやく椅子に座って一息ついたところで彼女は立ち上がった。


「そろそろ、行くわ」


 だが、まだ本調子じゃなさそうなので、俺は止めに入る。


「なぁ、もう少し休んでろよ。そんなに動くとまたしんどくなるぞ」

「ここに居座ったら悪いじゃない」

「別にいいんだけどな」


 そっけなく返されて、俺は小さく肩をすくめた。

 そんな穏やかな空気を破るように、突然玄関のチャイムが鳴った。


「……誰だ?」


 訪ねてくるような知り合いなんていない。

 いるとすればユメちゃんや蒼汰くらいか、でも二人は今授業のハズだ。


 訝しみながら立ち上がり、ドアを開けるとそこには美人な女性が立っていた。


「こんにちは。ちょっとお邪魔しますね」


 涼やかな声とともに、彼女は自然な動作で靴を脱ぎ、勝手に上がり込んでくる。

 長身でスラリとした体型、整った顔立ちにクールな印象を与える私服姿——どこかモデルのような雰囲気さえ漂わせる。


「……は、ちょっと誰だよアンタ?」


 思わず声を漏らした。

 知らない人間がいきなり部屋に上がり込んでくるなんて、予想外すぎて頭がついていかない。


「お疲れ様です、ルナさん。体調は大丈夫ですか?」


 女性はルナを一瞥すると、柔らかく微笑みながら言葉をかけた。

 その動作が無駄なく洗練されていて、見ているだけで圧倒されそうになる。


「怜ちゃん!? どうしてここに……!?」


 ルナの声に、ようやく彼女が誰なのか理解する。


「え、怜って……あの怜?」


 俺が間の抜けた声で確認すると彼女は振り返り、にっこり微笑んで言った。


「はい、そうです。私があの怜ちゃんです♪」


 澄ました顔と、妙にキャピキャピした話し方のギャップに、俺は少し引いてしまった。


「……怜ちゃん?」

「あら、私の可愛らしい一面をご存じなかったんですね?」


 冗談混じりに言われても、俺には返しようがない。

 とりあえず、彼女が現実でこんな雰囲気の人間だったとは想像もしていなかった。


「いや……どうでもいいけどさ、なんで俺の家知ってんだよ」


 俺が問い詰めると、怜は少し首を傾げ、冷静に説明し始めた。


「先日、VRtalk内で耀さんの大学を把握しました。その後、大学まで赴き、耀さんの友人に“婚約相手の連れ”だと説明してお家の場所を特定しました」

「……え、特定? 何してんだよ」

「当然のことです。ルナさんの安全を確保するためには、相手の環境を知る必要がありますから」


 安全ときたか……まぁ、わからないでもないが、彼女の正論めいた発言に、俺はなんとも言えない気持ちになる。


「いやいや、俺を何だと思ってるんだよ」

「男性は皆オオカミさんですからね、会って初日に女性を自宅にまで連れ込む手際の良さ……はぁ、恐ろしいです」


 ちょっと言い返せなかった。

 だけど、本当に恐ろしいのはコイツの方だった。


「まぁでも、本当にルナのことが心配だったんだな」

「そうですよ、今回は大変でした。蒼汰様から燿さんの住所を聞いたのに、うっかり部屋番号を忘れてしまったので——」


 怜は少しだけ申し訳なさそうに微笑んで、さらりと言った。


「——ゴミ置き場を漁りました」

「漁るなよ!?」


 思わず声を張り上げた。

 俺のツッコミに、怜はさも当然とばかりに頷く。


「ゴミは情報の宝庫ですからね。光熱費の請求書や郵便物など、非常に有用なデータが得られます」

「……ゴミ漁って得たデータで人の家を特定するなよ!」


 俺が必死で食い下がると、怜は涼しい顔のまま肩をすくめた。


「結果的には正しい判断だったと思います。ほら、こうして無事にルナさんと耀さんに接触できたわけですし」

「俺的には全然無事じゃねぇよ……」


 普段、ゴミ箱に何を捨ててたっけ。

 蒼汰から貰ったちょっとエッチな雑誌、飽きたから捨てたような気がするけどいつだっけ……?


 げんなりしながらも、俺はため息をついた。

 隣でそのやり取りを聞いていたルナが、呆れたように眉を寄せて怜に言う。


「怜、それやりすぎよ……。」

「いえ、全てルナさんの安全を第一に考えた行動です」


 怜の堂々とした態度に、俺はさらにため息を重ねるしかなかった。


「ところで、こちらはルナさんに振舞ったご飯の残りですよね?」


 怜がキッチンの方をちらりと見やり、残りの食器を指差す。


「そうだけど……」

「ああ、やはり耀さんは自炊をされているんですね」

「やっぱりってどういうことだよ」


 俺が思わず突っ込むと、怜は再び涼しい顔で続ける。


「ゴミから推測した結果です。調味料の空き瓶や、野菜の端切れがしっかり処理されていましたから、ほぼ間違いなく自炊しているだろうと考えました」

「……お前、本当にゴミを分析してたのかよ」


 呆れて何も言えない中、更に怜は続ける。


「当然です。ゴミには生活スタイルが如実に表れますから。さらに言うと、耀さんは一人暮らしの男性としてはとても健康的な生活を送っているようですね」

「……いや、健康的かどうかは知らないけどさ」


 何を言われても釈然としない。

 俺が適当に返すと、また怜は淡々と補足した。


「例えば、野菜くずが多いことから、野菜をしっかり摂取していることが分かりますし、即席麺のゴミがほとんど見当たりませんでした。加えて、捨てられていた魚の骨や卵の殻の量を見る限り、バランスの取れた献立を心掛けているのでしょう」

「……分析しすぎだろ!?」


 俺の声に、怜は少しだけ笑みを浮かべた。


「自炊ができる男性は非常に評価が高いですよ、耀さん」

「評価とかいいから……」


 褒められているのに、どうにも落ち着かない気持ちだ。

 ゴミを漁られたという事実があるからだろう。

 隣で聞いていたルナが、突然くすりと笑う。


「ふふっ、そういうの怜らしいわね」

「当然です。ルナさんの婚約者フィアンセについて把握するのは、私の仕事でもありますから」


 その言葉に、俺は再び深いため息をついた。

 ゴミから生活を覗かれるなんて、こんな形でプライバシーが暴かれるとは夢にも思わなかった。


 彼女が満足げに頷くのを見て、俺は少しだけ恥ずかしくなった。


「まぁ、一応な。外食ばっかだと金がかかるし」

「素晴らしいですね。自炊ができる男性はもっと評価されるべきです」

「そうかそうか、わかった」


「で、そのマネージャーが、わざわざ俺の家に来る必要があるのか?」


 伶は微笑みを浮かべたまま頷く。


「彼女の体調が心配だったので」

「あー確かに、突然倒れるからびっくりして家に運んだんだよな」

「恥ずかしいから言わないでよ」


 その言葉に俺は肩をすくめる。

 照れたように顔を逸らす彼女を横目に、伶が淡々と述べた。


「最近の無理が特に気になっていました。実は、婚活企画を成功させるために、ルナさんはここ3日間ほとんど寝ずに準備していたんです」

「3日間……?」


 俺の声が裏返る。

 それに、ルナは気まずそうに目を逸らした。


「別に、私は大丈夫だったわよ」

「嘘つけ。お前、さっきまで倒れそうだっただろ」


 俺が指摘すると、ルナはしどろもどろになりながら反論する。


「それは……ちょっとだけ疲れてただけで」

「それを大丈夫って言うのかよ」


 俺が厳しめに言うと、伶が横からフォローするように口を挟む。


「耀さん、落ち着いてください。確かにルナさんは無理をしましたが、それは彼女なりに企画を成功させるための努力だったんです」

「努力とかじゃなくて、体を壊したら意味ないだろ」

「その通りです。ただ、ルナさんの情熱が成果を生んだのも事実です」


 伶の言葉は穏やかだったが、その中にどこか彼女の信念が感じられた。

 それでも、俺はまだ納得できなかった。


「でもさ、情熱だのなんだの言う前に、無理しないのが基本じゃねえのか?」


 伶は軽く目を伏せて考え込むような仕草をした後、控えめに頷いた。


「そうですね。ただ、ルナさんはそれだけこの企画に賭けていたということでもあります」

「それを甘んじて受け入れてたってことなのか? 普通止めるだろ!」


 俺が言いすぎたせいか、その言葉にルナが微妙に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。


「……ごめんね」


 その一言が、妙に胸に刺さった。

 思わず眉間に皺を寄せながら、俺は口を開いた。


「いや……謝る相手が違うだろ。自分の体に謝れよ」


 そう言うと、ルナは小さく頷いた。


「……分かったわよ。今度から気をつける。」

「ほんとかよ」

「本当よ! まったくしつこいわねアンタは!」


 不機嫌そうに言い返す彼女の顔が少し赤くなっていた。

 だが、俺も引き返せずについ反論してしまう。


「いやいや、どう見ても信用できないだろ」

「何よ、それ。信じなさいよ!」

「信じる要素がねぇんだよ!」


 口論がヒートアップしてしまう。

 ルナも負けじと強気な態度を崩さない。

 そのやり取りを見ていた伶が、にっこりと微笑みながら口を挟んだ。


「良かったです。二人とも、案外相性良さそうで」


 俺とルナが同時に伶を振り向く。


「良くねえよ!!」「良くないから!!」


 ピッタリと息の合った声が響き、俺たちはハッとしてお互いを見た。

 何も言わないまま視線を逸らすルナの顔は、ほんのりと赤みを帯びていた。俺も言い過ぎたかなと思いながら、深いため息をついた。


(……何で俺がこんな面倒なことに巻き込まれてんだか)


 伶は俺たちを満足そうに見つめていた。

 だが、その笑みが何を意味するのか、俺には分からなかった。

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